婚約破棄される前ですが、探偵役との初対面は最悪でした
舞踏会というのは、
だいたい結婚相手を値踏みする市場である。
音楽。
笑顔。
高価な酒。
そのへんで雰囲気を誤魔化しているが、やっていることはかなり露骨だ。
私は壁際でワインを飲んでいた。
退屈だった。
社交界の会話は長い。
中身がない人間ほど、前置きに時間をかける。
「また逃げているんですか」
声がした。
私は少しだけ嫌な顔をする。
弟のルークだった。
まだ幼い。
優しい。
そして、人を見るのが下手だ。
つまり将来かなり苦労する。
「逃げていません」
「お母様、探してましたよ」
最悪だった。
母は舞踏会を愛していた。
正確には、“完璧な娘”を飾るのが好きだった。
「リディア」
案の定、声が飛ぶ。
振り返ると、
母――クラリス・フェルナー公爵夫人が立っていた。
美しい人だった。
冷たく、正しく、息が詰まるほど綺麗な人。
「姿勢が悪いわ」
開口一番、それだった。
私は少しだけ笑う。
「申し訳ありません」
「笑う時は歯を見せない」
「では、どう笑えば」
「感情を見せずに」
便利な教育方針である。
人形でも育てたいのだろうか。
たぶん半分くらいは本気だった。
「第一王子殿下がお待ちよ」
母は言った。
「今夜は正式なお披露目なのだから」
私は視線を向ける。
会場中央。
第一王子エドガー。
金髪。
整った顔。
よく磨かれた笑顔。
遠目には完璧な王子だった。
遠目には。
「嫌そうね」
母が言う。
「ええ」
私は頷く。
「殿下、私より鏡のほうを愛していそうなので」
母が小さく息を吐いた。
呆れている時の癖だった。
「あなたは、もう少し愛想を覚えなさい」
「必要ですか」
「人は愛されないと生きづらいの」
私は少し考える。
本当に少しだけ。
「では、お母様は生きづらそうですね」
沈黙。
ルークが青ざめる。
母は私を見る。綺麗な目だった。
だから余計に、少し怖い。
「……最近、言葉が鋭すぎるわ」
「昔からです」
「違う」
母は静かに言った。
「最近、諦め始めている」
私は返事をしなかった。
賢い人間は、時々こちらが言いたくないことを正確に言う。
かなり面倒だ。
*
「リディア!」
エドガーがこちらへ歩いてきた。
笑顔だった。
自分が好かれていると信じている人間の顔。
私は昔から、その顔があまり好きではない。
「殿下」
「今夜も綺麗だな」
「ありがとうございます」
「もう少し嬉しそうにしてくれてもいいだろう」
私はワインを飲む。
ぬるかった。
嫌な予感がする夜は、だいたい酒が美味しくない。
「殿下はいつも楽しそうですね」
「当然だろう?」
エドガーは笑う。
「王になる男だからな」
ああ。
なるほど。
この人、自分が嫌われる可能性を一度も考えたことがない。
少し羨ましかった。
人間、自己評価が高すぎると案外幸せである。
「お前は昔から可愛げがない」
エドガーが呆れたように言う。
「殿下は昔から嫌われる才能があります」
「なんだそれは」
「侍女を泣かせ、側近を怒鳴り、平民に説教し、陛下へ反抗している人間が、“なぜ好かれないのか分からない”みたいな顔をするの、かなり面白いですよ」
エドガーが舌打ちした。
王族のくせに品がない。
「……お前は本当に婚約者か?」
「ええ。不本意ながら」
「お前、最近ますます口が悪いな」
「殿下が成長なさらないので、こちらだけでも進歩しようかと」
「嫌味まで上達している……」
少しだけ笑いそうになる。
こういう軽口だけなら、案外嫌いではなかった。
その時だった。
「殿下」
知らない声がした。
黒髪。
細い目。
魔術師衣。
若い男だった。
空気が妙に静かだ。
こういう人間を私は知っている。
頭が良い。
そして、頭が良い人間はだいたい性格が悪い。
「なんだ、ノア」
エドガーが少し嫌そうに言う。
「父上の使いか?」
「ええ」
男――ノア・ヴァレンは軽く一礼した。
「陛下が、“飲みすぎるな”と」
エドガーが露骨に顔をしかめる。
「子供扱いするなと言っておけ」
「善処します」
絶対しない顔だった。
私は少しだけ楽しくなる。
ノアはそこで初めて私を見た。
細い目。
人を見るというより、解剖するみたいな視線。
かなり感じが悪い。
「こちらは?」
「私の婚約者だ」
エドガーが誇らしげに言う。
所有物を紹介する声だった。
ノアは静かに頭を下げた。
「初めまして。ノア・ヴァレンです」
「リディア・フェルナーです」
短い沈黙。
それから。
「……なるほど」
ノアが言った。
「殿下が嫌われる理由が分かりました」
会場が静まる。
エドガーが目を剥いた。
「は?」
「失礼」
ノアは笑う。
少しだけ。
「お似合いだと思っただけです」
最低だった。
私は少し黙る。
そして理解する。
ああ。
この男、かなり面倒だ。
「あなた、友達少ないでしょう」
私が言うと、ノアは即答した。
「ええ」
清々しいほど迷いがない。
「必要ありませんので」
「嫌な人ですね」
「よく言われます」
エドガーが苛立った顔をする。
「お前たち、私を無視して盛り上がるな」
「申し訳ありません」
私とノアは同時に言った。
少しだけ間が合った。
最悪だった。
「……気が合うんじゃないか?」
エドガーが不満そうに言う。
私は即答する。
「まったく」
ノアも同時に答えた。
「最悪です」
沈黙。
それから。
エドガーが笑い出した。
大きな声だった。
王子らしい、無邪気な笑い方。
私は少しだけ驚く。
この人、こんなふうに笑うのか。
「面白いな、お前たち」
エドガーは機嫌良さそうに言った。
「退屈しなくて済みそうだ」
私は王子を見る。
ノアを見る。
煌びやかな舞踏会。
音楽。
ワイン。
笑い声。
世界はちゃんと美しかった。
少なくとも、この瞬間だけは。
だから少しだけ。
本当に少しだけ。
私は思った。
この人たちとなら、そこまで悪くない未来もあるのかもしれない、と。
――まあ、だいたい気のせいだったのだが。




