38 目覚めと再会
仰向けで床に寝かせられた兄さまに眼帯の男が近づいた。
「それでは、ちょっと失礼」
スゥゥと息を吸い込む音がしたかと思うと、「ハッァッ」という威勢のいい声が響いた。兄さまの胸元にかざした両手の平を一気に押し込んだのだ。
ズン、と深い音とともに兄さまの体が弓なりに何度もしなった。エビがのたくりまわっているように見えて怖い。
「に、兄さまに何をしたっ!」
眼帯の男に掴みかかろうとした時、足元からゲホゴホッと尋常じゃない音が聞こえた。慌てて目線を下げると、兄さまが体を丸くして咳き込んでいた。青ざめた顔色に少しずつ赤みが増してきている。
「兄さまっ」
「ルイーズっ」
「ルイーズさまっ」
三人の声が重なった。真っ先に兄さまの顔を見たいと思っていたのに、私より素早くシャノンが動いていた。瞳に涙を浮かべながら兄さまの体を抱き起している。
……なんだろう。鳩尾あたりがキュュと痛むのは。
「そなたの兄が気を取り戻したというのに、腑に落ちない顔をしておるの?」
「べ、別にっ」
気づけば、いつの間にか横に立っているウィンガーツ。驚きつつ、これ以上表情を読み取られないよう顔を背けた。
「あの様子……。シャノンはそなたの兄を好いておるのかの?」
「は?」
思いがけない言葉に私はウィンガーツのほうを振り返ってしまった。
「ん? 女性が男のために流す涙は慕情以外ないのではないかの?」
「ボジョー?」
親しみのない言葉に首を傾げる。
「異性を慕わしく思う気持ちのことだがの」
「慕わしく? 大切に思う気持ちとどこが違うんだ?」
「……」
会話の発展がなく、互いに顔を見つめ合ってしまった。しかもまたウィンガーツの瞳孔が縦に細長くなっている。もしかしなくても驚かれている?
「ごっほん、ごっほん。ウィンガーツ、ルイーズが起きたんだ。なにか言いたいことがあったんじゃないか?」
ウィンガーツと私の間に流れる奇妙な沈黙に、スピノザが割って入ってきた。
「そうだったの」
思い出したようにポンと手を打ち、ウィンガーツは私に背を向けると、兄さまとシャノンのほうへ向かった。一体なにを話たいというのだろう。人の話を横から聞くのはあまりいい気分ではないが、気になって私はウィンガーツのあとをついていった。
「無理矢理な拘束、申し訳ない。穏便に、と思っていたのだが、そうもいかなかったからの。少し冷静になって話し合えるかの? ルイーズ殿。いや、ヘリックス皇国次期皇王、ルイーズ皇子。どうか話を聞いてほしい」
突然ウィンガーツは二人の前で跪いた。
ところどころ独特な口調がなくなっている。近くで控えていた眼帯の男も驚いている様子だ。
「次期皇王となると知っての愚行。許されると思ってるのか? 私を取り押さえてまで聞いてほしいこととは無論重要性が高いということだろうな?」
シャノンの肩を借りながら兄さまはゆっくりと立ち上がり始めた。兄さまも普段の口調より荒っぽい。雰囲気に尖ったものを感じてしまう。
「シャムロックを治めていた者たちから人々を助けた見返りに、私たちのプラトゥーム王国を助けてほしい」
「……見返り? なぜ?」
目を細くして兄さまはウィンガーツを見下している。冷気を放っているような視線で私は背筋が寒くなった。
「なぜ? と尋ねるのかの? そなたたちはこのシャムロックの現状を知ってか知らずか捨て置いていたのでは?」
「捨て……置いてはいない」
「ではなぜ早急に手を打たなかったのだ?」
「私の一存では決められない」
「決められない? スピノザやシャノンたちとは違う反応なのだな」
「え……」
兄さまが言葉に詰まってしまっている。
「彼らは知らなかったと言っていたよ。このシャムロックという土地の存在を。今回そちらのお姫さまが連れ去られたことで知ったと」
「お前たちっっ」
突然声を荒げたかと思うと兄さまは体を支えていたシャノンを突き放し、シャノンの胸元めがけて片手をかざすと小さく呟いた。
「兄さま、だめっっ」
かざした腕を止めようと私は駆け寄ろうとしたが、それよりも早くシャノンが私の横をものすごい速さで通り過ぎた。嫌な音が背中越しに聞こえる。
なにかが砕ける音と衝撃音。
おそるおそる振り返るとシャノンが壁に背中から打ち付けられ、その衝撃で壁に放射線状の亀裂が走っていた。そのまますぐにシャノンの体が壁から離れ、床に打ちつけられる、と目をつぶってしまったが、どうしてか壁にくっついたままになっている。シャノンの呻き声が聞こえ、さらに亀裂がひどくなったような? どういうことだろう。 そう考えている隙に今度はスピノザがシャノンの隣に並ぶかたちで飛ばされてきた。シャノンより質量があるせいか衝撃音が凄まじい。
「兄さま、や、やめてくださいっ」
この状況を作り出しているのが兄さまだなんて信じたくない。
「うるさいっ」
腕を掴もうとした私を兄さまは、迷いなく簡単に突き飛ばした。
初めてぞんざいに扱われてどうしていいかわからない。兄さまが遠い。どこか知らないところへ兄さまがいってしまったような……。心の中がチクチクする。兄さま、心が痛いです。
「まったくもう、レディーに暴力を働くだなんていけませんよ」
引力にもがき、床に体が打ちつけられるのをなんとか阻止しようと思っていると、誰かに体を抱き留められていた。痛みを堪えるために力を入れていた瞼をゆっくり開いていくと、そこには――――。
グレーのウェーブかかった見知った人。
優しく微笑むエイヴォンがいた。




