a:神様の伴侶
首都から離れた寒風吹きすさぶノマキの町。そこが私の故郷だ。その町で、私がまだ幼い頃、生まれたばかりの下の弟を神様に連れて行かれた。
それはまだ、私が日常的にマスクを被るようになってすぐのほんとうに小さい頃で、上の弟はまだマスクを付けていない頃のことだったので、両親はその時のことを覚えていないだろうと思っていたようだった。
上の弟が成長して、大人と同じように日常的に顔の上半分を覆うマスクを被るようになっても、私はその時のことをはっきりと覚えていた。
マスクを被らずに素顔を晒していた神様。
世界を作ったと伝えられている、人々を見守り恵みを与える神様。私たちが住んでいる星が点在するこの宇宙を統べる星間宇宙の帝王。
その神様は、私たち人間の中から伴侶を選び、住んでいる花畑へと連れて行くのだという。
体を覆う菜の花色のマントから腕を伸ばし、すやすやと眠る弟を抱えてどこかへと消えた神様。
その時、私はこわくて悲しくて、泣いて止めることしかできなかったし、両親は目の前に顕れた神様にひれ伏すばかりだった。
弟を腕に抱える神様を前に、お父さんもお母さんも、泣きそうな声でこう言った。
「これは栄誉なことだから」
「神様の伴侶になった子は、大切にされてしあわせになるから」
今思うと、その言葉は私をなだめるためではなく、自分たちに言い聞かせるものだったのだと思う。
神様は姿を消す直前に、残された私たちに[ギフト]という、恵みをもたらすなにかを与えていった。
私に与えられたそれがなんなのか、私にはわからない。けれども両親はそれぞれに、ギフトを生かして今まで抱えていた夢を叶えたり、生活を豊かにしたりした。
さらに、私たち家族は神様から祝福された人間として、周囲の人たちからもてはやされた。
だから、こわくて悲しかったけれど、神様のしたことは悪いことではなかったのだと思っていた。
下の弟が神様に連れて行かれたあと、すこしの間だけ家の中が暗くなった。弟がいなくなって寂しかったのだ。
それでも、お父さんとお母さんが神様の元にいれば大切に育ててもらえるからと何度も言っていて、それを聞いていた私はいなくなった弟は神様の元でしあわせになるんだと信じて疑わなかった。
下の弟をしあわせにしてくれて、私たちの生活も気遣ってくれているであろう神様に対して、私は自然と信仰を寄せるようになっていった。
小学生のうちから毎週の礼拝は欠かさなかったし、地域のボランティアにも参加した。もちろん、それは神様への信仰があってのことだけれども、礼拝やボランティアのあとには家族揃ってファミリーレストランに行って、デザート付きのいつもよりちょっとだけ豪華なごはんを食べられるのも楽しみだったからなのだけれど。
中学に入ってからも礼拝とボランティア活動は欠かさなかった。時には、近所小さな神殿、一般的に社と呼ばれるところの礼拝のお手伝いもした。社の掃除だとか、礼拝の時に配る琥珀糖を決まった数だけ籠に入れるだとかそんなことだ。
小学生の時は参加して楽しむ側だった社でのレクリエーションも、中学生になってからはスタッフとして参加して小学生の子たちと遊んだっけ。
そして高校に進むとき、私は神殿直轄の高校に入りたいと希望した。礼拝の時に感じる安心感、神様は見ていてくれるというあの安心感の中で高校生活を送りたいと思ったのだ。それを学校の担任に伝えると、担任はよろこんで、神殿直轄の高校なら推薦が取れるだろうと私に言った。なんでも、成績そのものは推薦が取れるギリギリの水準だけれども、普段の生活態度やボランティア活動の実績、それに毎週欠かさず礼拝に行っていることが、神殿直轄の高校の推薦を取るのに有利になるというのだ。そして実際に、推薦を取れたことはうれしいことだった。
ここまでの出来事だけでも十分に神様に感謝することだけれども、私自身のことよりも、より一層神様に感謝したい出来事が高校に入った頃に起こった。
家に残った方の弟、上の弟は小学校に入っても文字が書けなかった。読むことはできるのだけれども、どれだけ学校で習っても、正しく文字を書くことができなかった。お父さんとお母さんがその原因を調べるために弟を病院に連れて行くと、発達の特性の都合で文字を書くのが困難なのだろうと言われたそうだった。
その話を聞いたとき、私はどうしたらいいのかわからなかった。文字を書けなかったら、この先生きていくのに不便なのではないかと本気で心配した。だから、私は弟が文字を書けるようになるように毎日神様にお祈りをした。
文字を書けない弟をサポートするために、お父さんは弟の代わりに文字を書けるホムンクルスを買ってあげていた。ちいさなホムンクルスは弟が書きたい言葉を、鉛筆を抱えて起用に紙に書いたし、それを見て弟もよろこんでいた。ホムンクルスがいたおかげで、弟が学校の授業にもついて行けていた。だからもしかしたら、ホムンクルスさえいれば弟は文字を書ける必要がないのではないかと思った。
それでも、私は毎日お祈りをしたし、弟も自力で字を書けるようになりたかったのか、毎日練習をしていた。弟が好きな駅の看板を見ながら、それをまねるように毎日ノート一ページ分ずつ、一生懸命練習していた。
その弟が、私が高校に入った頃に、見本を見ずに文字を書けるようになったのだ。
駅の看板に使われている文字だけという制限はあるけれど、日常を送るのには十分なだけの文字が書けるようになったのだ。
私はそのことを神様に感謝した。弟が文字を書けるようになるまで見守ってくれたこと、ここまで努力できるように見守ってくれたこと、そして、私に諦めを与えなかったことに感謝した。
お父さんとお母さんは、私が高校に入学したこと以上に弟が文字を書けるようになったことをよろこんでお祝いをしていた。
もちろん私も、自分のことよりも弟のことを祝福した。もうこれで、文字が書けないからと弟が学校の先生からつらく当たられなくて済むんだとほっとした。
多分、その時に私は神様に人生を捧げることを薄々ながらにも考えていたのだと思う。高校に通いながら祈りを欠かさず、ボランティア活動も続けて、一緒に活動をしている神官に憧れを抱いていた。
私もあんな風になれたら。
そのためには、大学を卒業して神学校に通えるようにならなくてはいけない。そしてもし、本当に神官になったとしたら、私はもうこの家には帰って来られなくなる。
とてもつらいことかもしれないけれど、それでも、私は神官になることに憧れた。
私も下の弟のように、神様にこの身を捧げるのだ。