第109話 竜の声を、貸してくれ
ルーエの広場で、竜が通行料を払わされていた。
木の棒に吊られた緑色の竜である。俺の前脚より小さいその頭へ、赤い帽子を被った役人の人形が、しきりに手を突き出していた。
「道を通るなら銅貨一枚。空を通るなら、翼が二枚だから二枚だ!」
子供たちの笑い声が、家々の間へ響く。俺は村の外れで足を止めたまま、屋根の向こうからその様子を見ていた。
トーヴェンがルーエへ帰ると言っていたので、昼過ぎに顔を出すつもりで飛んできたのだが、村へ近づいたところで妙な甲高い声が聞こえた。いつもの場所へ降りて歩いていくと、井戸から離れた広場に、見慣れない布張りの台が出来ている。
台の下から、緑の竜が首を伸ばした。
「歩いても飛んでも金が要るなら、ここで寝るぞ。日陰を貸してくれ」
竜の人形が横になると、役人の帽子だけがその腹の向こうへ消えた。今度は大人まで笑い、俺もつられて喉を鳴らす。
それを聞きつけた村長が、広場の端からこちらを振り向いた。
「ヴァル、来ていたのか。さっきから、お前より小さい竜が偉そうにしてるぞ」
『俺より、ずっと金に困っているらしいな。旅の芸人か』
「ああ。西の方を回っている二人組だ。今日はここに泊まるんで、ひとつ見せてもらっとる」
村長の足元で、トーヴェンの息子が大きく手を振った。父親と一緒に帰ってきて、さっそく見物に加わったらしい。
俺は近づこうとして、途中で身体を止めた。
広場へ頭を突っ込めば、人形より俺を見る者の方が増える。人の後ろへ伏せても、今度は家へ戻りたい者の通り道を塞いでしまう。
村長が俺の身体と広場を見比べ、畑へ出る道の脇を指した。
「あそこなら、台も見えるだろう。尾は道へ出すなよ。荷を引っ掛けたら、見物どころではなくなる」
『分かってる。今日は見る側で来たんだ』
乾いた草地へ回り、尾を身体に沿わせて伏せる。頭を低くすると、ちょうど家の切れ目から布張りの台が見えた。
緑の竜は、まだ眠り続けていた。
◇
台の後ろには、白髪交じりの男と、日に焼けた若い男がいた。
年かさの方が人形を操り、若い方は小さな太鼓を膝に載せている。役人が竜を起こそうと棒を振り上げると、太鼓が勇ましく鳴った。だが、竜が寝返りを打つだけで、赤い帽子は台の端まで吹き飛ばされる。
俺は鼻先を草へ近づけ、笑いが大きく響かないよう息を吐いた。
戦う前からずいぶん威張っていた役人が、竜の腹を前にすると急に腰が低くなる。小さな人形なのに、背中の丸まり方ひとつで、何を考えているのか分かった。
やがて旅人の人形が現れ、役人が勝手に立てた関所だと暴く。竜は取り上げた銅貨を返させる役目を引き受けたが、金の数を数えているうちに、また眠り始めてしまった。
最後は、困った旅人が竜の鼻先で鍋を叩いて起こす。
俺も少し前まで、寝床で頭のそばを木槌が鳴っていた。木の屋根を作ってもらっている最中だから、文句を言う気にはならなかったが、あの旅人の鍋はなかなか容赦がない。
台へ布が下ろされると、子供たちが一斉に手を叩いた。
若い男が帽子を手に広場を回り、そこへ銅貨が幾つか入っていく。リナも家の方からやってきて、帽子に一枚落としてから、こちらへ歩いてきた。
「ヴァルも見てたんだね。途中で笑い声がしたから、来てると思った」
『竜が起きないところが、妙に本当らしかった。あの人形は、よく動くな』
「朝、荷車から出すところを見たけど、竜だけでも何本も棒がついてたよ。口と首と尻尾を、別々に動かすんだって」
そう言われてから、畳まれかけた台を見直した。
俺なら首を動かせば済むことを、あの男は両手でやっていたのだ。客に見せる顔を変えながら、竜と役人と旅人の声まで、一人で使い分けている。
人間の器用さには、相変わらず驚かされる。
感心していると、当の男が緑の人形を抱えて近づいてきた。俺の少し手前で足を止め、帽子を脱ぐ。
「こちらが、村を守った竜殿でしたか。ご本人の前で、ずいぶん怠け者の竜をお見せしました」
『よく眠るところは、俺も似たようなものだ。面白かったよ』
男の目が、俺の口元へ向いた。
言葉を話すと聞いてはいたのだろう。それでも、自分に返事が来るまでは、実感が湧かなかったらしい。俺が人形へ鼻を向けると、彼は抱え直して、緑の頭を少し持ち上げた。
「この辺りで竜の話を聞くまでは、もっと怖い顔でやっていたんです。それを持ってきたら、子供らに違うと言われましてね」
下顎の端には、小さな穴が二つ残っていた。
そこへ長い牙を差していたそうだ。今は外されて、丸い鼻先に短い歯だけが並んでいる。
『見てみたかったな。そんなに怖かったのか』
「夜に荷を開けたとき、自分でも少し嫌になる顔でした」
男は真顔で答えてから、人形の口を大きく開けた。たしかに、ここから長い牙が二本出ていれば、寝顔まで恐ろしいものになりそうだった。
リナが俺の鼻先と人形を見比べて、笑う。
「牙がなくても、ヴァルの方が大きいよ。怖く見せようと思わなくても、人形のお父さんくらいあるもの」
『父親にしては、子の色が違いすぎるだろう。俺を見て作るなら、もう少し明るく塗ってくれ』
「金色の塗料となると、こいつだけ上等になってしまいますね」
芸人は竜の頭を撫で、それから俺を見上げた。何か思いついた顔をしたのが、はっきり分かった。
◇
「夕方に、もう一つやるつもりなんですが、竜の声を貸していただけませんか」
頼まれた俺より先に、リナが台を振り返った。
あの小さな舞台へ、どうやって俺を入れるのかと考えたらしい。男もすぐに手を振って、俺のいる草地を示す。
「こちらにいてくだされば結構です。山の向こうで眠っている竜が、声だけ出す場面があります。いつもは私が喋るんですが、せっかくなら、本物のお声で聞いてみたくなりまして」
『村を襲う役なら、あまり似合わないと思うぞ』
「襲いませんよ。山賊が巣穴を隠れ家にしようとして、竜を怒らせる話です。寝ているところへ酒樽まで運び込むんですから、怒られて当然でしょう」
それなら、俺にも気持ちが分かった。
目を覚ましたら知らない男たちが寝床で宴をしていた、というのは、ずいぶん嫌な話である。
引き受けると、芸人は若い相方を呼んできた。広場では大人たちが仕事へ戻り、子供も一度、家へ帰されている。台の陰で短く合わせておくには、ちょうどよかった。
俺の出番は、山賊が寝床の奥を覗き込んだあとだった。
芸人が竜の台詞を教えてくれたが、長い言葉を覚える必要はない。眠っているところを邪魔され、追い出すつもりで声を掛ければいいという。
『俺の寝床で、何をしている』
少し低くして言うと、相方の太鼓が止まった。
男たちは揃って俺の顔を見ていたが、やがて年かさの芸人が、ゆっくりと頷いた。
「今の声でお願いします。あれなら、山賊が腰を抜かしても大げさには見えません」
声を荒らげたつもりはなかった。だが、近くで聞くと腹へ響くらしく、リナまで自分の胸に手を当てている。
鳴き声も頼まれたので、息を短く吐きながら喉を鳴らしてみた。広場の端で草を食んでいた荷馬が頭を上げ、若い男が慌ててそちらへ駆けていく。
俺は口を閉じた。
『今ので、馬を驚かせたな。声は出せるが、吠えるのはやめておこう』
「ええ、客まで逃げてしまっては困ります。喋っていただくだけで十分です」
荷馬が落ち着くのを待ち、今度は声を遠くへ通すのではなく、台のある方へだけ向けて話してみる。
芸人は何度か位置を変えて聞き、太鼓を鳴らす合図も決めた。見物している間は考えもしなかったが、人形が振り向くより早く竜が喋ると、客には何を見ればいいのか分からなくなるそうだ。
俺は台へ目を据え、山賊の小さな頭が上がるのを待った。
◇
夕方の広場には、昼より多くの人が集まった。
畑仕事を終えた者が道具を置き、子供たちは前へ座る。トーヴェンは息子と並んで見物していた。俺が役を引き受けたことは、まだ知らない。
俺は草地へ伏せたまま、首を動かさずに台を見ていた。
最初に出てきたのは、昼と同じ役人だった。ただし今度は帽子が黒く、口の周りに毛糸の髭を貼られている。首を斜めに傾けるだけで、ずいぶん人相の悪い山賊になった。
「この洞窟なら、雨も風も入らん。王様の寝床より上等だぞ!」
若い男の太鼓に合わせ、山賊たちが樽を転がし込む。洞窟の奥へ布で覆った大きな山が作られ、山賊の親分が、その上に足を掛けた。
山が、ゆっくりと持ち上がった。
親分の人形が上を向く。俺は打ち合わせどおり、そこで口を開いた。
『俺の寝床で、何をしている』
広場が、一瞬静かになった。
次に、子供たちがこちらを振り向いた。トーヴェンも顔を上げ、村長は腕を組んだまま口元を緩めている。
台の上で、山賊の親分が樽の陰へ転がり落ちた。
「お、お邪魔しております。雨宿りを、ほんの少し……」
声だけなら、昼の威張った役人と同じ男とは思えなかった。さっきまで王様の寝床を欲しがっていた山賊が、今は帽子を両手で抱え、膝を細かく震わせている。
俺は笑いそうになり、鼻から息を抜いた。
それだけで台の前の布が少し揺れ、山賊が慌てて頭を押さえる。芸人はその動きを止めず、親分を洞窟の外へ這わせていった。
追い出す台詞は、教わっていた。
だが、昼に関所で竜が金を払わされていたことを思い出し、俺は一言だけ付け足した。
『樽を忘れるな。置いていくなら、場所代をもらうぞ』
村長が、先に吹き出した。
台の後ろからも、堪えきれなかったような息が漏れる。山賊の親分は樽を抱えて引き返したが、その間に部下が先に逃げてしまい、二つ目の樽を持てずに立ち尽くした。
困り果てた頭が、こちらと樽の間を行き来する。
俺が黙って待っていると、とうとう親分は大きな樽を転がし、もう一つを背負って逃げていった。広場に笑い声が広がり、俺も今度は隠さず笑った。
◇
布が下りたあと、芸人は汗を拭いながら俺のところへ来た。
「場所代を請求されるとは思いませんでした。樽を二つ出しておいてよかったですよ」
『勝手に変えて悪かったな。昼に、こっちが銅貨を取られかけていたから、思い出したんだ』
「いえ、あそこは私も笑ってしまいました。明日から一人でやると、竜の声だけが物足りなくなりそうです」
男はそう言って、台へ戻っていった。次の村へ持っていく人形を、今夜のうちに直すそうだ。
トーヴェンの息子が父親の手を引いてやってきて、俺の顔を見上げた。
「山賊、樽を返しに来るかと思った。ヴァルが見てたから、戻れなかったんだな」
『あいつらが戻るなら、今度は俺も起きて待っているよ。寝床で騒がれたくないからな』
トーヴェンが息子の肩へ手を置き、笑いながら台の方へ連れていく。近くで人形を見せてもらう約束をしていたらしい。
俺は身体を起こす前に、人が周りから離れるのを待った。
広場には帽子へ銅貨を入れる者と、さっきの山賊の真似をする子供が残っている。リナは家へ戻りかけていたが、俺が首を上げると、足を止めて振り返った。
「ヴァル、帰る前に、もう一つ聞いておきたいんだけど」
『台詞なら、あとはあの男に聞いてくれ。俺が覚えたのは二つだけだ』
「今度ここで眠り込んでたら、鍋で起こしていいのかなって。人形の竜には、よく効いてたから」
俺は広場を見た。
まだ片づけられていない小さな鍋が、台の脇へ置いてある。
『そのときは、先に名前を呼んでくれ。起きなかったら、もう一度頼む』
彼女は笑って手を振り、家の方へ戻っていった。俺は尾の先を確かめてから立ち上がり、村の外へ歩き出す。
背後では、芸人が緑の竜の口を動かし、さっきの俺の声を真似していた。
少し高いが、言い方はよく似ている。
『場所代は、忘れるなよ』
振り返ってそう言うと、今度は人形の竜が、俺に向かって大きく頷いた。




