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永久日記(後編)

見返した日記には、一ページだけ他の人には意味のわからない箇所がある。

皆が読めないそのページを、何故か私だけ難なく読むことが出来るのだ。



***



「日記の例のページは、貴女が燃えてしまった後の遺灰と水と漆を混ぜて作った墨で書いたのです」


そう言いながら、僧侶は舞う桜の花びらを掴もうと手を伸ばしていた。その様子を、以前と違って背の低い私は、見上げるように見つめていた。この桜と同じ場所でかつて咲いていた私は、ある日の夕方に死んだのだ。



きっかけは、とある地主のお抱え占い師が『この寺の御神木の桜が災いを呼んでいる為、即刻切り倒すべし』と予言した事からだった。

その年は偶然にも不作や病などが流行っており、この言葉を信じた地元の人々が奇襲をかけ、寺の住職らの反対を押し切って桜に一斉に刃を向けた。


「私が寺に戻った時には、貴女は既に切り倒されて亡くなっていました」


実際にはこの占い師はただの詐欺師で、大きな桜の一部を切って木材として高く売ろうとしただけに過ぎなかった。しかし、当時の私は人々に裏切られて気が立っており、大人しく木材に収まってやる程の優しい性格では無かったもので。


「そして日が完全に沈んだ夜に、貴女の身から突如白い炎が出て、一瞬のうちに花も幹も灰となってしまいました」

「……君だけが、私の為に泣いてくれたのを覚えているよ」



あの夜。この身が炎に包まれていく中で、まだ青年だった僧侶は泣き叫びながら周囲の村人達を押し退けて駆け寄ってきた。ただの御神木としか知らない人々は、彼が何に対して泣いているのか全くわからない様子だった。

その後、寺は御神木が妖樹だったという過去を隠し新たに桜を植え、関わった人々も眼の前で起きた不思議な現象を恐れて口を閉ざした。

なので、今の御神木が二代目だと知るのは、燃えた桜自身と灰を集めたこの僧侶だけなのだ。


「貴女が燃えてしまった後、私は貴女から作った墨を用いて、旅に出ることをあの一ページにまとめました」



『全て消えてしまったので貴女がかつて存在した事を、この墨以外思い出すすべが無くなってしまいました。

ですので、貴女に再び相見えた際にお聞かせできるよう、旅での出来事は全てこの墨で日記に書き留めておこうと思います。』



「あのページが私以外読めないとわかり、以降はただの墨に少しづつ貴女の墨を混ぜて日記をつけるようになりましたがね」



『いつか貴女が生まれ変わると信じて、私はこの身この世で、永久に生きる方法を探す旅に出ます。』



「そうしたら、いつの間にか私の方が妖怪となってしまったようです」



『すべてはもう一度、貴女に会うために。』



「なんてね。貴女もあのページを読んだならお気づきですよね」



『もし、再びお目見えいたしましたその時は、』



「貴女も私と、永久に生きてくださいますか?』



その瞬間、風が吹いて、ざわっと桜の花びらが勢いよく舞った。桃色の風の中で僧侶は穏やかな表情を見せているが、その目は少しも笑っていなかった。

そして、私はまだ彼に手首を掴まれたままだったことを、たった今思い出した。



***



そう問いかけてきた僧侶の視線は真っ直ぐに私を向いていたので、私も正面から彼の視線を見返した。


「君は、もう正気じゃないんだね」

「ははは、そりゃそうですよ。千年以上も生きて日記を書き続けるなんて、盛大に狂ってないと出来やしないでしょう」


薄々気づいてはいたが、やはりあの永久日記はこの僧侶が一人で書き続けた物のようだった。多くの人が解読してきたあれこれが、若干見当違いというのは、少々残念で少し面白い。そして、丁寧に案内をしてくれた住職も、あれほど憧れている日記の著者が、同じ寺に住んでいるとはきっと気づきはしないだろう。


「そういえば、どうやってその身を得たの?」

「私はただ日記を書き続けただけですよ。でも旅の途中に様々な方に出会いまして、多様な方法を学びました。永久の命を手に入れる方法は、存外数多くあるのですよ」

「そうなんだ」

「調べる時間は沢山ありましたからね。ついでに旅の初め頃に例の詐欺集団も捕まえましたし、不老不死になってからは妖怪の世界にも度々行くようになりました。私も何度も名前と住処を変えて生き、日記の冊子も随分と増えましたよ」



なんせ、日本で最も長い日記である。

旅を続ける中で、詐欺集団を成敗する回も、妖怪に騙されて不思議な世界に迷い込む回も既に発見されており、一部は歌舞伎の演目にだって使われている。私だって、これまでに発見されている分の永久日記は読み込んできた方なのだ。


「永久の身を得てからは、旅をしつつ貴女に会う時をただ願う日々でした。そして、いつか貴女を忘れてしまうのではと恐怖で眠れなくなる時は、あのページの美しい墨を何度も見返したものです」

だからこそ、今、念願の貴女の手を離したくない。



私は、僧侶の出会った時の嬉しそうな様子が、徐々にどこか必死さを帯びてきている事に気がついていた。僧侶に手を離す様子は一切見られなかったが、その握る力は弱くて振り払えない程では無かった。

しかし、私もその手を振り払う気など最初から持っていなかった。


「私がここに来るのに、どれだけの覚悟を決めてきたか知っているかい?」

「え?」

「御神木だった頃の記憶が戻ったと同時に、私は君を亡くした事にも気付いたのだから」



私の前世の記憶が戻ったのは、古典の教科書に掲載されていた永久日記の『心立ちの夜項』の写真を見た時だ。何故か読めるそのページに、懐かしい字を見た。そして日記のことを知り、彼はもう居ないのだとわかって、私は思わず授業中にも関わらず涙した。

ただの写真としか知らないクラスメイトも教師も、私が何に対して泣いているのか全くわからない様子だった。


「私、今は大学の文学部の日本文学学科に所属しているんだよ。今入ってるサークルも、古典文学が好きな人が集まっているから『永久日記』やその著者について情報が集まってくると思って」


永久日記の原本を見に行きたいね、となんともなしに言ってみると皆簡単に話に乗ってくれた。そして、あれよあれよという間にマイクロバスを借りて、この寺に来ることが出来たのだ。


「今日は君がどうやって生きたのか、君がどんな旅をしてどうやって亡くなったのかを知るためにここに来たんだ。そしたら君、本当に有言実行して永久を生きてるんだもん」



私が今どれほど嬉しく思い、同じように離れがたいと感じていることに、君はちっとも気づきはしない。

この鈍感め。



この僧侶が彼自身だとわかってから呑気に桜なんて見ている余裕は無く、私の目はずっと彼の姿しか追っていないのに。


「それにしても君は相変わらず寂しがり屋だなぁ。どうやって一人で旅を続けられたんだか。まぁ、いいよ。どうやら時間は十分あるようだから、とりあえずまずは君の長旅の思い出を聞かせてもらおうかな」


そう言ってにこりと笑ってみせると、僧侶は驚いた表情をみせた。そして、少し呆然とした表情で再び私の顔を見つめた。



「つまり……私の求婚は受け入れてもらえた、という事ですか」

「えっ、あれ求婚だったの?!」

「ただの友達相手では、流石の私もここまでしませんよ」

えっ、へぇ〜……そう、だったんだ〜。

と、恥ずかしくなって私は返事をとりあえず誤魔化した。すまない、鈍感は私の方だった。


「まぁ、いいですよ。私も、話したいことも聞きたいことも沢山あるんですが、貴女の言うように時間は十分にありますから」

僧侶に掴まれていた手首はいつの間にか位置を変え、今は自然と互いの手を握りあう形に変わっていた。

「今は暫し、念願のこの喜びに浸りたいと思います」









「ねぇねぇ、つまり君って『妖怪日記男』ってこと?」

「相変わらず名付けのセンスが悪すぎですね。次までに再考しておいてください」


ねぇちょっと生意気になってない?と拗ねてみせると、もう私の方が年上ですからと彼は笑った。


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