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エイシェンはそれはもう甲斐甲斐しく世話をした。
もういいから、とナズナが半泣きになって拒否したくなるほど、行き届きすぎるほど。
お陰でこの五日間、ナズナは家から出ることはおろか、ほとんどの時間をベッドの上で過ごす羽目になった。
確かに自由に歩き回るのは無理だが、片足を庇いながらの歩行はそこまで難しくはない。
だがナズナがベッドから降りようとするとエイシェンが良い顔をしないので、それを無視してまで動こうとも思わなかった。
とはいえひがな一日、出来る事も限られていて、薬を煎じるという慣れ親しんだ単調な作業を黙々とこなす。
自分の飲む分の痛め止めや化膿止めはもう十分あって、どうしようかと手持無沙汰でいるとお見舞いに来たアロンが、あれが欲しいこれが欲しいと色々と注文を付けて来たから、材料だけ集めてきてもらって調合して渡した。
次の日になると、ニコニコのアロンが寝室に入って来て、今度はこういう薬がいい、軟膏はないのかと要求してくる。
それを見たエイシェンが露骨に嫌そうな顔をしたがアロンはやっぱり気にしなかった。
更に次の日にもアロンはやってきて、今度は両手にいっぱいの果物や野菜に綺麗な編み物を渡された。お見舞い品だと。
どうもアロンはナズナの作った薬を集落の人に分け与えて、等価としてこうした品を受け取っていたようだ。要するに商売道具に使われ、おすそ分けをいただいたというわけだ。
根っからの商売人のアロンに呆れはしたものの、自分の作ったものが多くの人に使われるのは悪い気はしなかった。
「ただ、いくつか用法が気になる薬の注文があったから、出来れば一度症状を直接見たいかも」
クスリはリスクを負うもの。そう教えてくれたのはナズナに調合の仕方と知識を与えてくれた母の言葉。
強い効力のあるものはそれだけ服用に慎重にならなければいけない。
「分かった、そう言っとく」
暫く打ち合わせをして帰って行ったアロンと入れ違いになるようにして、家族連れが訪れた。彼等を連れてきたエイシェンは、ナズナが座るベッドの傍の壁に腕組みをしながら凭れた。
青褪めつつも何か決意を秘めたような、今から死地にでも向かうのかと問いたくなるような、硬い表情の両親と悲壮感たっぷりの少年。
何だろうとキョトンとするナズナはエイシェンを見たが、成り行きを見守るつもりらしく、じっと彼等から目を離さない。
少年の方は何となく見覚えがあった。
というか容姿ではなく、この泣きそうで死にそうな表情が印象に残っていた。
弦の切れた弓を握りしめていたあの子だ。
なるほど絞首台に上る気持ちでやってきたのだろう。
母親が気遣わしげにナズナに近寄ると、足を指さして何かを言った。
見せてほしいという事だろうかと、ナズナも自身の足に視線を落とした。
一日に数度包帯を変えなければならないから、ずっとナズナは丈の短いスカートを着用している。これらはヤナがくれたものだ。
それを何気なく引き上げようとしたナズナの手をエイシェンが咄嗟に捕まえた。
何? と見上げるとエイシェンは少年と父親の方を見ていた。
「!!」
よく知りもしない男の前でスカートを捲り上げようとしていた事に気付いてナズナは顔を真っ赤にさせた。
もうエイシェンには何度も傷の確認で見せていたし、その行為に他意を見出していなかった。
どうやら母親とエイシェンからの冷たい視線に耐えられなかったらしく、父子は回れ右をして後ろを向いていた。
見ているのが母親だけになると、ナズナは気を取り直してスカートを上げて丁寧に巻いている包帯をとった。
傷口を繋げるために縫合しているのが痛々しいが、傷自体はそれほど大きくないとナズナは思っている。
だが女性は「ああ……っ」とよろよろとその場に倒れ伏し悲嘆に暮れた。
ぎょっとしたのか、父子が勢いよく振り返り、そしてナズナの傷が目に入ったのだろう。
少年は顔を真っ青にし、父親の方は手で顔を押さえてさめざめと泣いた。
そしてほぼ三人同時に膝をついて頭を床に擦るようなしせいになったのだった。
カリナンでいうところの土下座に近いそれに彼らの意を読み取ったナズナは慌てる。
「ちょっ、エイシェン、エイシェン!」
やめさせてほしくてエイシェンを仰ぎ見たが、彼は動かない。何故? と軽くパニックになった。
普通に考えて、若い女性の肌に一生消えない深い傷を負わせるのは簡単に許される罪ではない。
それはこの村だけでなく基本的に世界各国どこでも共通の概念で、カリナンもまた同じだ。
ここにナズナの母親がいれば、息巻いたままこの三人の土下座を当然の如く受け入れただろうが、残念ながらここにはナズナのみ。
傷も小さいし場所も場所だから服で隠れてしまえば誰の目にも触れないのだからまぁいいか、くらいにしか思っていなかったから、この親子の行動に頭がついていかない。
エイシェンがダメならと、深く考えずベッドから降りようとしてふいに足に痛みが走って蹲る。
私は馬鹿か! と心の中で自身を罵った。
エイシェンが隣に座って背を撫でて慰めてくれるのが嬉しいような、余計に恥ずかしいような。
その間もごりごりと額を床につけている親子を早くどうにかしたくて、エイシェンの腕を掴んで揺すってみる。
エイシェンは少し考えるように目を伏せてからナズナの頭を優しく撫で、そして背と膝の下に腕を伸ばすとひょいとナズナを、抱き上げた。
「へ?」
あっという間の出来事で、その一文字を言うのがやっとだった。
そうしているうちに親子の前に着いてしまった。
降ろしてくれるのかと思って数秒待ってみたが、エイシェンはナズナを抱いたまましゃがんだ。
何故、とツッコミを入れたかったが今は土下座を止めさせるのが先、と気にしない事にした。
男の子の肩にそっと手を添える。名前は何と言っただろうか。
エイシェンと男の子と交互にチラチラと見てみたが、エイシェンも流石に意味が分らなかったらしく首を捻った。
男の子に触れているのとは逆の手で自分を指し「ナズナ」と伝え、今度は男の子を指す。
エイシェンは頷いて「バルト」と答えた。
「バルトくん」
ようやっと顔を上げたバルトは、それはもう情けないものだった。
泣くのをずっと我慢していたらしく目は真っ赤で、捨てられた犬のようにふるふると震えている。
これを見て彼を詰る事が出来る人はいないんじゃないかとナズナは思った。
堪らず笑ってしまってからバルトの頬を撫でる。目元を親指の腹でなぞると少し濡れた。
「ダイジョウブ」
慣れない発音のせいでカタコトになってしまったのは愛嬌で誤魔化す。
この村の言葉だ。ここ数日エイシェンに何度も何度も聞かれるので覚えてしまった。
知っている単語がナズナから聞かされるとは思っていなかったからだろう、両親も顔を上げて三人して口を開けてぽかんとしていた。
「ダイジョウブ」
もう一度言って最後にまた頬を撫でた。
ナズナは殺傷能力のある武器の怖さを嫌というほど知っている。
小さな刀一つで命さえ奪えてしまえるのだ。使う人の心根一つで兇器となる。
でもバルトはもう大丈夫だ。こんなに後悔したのだから、これからは今まで以上に取扱いに慎重になるだろうし、手入れも念入りにする。
人を傷つける事の怖さを知った。
それを思い知る為にナズナが犠牲になったと考えると、一言物申したくなるが故意ではなかったのだし言っちゃいけない。
暫くの間、謝る親子と大丈夫と言うナズナの攻防が続いた。
結局は間に入る形になったエイシェンが親子を説得して終了したのだが。
ナズナはこの短時間でごめんなさいとありがとうも覚えた。
彼等は大量の花と果物をお見舞い品としてどっさりと置いて帰って行った。
「エイシェン、エイシェン」
甘い香りを漂わせる果物持ち上げて期待の籠った目を向ければ、エイシェンは心得てるとばかりに皮を剥いて一口大に切ってくれる。
「言葉、ちょっとは覚えた方がいいのかな……」
差し出された果物を噛むと、しゃりしゃりとした触感の甘酸っぱい実だった。
ナズナが呟いた言葉が理解出来なくて、目で「何?」と聞いてくるエイシェンに何でもないと首を振る。
そう長い時間居座るつもりもなかったし、一緒に居るのはエイシェンだけだからそれほど問題ないと感じていた言葉の違い。
でも今になってやはり言葉の壁は厚く、通じないと不便だと痛感した。
長居するつもりはない、でも覚えておいて損はない。
アロンにでも習ってみようかと算段をつけた。
誤字脱字修正しました。毎度の事ではありますが、今回は特にひどかった…
申し訳ないです