31話 - 言いたい!
ダニーは木にもたれかかりながら、真っ直ぐ前に視線を向けていた。
その先には。
ふわふわとスカートをなびかせながら、弾むように駆けて行く後ろ姿。
足遅いな……、と、無意識に目を細める。
途中、木の根か岩にでも足を取られたのだろうか。
わずかによろめいた。
きゃー! と小さく上がる悲鳴。
咄嗟に駆け出そうと木から身体を離して、止まる。
『あーもーミラさん! 何で何もないとこで躓くの……!』
『ありがと、ダニー!』
喉に苦い何かが込み上げて痛くなって、ぐっと奥歯を噛む。
何とか転ばず踏みとどまった小柄な身体が、ぼんやり滲んだ。
再び木にもたれると、ずるずるとその場にしゃがみ込んで膝に顔を埋めた。
「大丈夫か」
涼しげなマオの声に、なぜだか無性に悔しさが込み上げる。
「聞く? それ」
「そうか」
「……おまえは、どうなんだよ」
「何がだ」
その淡々とした口調に、ダニーは乾いた笑いを漏らす。
「マオもだろ」
「…………」
答えない。
うっすら横目で窺うとマオは、先ほどのダニーのように、じっ、と前を見据えている。
少しして、視線をそらさず、ふっと笑った。
「何がだ」
「言ってもいいの?」
「私は魔王だ」
「便利だな、魔王って」
そう皮肉を込めて言うと、珍しく、ははっと楽しげな声を上げるマオ。
「私は、ミラがかわいければ、それでいい」
「…………重いな、おまえ」
「何がだ?」
ダニーは不思議そうな顔のマオへ、引いた目を向けたのだった。
木の根に足を取られてよたついたミラは、何とか踏みとどまって体勢を立て直す。
昨日痛めた足首が、また少しだけずきっと痛んだ。
『ミラ!』
明るい声で名前を呼んで、いつも駆けつけてくれる騎士はもう、来てくれない。
決めたのは自分なのに、何度拭っても目から涙が溢れた。
『ミラらしいわ……!』
先ほど。
そう言って笑ったダニーの表情が、ちょっと困ってて、でも見た事ないくらい優しくて、胸が途端に苦しくなった。
何とか溢れないようにぎゅうって口をつぐんでいたら、控えめにぽんと頭に手が乗る。
『俺、ミラのおかげで騎士になりたいって思って、騎士になれたこと、すげーよかったって思ってる。後悔もしてないし、ミラが、俺が騎士じゃなかったら、誰が騎士なんだろうって言ってくれたこと。未だに俺の中で一番大事な言葉だから。そんな顔しないで、ミラ』
芯のある瞳を向けて、はっきりそう告げてくれたダニーはダニーで、騎士だった。
(ダニーの言葉こそ、いつも真っ直ぐ私に響いて、私の背を押してくれる。私も……真っ直ぐ、ダニーみたいに伝えたい……! 私の言葉で、ちゃんと! 伝えることなら、私にだってできるよね!?)
ミラは顔を上げると、再び駆け出した。
ガチャ。
扉を勢いよく開く。
「エリ……——」
仕事小屋へ勢いよく飛び込んで、ミラは言葉を詰まらせた。
机に向かい、難しい顔で何かを書き留めていたのはエリオットではなかった。
「あれ? ミラちゃん」
「…………?」
「えーっと、何かごめん?」
「あっ、いえゲイルさん……あの、エリオットは?」
「んー、さあ? どこだろうね?」
「え?」
そこで、はっ!? とミラは目を見開いた。
庭で話を聞いた時の、自分の態度を冷静に思い返す。
エリオットが生い立ちを告白→私への想いや不安を暴露→何やら言いかけ→口塞ぐ→逃走(←今ここ)
(——呆れられ……!?!?)
さ——……、と見る見る血の気が引くミラ。
慌てて踵を返した。
「さ、探してきます!!」
勢いよく閉じられた扉の音で、奥からエリオットが顔を出した。
「すみません。今ミラ来ました?」
「あっ! エリオット君そんなところに!?」
「…………」
おじさんビックリ! とわざとらしく口を覆うゲイルの様子に、エリオットは本棚へもたれかかると、重苦しいため息をつく。
「お帰りはそちらです……」
「あっ! ひどい! ベンさんとミラちゃんと君の錬金術の記録を書き留めてからだってば!」
「どれくらいかかるんですか、それ……」
「賞味3、4日? ベンさんの日記、見つかった?」
「もういいですよ、書き留めなくて」
「おじさんも仕事だからさあ」
もう一度深いため息を漏らすと、窓の外へ目を向けた。
ふわりと揺れるスカートの端が一瞬視界に留まる。
エリオットは持っていた古く分厚い手帳を机に置くと、迷わず扉へと足を向けた。
ミラは息を切らしながら森を駆けていた。
(というか……呆れたというより、エリオットも私を探しに来てくれたんじゃ? 私がマオとダニーと話していた小道にはいなかったから、森の奥の方? エリオット……方向音痴?)
天才エリオットも、方向を間違えることが!? と瞳を輝かせる。
その瞬間、落ち葉に隠れた斜面に気付かず、足を取られる。
斜面下へ身体が持っていかれそうになり、慌てて逆側へ倒れ込んだ。
(あ、あぶない……! そう何回も落ちませんから——)
その時。
音の鳴るぬいぐるみを鳴らしたような、「キュウ」という音が身体の下からかすかに聞こえた。
えっ? と少しずれてみる。
するとそこに、赤い鳥が下敷きになっていた。
「きゃ——! ごめんなさ……きゃ——!!!」
驚いて咄嗟に鳥を掬い上げた勢いでミラは、斜面下へと転がって行ったのだった。
「…………泣いてないもん……」
ミラは斜面下から深い木々の隙間からかすかに望める空を見上げていた。
斜面は落ち葉の絨毯になっており、そこまで痛くはないが、また落ちた、という事実がミラを叩きのめしてた。
ミラは身体中にくっついた落ち葉を振り落とすように、さらに数回ごろごろと草の上を転がった。
身体を起こすと、腕に抱えた赤い鳥に視線を落とした。
「大丈夫……?」
眉を寄せてじっと見つめる。
すると鳥は、少し変わった羽を弱々しくぱた、と動かした。
「キュイ」
「きゅい……」
その小さな可愛らしい声に、ミラの胸がきゅううん……! と鳴った。
「キュイ」
「きゅい……!」
かわいい!!! と優しく包み込む。
「エリオット見つけたら、一緒におうちに行こうね! ……あっ」
滑りやすい斜面。
包帯の巻かれた手。
弱っている赤い鳥。
ミラはそれらを代わる代わる見た。
「……どうやって、登ろうかな……?」
じわり。
緩んでいた涙腺がまた緩んで。
鼻が痛いくらい熱くなって。
目頭に涙が滲んだ。
無力さから目を背けるように斜面に背を向けると、鼻をすすった。
「……いつも……うまく、いかないんだよ?」
ぽつっと呟く。
ミラは膝に乗せた鳥をさらりと撫でた。
「エリオットもね、君みたいに拾ったんだよ。私のためだった。だからエリオットのために色々頑張るんだけど……失敗ばっかりして。10年も、エリオットの前から姿を消しちゃって」
大きく吹く風が、ガサガサと落ち葉を鳴らす。
「それでも、もう一度会いたいって思っててくれてた。しかもね、10年も待っててくれてただけじゃなくって……焦らないで私のペースに合わせてくれたり、私が好きなもの、ずっと覚えててくれたり。気持ちに寄り添ってくれたり、自分でも気づいてなかった気持ちに気づかせてくれたり……。それはエリオットがしっかりしてて大人だからだって、ずっと思ってたけど、違った。そのままでいいんだよって、私は私でいいんだよって、言ってくれてたんだね。私が無意識に、エリオットにしていたみたいに」
鳥の羽に、ぽたりと雫が垂れた。
「私も、そうやって言いたい……! 天才じゃない、今の、私がいないとすぐ不安になっちゃう、ちょっと弱いところもあるエリオットのままでいいよって。そのままのエリオットの横に、私はいたいって——」
その時。
身体がわずかに後ろへ引っ張られた。
はっ、とミラの息が止まる。
その瞬間——
背後から首に腕が回される。
視界の端で、ブロンドの髪が揺れた。
「僕も」
そう言ってエリオットは、ぎゅっ、と腕に力を込めた。




