第12話 塩と炭の勘定
「炭を増やせば、その分だけ穀物を持ってきてもらえる――って話にはならないぞ」
行商人は炭の塊を指先で割りながら、村長へそう言った。
さっきまで塩や針、糸を売っていた男だ。
名前はハインツ。
年は四十前後だろう。日に焼けた顔に無精髭を生やし、山道を歩き慣れているのか、荷を下ろした今でも足取りに疲れを見せていない。
村長が炭袋へ視線を落とした。
「炭が売れんという意味か?」
「いや、これは売れると思う。割れ方も悪くないし、粉ばかりでもない。ただし、村が欲しいのは炭の値段じゃなくて穀物だろ?」
「ああ。食べる人数が八人増えた」
「だから問題なんだよ」
ハインツは自分の背負子を叩いた。
「穀物は重い。塩や針みたいに少量でも商売になる品とは違う。俺一人の背中で運べる量には限界がある」
分かりやすい。
俺は柵の外から話を聞きながら、ハインツが背負ってきた荷を見る。
大きな背負子だ。
人間一人が背負うには十分重そうだが、若竜になった今の俺なら、それより重い荷でも運べるだろう。
だからといって、毎回俺が山を下りて商人の代わりに荷運びをする、という話にはならない。
俺には村の見回りがある。
何より、俺一頭がいなければ止まる仕組みにするのは良くない。
「荷馬を使えばいいんじゃない?」
リナが近くから口を挟んだ。
ハインツが少女を見る。
「山の下までは使ってる」
「じゃあ、ここまで連れてきたら?」
「そこが簡単なら、最初からそうしてるよ」
ハインツは苦笑した。
「この村までの道には、荷を積んだ馬を通したくない場所が三つある。俺なら身体を横にすれば通れる場所でも、荷袋を左右へ積んだ馬じゃ無理があるんだ」
村長が眉を寄せる。
「三つだけか?」
「少なくとも、俺が気になるのは三つだ。直せば絶対に馬が通れるとは言わない。実際に見た方が早い」
そこでダリオへ視線を向けた。
「帰る時、一緒に来るか?」
「行く」
ダリオは即答した。
「村側でも見ないと直しようがないからな」
俺も身体を起こした。
ハインツがこちらを見る。
さっきよりは慣れたらしいが、三、四メートルある青灰色の若竜が立ち上がれば、やはり身体が少し強張る。
「……ヴァルも来るのか?」
頷く。
「道を見るならいた方がいいだろ」
ダリオが言った。
「こいつが通る道を作るつもりはないぞ」
ハインツの返しは早かった。
「ヴァルまで普通に歩ける幅へ広げたら、荷馬どころか荷車が二台並べる道になりかねん」
そこまで太くはない。
……たぶん。
ただ、翼を畳んでも今の俺は人間よりかなり幅がある。長い尾まで含めれば、狭い山道で向きを変えるだけでも場所を取る。
俺は翼を一度開いてから空を指した。
ハインツが目を瞬く。
「飛んで行く?」
頷く。
「ああ。そういうことか」
少し間を置いて、ハインツがため息をつく。
「便利だな、竜」
俺もそう思う。
◇
村を出たのはハインツ、ダリオ、村の男が一人。
俺は最初だけ道を歩き、木々が密になったところで空へ上がった。
まだ長距離を飛び続けられるほど慣れてはいない。
だから高く上がらず、木の梢より少し上をゆっくり進む。
下では三人が山道を歩いている。
上から見ると、道の細さがよく分かった。
獣道よりは広い。
だが、街道と呼べるほど整ってはいない。
ところどころ木の根が浮き、雨に削られた窪みもある。
ルーエが外と商いする道としては、確かに心細い。
「まずここだ!」
ハインツの声が聞こえた。
俺は少し先の開けた場所へ降りる。
以前より着地は上手くなった。
速度を落とし、前脚をつけて数歩進む。
腹から突っ込まない。
これだけでも進歩だ。
少し戻ると、三人が大岩の前で止まっていた。
山側からせり出した岩が、道を狭くしている。
反対側は斜面だ。
人間なら普通に通れる。
しかし馬の身体へ荷袋が張り出せば、岩へ擦るか、斜面側へ寄りすぎる。
「この岩を動かす?」
村の男が俺を見る。
いや、無理だろう。
俺も岩を見る。
山そのものから突き出しているような大きさだ。
進化して力が増したからといって、何でも動かせるわけではない。
試すまでもなさそうだ。
「岩を動かす必要はない」
ハインツが山側の地面を指した。
「手前を少し削れば、馬が岩から離れて通れる。欲しいのは、荷袋が当たらない半歩か一歩ぶんだけだ」
「もっと広げた方が後で楽じゃないか?」
村の男が尋ねる。
「何を通すんだ?」
「荷車とか」
「そんな話はしてない」
ハインツは即答した。
「荷車まで通すなら、ここだけじゃ済まない。道全部を作り直すことになる。橋も要るし、曲がりも直す。金も人手も別物だ」
村人が黙る。
ダリオが岩と斜面を見比べた。
「今必要なのは荷馬一頭だ」
「そういうこと」
俺は上から見た道を思い出す。
確かに、いきなり立派な道へする必要はない。
村はまだ小さい。
運ぶ量も限られている。
必要な分だけ直す。
それで足りなくなった時に、次を考えればいい。
「次はこっちだ」
再び進む。
二つ目は低い枝だった。
太い枝が道へ張り出している。
人間なら屈めば通れる。
俺はそもそも下を通らず、木の向こう側へ回った。
「荷馬は嫌がる」
ハインツが枝を叩く。
「頭の上に何かある場所を、荷を積んだまま無理に通すと止まる奴もいる。これは切れば済む」
「枝一本か」
「ここは簡単だ」
その言い方で、三つ目は簡単ではないと分かった。
さらに下る。
やがて地面の色が変わった。
道の一部が黒っぽく湿っている。
斜面から染み出した水が、道へそのまま流れ込んでいた。
ダリオが足を置く。
「沈むな」
「雨の後はもっと酷い」
ハインツが答える。
「俺なら端を歩けばいい。でも荷を積んだ馬がここで足を取られたら、荷を下ろして引っ張る羽目になる」
「石を敷くか?」
「それでもいいかもしれん。ただ、先に水を道の外へ逃がした方がいい」
村の男が斜面を見る。
「浅い溝を掘って、下へ流す?」
「やるならそうだな。ただし適当に切るなよ。水の行き先を考えずに掘ったら、今度は下側の道を削る」
俺は山腹で作った水路を思い出した。
水は低い方へ流れる。
単純だ。
だが、流した先で何が起きるかまで見なければならない。
力だけではどうにもならないことが、妙に多い。
ダリオはぬかるみより、周囲の森を見ていた。
「どうした?」
ハインツが尋ねる。
「道を直したら、ここを通りやすくなる」
「そのために直すんだろ」
「商人だけが通るわけじゃない」
ハインツの顔から笑いが消えた。
「……何かあったのか?」
「盗賊が来た」
「いつ?」
「少し前だ。十人以上」
「それを先に言え!」
ハインツが声を上げた。
「お前が村に着いてから言ったら逃げるかと思って」
「余計悪いわ!」
ダリオは肩をすくめる。
「でも今、生きてるだろ」
「結果論で商売するな!」
俺は思わず鼻を鳴らした。
ハインツがこちらを見る。
「ヴァルまで笑ってるのか?」
少しだけ。
だが、ダリオが警戒している理由は正しい。
道を良くすれば、物資が入りやすくなる。
同時に、敵も歩きやすくなる。
「荷馬一頭が通れればいいんだよな?」
ダリオが確認する。
「ああ。それ以上は要らん」
「なら道幅は必要以上に広げない。曲がりも残す。木も、荷に当たる分だけ払う」
「馬が通れるならそれでいい」
「ぬかるみも、道全体を固めるんじゃなくて水だけ逃がす」
ハインツが頷く。
「俺ならそうする」
村の男も納得したようだった。
「荷を通す道にはする。でも、誰でも走りやすい道にはしないってことか」
「そうだ」
なるほど。
俺は空から見た道をもう一度思い返す。
今のルーエに必要なのは、大きな街道ではない。
塩や穀物を運べる道。
それで十分だ。
◇
村へ戻ると、ハインツは改めて炭袋の前へ座った。
「道が使えそうなら、次は荷馬を借りられるか聞いてみる」
村長が尋ねる。
「馬一頭で、穀物はどれほど増やせる?」
「馬が運べる量と、お前たちが買える量は別だぞ」
「金か」
「金だけじゃない。交換する物が売れなきゃ仕入れられない」
ハインツは炭を一つ持ち上げる。
「この炭なら持って帰ってみる。ただし、次からいきなり三倍焼くな」
山向こうから来た八人の中で、炭焼きを手伝っていた男が顔を上げた。
「売れないのか?」
「売れるとは言った。でも、俺が一度に売れる量にも限界がある。下に炭が存在しないわけじゃないんだ」
「じゃあ、どれくらいなら?」
「まず少し増やす」
ハインツは指を一本立てた。
「それを持って帰って、実際に売る。売れ方を見る。値も見る。それから次を決める。最初から山ほど焼いて、値が下がりました、残りました、じゃ誰も得しない」
炭焼きの男が考え込む。
「木を使う量も増えるしな」
「そういうことだ。山の木は勝手に戻らんだろ?」
ここでも同じだった。
山腹の畑も、まず小さく試す。
道も、荷馬一頭が通る程度。
炭も、売れる量を確かめながら増やす。
一気に何かを変えようとしない。
遅く見える。
でも、失敗して全部失うよりはいい。
「ほかに売れそうな物は?」
村人が聞く。
「持って来い。見てから言う。ただし、『たぶん売れる』で山ほど集めるなよ。俺がいらないと言った物は、そのまま村に残るんだからな」
「厳しいな」
「商売だぞ」
ハインツは当たり前のように返した。
「俺だって慈善で山を登ってるわけじゃない。儲けが出るから来る。だから儲けが出るなら、また来る」
俺はその言葉に少し引っかかった。
でも、悪い意味ではない。
善意だけなら、疲れた日には来なくなるかもしれない。
商売になるなら、続ける理由がある。
村に必要なのは、一度だけ穀物をもらうことではない。
必要な時に、また買えることだ。
村長も同じことを考えたらしい。
「それでいい。こちらもただで持って来いとは言わん」
「話が早い」
ハインツは炭袋の口を縛った。
「今日はこの分だけ持って帰る。向こうでいくらになるか見てくる」
「ここで値を決めないのか?」
「俺が欲しい値と、向こうが買う値は違う」
「なるほどな」
「あと、俺の取り分もある」
村長が少し笑う。
「そこは隠さんのだな」
「隠して後で揉める方が面倒だ」
俺はハインツを見る。
こいつは信用できるかもしれない。
善人だから、ではない。
自分が儲けたいと最初から言うからだ。
少なくとも、何を目的に動いているのか分かりやすい。
荷をまとめ終えると、ハインツは背負子を担いだ。
「じゃあ、下りる」
「もう行くの?」
リナが聞く。
「日が落ちる前に山を下りたい。竜のいる村で夜までのんびりして、初日に帰れませんでしたじゃ笑えん」
俺のせいか。
村の出口まで来たところで、ハインツが振り返った。
「ヴァル」
名前を呼ばれたので顔を向ける。
ハインツは俺を見上げる。
若竜になった俺と正面から向き合うと、人間一人との大きさの差はかなりある。
それでも、初めて会った時ほど怯えた顔ではなかった。
「次、本当に荷馬を連れて来られたら――」
少し間を置く。
「食うなよ」
俺は大きく鼻から息を吐いた。
「今の絶対呆れただろ」
「たぶんな」
ダリオが言う。
「馬の方が俺より高いんだぞ。ヴァルから見りゃ肉だろ」
肉ではある。
だからといって食うとは言っていない。
俺はゆっくり首を横に振る。
「ほら、食べないって」
リナが嬉しそうに言う。
「竜本人から否定されると、俺が馬鹿みたいじゃねえか」
実際ちょっと馬鹿みたいだ。
俺が目を細めると、ハインツが笑った。
「……まあいい。次まで覚えてたら大したもんだ」
覚えてる。
たぶんお前よりな。
ハインツが山道を下っていく。
背負子には、ルーエの炭が入っている。
あの炭が売れれば、次は穀物になるかもしれない。
そのためには、荷馬が登って来られる道が要る。
だから明日、道へ手を入れる。
ただし広げすぎない。
村へ物を運びやすくしながら、盗賊まで入りやすくしない。
欲しいものを一つ手に入れようとすると、その先に別の問題が出てくる。
人間の暮らしは面倒だ。
けれど、一つずつ片づければ確実に前へ進む。
ダリオが道端へ細い枝を立てた。
「ここからだな」
「何の印?」
リナが尋ねる。
「明日、道を直す場所を忘れないための印だ」
村長が後ろから声をかける。
「必要なところだけにしろよ」
「分かってる」
「荷馬が通れば十分だ。盗賊のために立派な道を作ってやる必要はない」
「そこまで親切じゃない」
俺は二人の向こうに続く山道を見る。
これまでは、あの道から何か来れば敵かもしれないと考えていた。
今日、そこを下っていったのは炭を背負った商人だ。
次に同じ道を登ってくる時には、穀物を載せた馬を連れているかもしれない。
ルーエは少しずつ、外とつながり始めていた。
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