1.初めての観劇
「エレーナ、部屋に引きこもってばかりいないで、たまにはお芝居でも観に行きましょう」
叔母に半ば強引に誘い出されたわたしは、いつぶりか思い出せないくらい久しぶりに、馬車に揺られていた。
お尻の痛さと、揺れによる気持ち悪さのせいで、すぐにでも引き返したいくらいだ。
けれどここで引き返したのでは、ただひどい目にあっただけになってしまう。
腰をぎゅうぎゅうに締めあげられ、着替えをし、長くのびた髪を結い上げ、窮屈な履き慣れない靴を履いて家を出てきたのだ。
なにか得て帰らなければ、あまりにも割に合わなさすぎる。
しばらくして、ようやく馬車が止まった。
「痛っ」
馬車から降りようとして、頭を馬車の天井にぶつけた。
家に引きこもっているあいだに、何故か背だけはひょろりと伸びてしまった。
そのせいかもしれない。
馬車を降りると、ここからは舟で川を渡るのだという。
観劇というのは、なかなかに大変だ。
川の向こうに、三階建ての建物が見える。
円筒形に近いその建物が、どうやら目的の劇場らしい。
川を渡り、舟を降りると、劇場の周囲は、芝居を楽しみにしている人々で賑わっていた。
人混みを抜け、劇場に入ると、上階に用意された席に案内される。
知り合いと思しき人々と、「ごきげんよう」と挨拶を交わしながら進む叔母のあとに続いて、席に着いた。
近くの席には、わたしたちと同じような装いの方々が既に着席しており、その表情から気持ちが高揚しているのが伝わってくる。
「今、一番人気のある劇団なのよ。主人公の好敵手役の方が、それはもう素敵で…」
叔母は馬車に乗った時から……いや、屋敷にわたしを迎えに来た時から、ずっとこの調子で、いかにこの劇団が素晴らしいかを伝えようとしてくださっている。
けれどわたしとしては、もうここまで来てしまったのなら、百聞は一見にしかず、と思っている。
そして、いよいよ幕が上がった――。
舞台ではなんとかというタイトルのお芝居が行われている。
きらびやかだったり、滑稽だったりする衣装を身にまとった人々が、舞台上で何かを演じている。
けれどわたしは、開演後少ししたくらいから、胸のむかつきとの戦いに必死だった。
芝居がどうこうではなく、きっと胴を締め上げているのと、慣れない人の多さと、劇場内に満ちる熱気のせいだ。
目を輝かせて舞台を観ている叔母に、外で休んでいる、と手振りで伝えて、席を立つ。
近くに、控えているはずの従者の姿は見当たらなかった。
お芝居が始まったばかりで、まさかわたしがもう出てくるとは思っていないのだろう。
どこかで休憩をしているのかもしれない。
わたしはよろよろと階段を下り、なんとか劇場の外に出た。
そのまま壁伝いに、落ち着ける場所を探す。
――と、
ドンッ
と、ふいに何かにぶつかった。
「あっ」
うつむいて歩いていたのが、いけなかった。
ぶつかった衝撃で、体がよろめく。
倒れるっ!
思わず目をつむる。
と、ぐい、と強い力で手を引かれ、転倒を免れる。
驚いて目を開けると、そこにはかわいらしい顔があった。
ブロンドの髪に、きれいな青色の大きな瞳。
思わず見惚れていると、
「大丈夫ですか?」
と、そのかわいい顔から、男性の声が発せられて、わたしは驚く。
「え?」
「お怪我はありませんか? レディ」
わたしに対するその仕草も、男性のものだった。
思えば、わたしの手を引いてくれたその強い力も、その手のかたい感触も、女性のものではない。
身に着けている衣装は、女性のもので、その顔もこんなにかわいいのに、この人は男の人だ。
身長はわたしとほぼ同じくらいで、目線がまっすぐに合う。
「はひっ、あっ、あ、だ、だい……だい、だい、じょ……ぶ……です」
声が裏返り、その声に自分でもびっくりして、小さな声で、なんとか返事をする。
身内以外の人と話すのも久しぶりなら、ましてや身内や使用人以外の異性とこんなに近い距離で会話をすることなど、初めてのことだった。
胸が、どくどくと早鐘を打っている。
「それはよかった。すみません、先輩におつかいを頼まれて、急いでいたもので……。あ、おれはここで見習いをしているジョンと言います。今日はメイド役で舞台に立たせてもらっていたのでこのような格好で、失礼しました」
なるほど、そういうことか。
それなら、もしかしたらわたしが見ていたあの舞台の上にも、ジョンは立っていたのかもしれない。
記憶には全くないけれど……。
「い、いえ……。あの、も、もう大丈夫ですから……」
わたしはじりっと後ずさりして、ジョンから距離を取る。
これ以上、近距離にいては、心臓がもたない。
「そうですか。ですが、レディおひとりでは危ないですよ。お連れの方は?」
「従者が、どこかに……」
「おれが探してきましょう。失礼ですが、お名前をお訊きしても?」
「わたしは……」
「エレーナ様!」
自分で名乗る前に、わたしを探していたらしい従者が慌てた様子で現れ、わたしの名を呼びながら駆け寄ってくる。
その様子を見て、ジョンは「よかった」と安堵した様子で笑みを浮かべた。
その笑顔もかわいらしく、やっぱり男性とはなかなかに信じ難い。
「あ、ありがとう、ジョン」
「どういたしまして。それでは、おれはここで。どうぞお気をつけて」
ジョンは、メイドらしくスカートを持ち、挨拶をすると、するりとうちの従者の横をすり抜けて去って行った。
「エレーナ様、申し訳ございませんでした」
従者が青ざめた顔で謝罪する。
「構わないわ。それより、少し休みたいのだけれど」
「承知しました。休める場所までご案内致します」
「お願いするわ」
従者に従って歩き出す。
ちらりと、ジョンの去った方へ目を向けたけれど、もう、その姿を見つけることはできなかった。




