婚約破棄された令嬢ですが、今回は本当にやったかもしれません
人間というのは、不思議なほど都合よく記憶する。
一度でも「犯人らしい」と思った相手は、その後ずっと、何をしていても少し犯人に見える。
便利だ。
証拠より先に結論へ辿り着ける。
社交界が長続きする理由も、
たぶんそのへんだろう。
「リディア・フェルナー嬢」
男は震えていた。
年老いた伯爵だった。
名前は覚えていない。
どうせ今日死ぬので。
「き、貴様は……!」
私は紅茶を飲む。
ぬるい。
最近、まともな紅茶を出す人間が減った。
この国、死人だけでなく茶葉の質まで落ちている。
「またですか」
私はため息をついた。
「何がです!」
「悪役令嬢扱いです」
伯爵の顔が赤くなる。
健康には悪そうだった。
「貴様のせいで王子は死に、公爵夫人も死に、次は誰だ!」
「あなたかもしれませんね」
沈黙。
周囲の貴族たちが凍る。
失礼な人たちだ。
冗談くらい理解してほしい。
「……脅迫か?」
「予言です」
私は笑った。
その時だった。
伯爵が急に胸を押さえた。
嫌な動きだった。
人間は死ぬ直前、
だいたい自分の心臓を信じられなくなる。
「っ、ぐ……」
崩れる。
悲鳴。
グラスが割れる音。
私は少しだけ空を見た。
最近、本当に頻度が高い。
*
「……死因は毒」
ノアが言った。声が硬い。
珍しい。
「ワインへ混入された可能性が高い」
私は死体を見る。
伯爵は、生前より静かになっていた。
かなり好感が持てる。
「で?」
私は聞く。
「今回は誰が犯人扱いです?」
ノアは答えなかった。
代わりに、こちらを見る。
真っ直ぐ。
ああ。
なるほど。
「私ですか」
「あなた以外、ありえない状況です」
珍しく、冗談の気配がない。
私は少し黙る。
本当に少しだけ。
「理由を聞いても?」
「伯爵のグラスに触れたのは、あなただけです」
「ええ」
「さらに」
ノアは机へ小瓶を置いた。
透明な硝子。
見覚えがあった。
「あなただけが使っている香油から、毒物と同成分が検出されました」
私は小瓶を見る。
趣味が悪い。
女を犯人にする時、男は昔から香りを使いたがる。
「……本当に面倒ですね」
「否定しないんですか」
私は少し考えた。
誠実に答えるなら。
「今回は、本当にやったかもしれません」
沈黙。
空気が止まる。
ノアの目が細くなる。
たぶん今、かなり嫌な気分なのだろう。
少し安心した。
探偵役にも、時々は人間らしい苦労が必要だ。
「どういう意味です」
「最近、人が死にすぎているので」
私は肩をすくめる。
「誰を殺して、誰を殺していないのか、少し曖昧になってきました」
嘘だった。
半分くらい。
ノアは笑わない。
本当に珍しい。
「リディア」
初めて名前だけで呼ばれた。
少し気持ち悪い。
「あなたは、やっていない」
断定だった。
私は目を瞬く。
「根拠は?」
「あなたは、人前で毒を盛るほど雑ではない」
失礼な評価だった。
だが、妙に納得できる。
「では?」
「誰かがあなたに罪を着せた」
ノアは低く言う。
「今回は明確に」
私は死体を見る。
伯爵の指。
黒ずみ。
爪。
そして、
倒れる直前に掴んだワイン瓶。
ああ。
なるほど。
「違いますね」
「何が」
「犯人は私を犯人にしたかったわけじゃない」
私は瓶を見る。
そこには、うっすら傷があった。
古い傷。
何度も開閉した痕。
「この毒、少量ずつ混ぜられていた」
ノアが顔を上げる。
「つまり?」
「伯爵は前から毒を飲んでいた」
沈黙。
「ですが発症したのは今夜です」
「ええ」
私は頷く。
「さっき、興奮しましたから」
怒鳴り、
顔を赤くし、
心拍が上がった。
だから毒が回った。
「つまり私は」
私は少し笑う。
「引き金です」
ノアが息を吐く。
疲れた顔だった。
最近この男、寿命が縮む顔をよくする。
「犯人は?」
私は伯爵の手を見る。
薬指。
指輪跡。
最近外した痕。
「若い愛人ですね」
「またですか」
「人は歳を取ると、妙に若いものへ執着します」
それは、かなり事故率が高い。
「伯爵は最近、愛人を捨てようとしていた」
私は言う。
「ですが、別れる前に毒を盛られていた」
ゆっくり。
少しずつ。
死ぬほどではなく。
ただ弱る程度に。
「ところが今夜、私に侮辱されて興奮したせいで、一気に毒が回った」
静かだった。
本当に、少し可哀想な死に方だった。
「……あなた」
ノアがこちらを見る。
「自分が疑われると分かっていて、なぜ挑発したんです」
私は少し考えた。
本当に少しだけ。
「嫌いでしたので」
ノアが額を押さえた。
困っている顔だった。
探偵役には珍しく、感情的な表情。
私は少しだけ満足する。
人間は、自分だけ冷静でいられなくなる瞬間が、たぶん一番本性に近い。
窓の外では雨が降っていた。
雪ではなく、ただの冷たい雨。
世界は相変わらず静かだった。
でも最近、
ノアの沈黙だけは、少し騒がしくなってきた気がする。




