第八十四話 ありがとう
戦いの焼け跡は凄惨で、カグヤの返り血に心が蝕まれてしまう。
もう、後には引けない。
皆仲良く指名手配犯だ。
俺もカグヤも、コウもメルフィアも。
誰も此処には残れない。
「メルフィアさん! メルフィアさん…!」
懸命に治癒魔術を施して、なんとか命を繋ぎとめている魔術師がいた。
メルフィアが胴を両断されていた。
フードを深々と被る男は血みどろのサーベルを投げ捨て、傷心のミーロン抱え上げつつ、空間転移魔術の刻印を踏んだ。
「この俺が逃がすと思うか…?」
剣は砕けた。
残るは疲労の蓄積した五体。
魔力だけが有り余る、中途半端な鉤爪。
「目的は果たした。あんたの相手をする時間は無い」
「ッ…待て!」
瞳が霞み、視界が明くなった。
最後に映した真珠のような瞳は、光など微塵も通さない、深淵を覗き込んだ暗黒の宝石。
右目を覆う艶やかな髪が、悲しく濁って見えた。
「ごめんねアビル。私、あいつらに手一杯でこっちまで手が回らなかった」
無理もない話だ。
あれだけの物量を単騎で殲滅したのだから。
「お前はよくやったよ。取りこぼしたのは俺の方だ…」
心を折られ、泣き崩れるコウにかける言葉が見つからない。
残り僅かなメルフィアの息。
「俺はお前が大嫌いだったよ。正直言って、死んでくれて清々してる」
俺は反射的に、コウに嫌われる選択をした。
胸ぐらを掴まれてもいい。
殴られてもいい。
その両方が、弟子の覚悟と受け止めろ。
「才能に富み奢らず、日々研鑽に明け暮れるお前を疑った日は無かった。悪道に魅入られてからもそう。その術理は些かも衰えること無く、寧ろ研ぎ澄まされていった。ガキの分際にしては、まずまずの開花と言えよう」
「……」
メルフィアの息が、徐々に細くなっていく。
「引き返せばよかったものを…馬鹿な女だ」
「……」
「二度と俺の前に現れるなよ。そしてもう二度と、コウを泣かせるな」
「…?」
あるかなしかの寸秒の狭間。
俺はありったけの魔力を指輪に込めた。
「時剋憐憫裁縫」
天に掲げる、円環の導き。
戻す時は数時間。
少しでも、彼との思い出を残してやろう。
――甘いな、お前は。
知っている。
そんなこと、500年前から言われてた。
認めるよ。
今も昔も、俺は変わらない。
でもいいんだ。
俺は、人間であり続けたいからこうするんだ。
「…はァッ!」
出来るだけ早く、血の流れより早く。
メルフィアの傷を巻き戻せ。
「す…凄い!」
別に凄くなんてない。
いつか、お前なら出来る。
だから見せてるんだよ。
「いたぞォー! あそこだー!」
チッ…追っ手が来たか。
うかうかしてられないな。
「少し黙らせてくる」
「頼んだ」
カグヤが刀を握る姿は、いつ見ても美しい。
生来傲慢不遜に生きてきたが、見蕩れるなら彼女がいい。
直線的に歩むその姿に、いつまでも俺を添えてくれ。
「メルフィア。貴様への温情も、これで最後だ!」
俺は時計の針を一気に回した。
そして時を巻き戻し終えた。
メルフィアの腹部は、傷一つ残らずに完治した。
これでようやく、出発地点だ。
「…コウ?」
メルフィアが今、ハッキリと目を覚ました。
痛覚の反応がまるでない状況に違和感を感じ、全身を揉んでいる。
ああ、胸も。
コウが飛び込むのを待ちかねているようで。
「メルフィアさん!」
「…え」
瞳を焼かれる熱い抱擁。
多少のいやらしさはご愛嬌。
若き天才魔術師は彩られた思春期を突っ走り、目頭が赤くなるまで雫を擦った。
「よかった…本当によかった…」
コウの抱擁が強まるほど、メルフィアが赤くなる。
「助けられたの…ですね」
メルフィアが視線を寄越したので、俺はそっぽを向いた。
「愛弟子の覚悟に泥を塗る師匠は居るまい。全てはコウのため。お前のためでは無い」
「……存じております」
メルフィアは不服そうに、下唇を噛んだ。
施したい気持ちがあるらしい。
「ならそれでいい。お前はコウの未来に従事しろ。愛されろ。そしてもう二度と、害ある行動に他者を巻き込むな」
「はい…」
「…まあ、お前の程の魔術師が傍にいれば、そう易々とコウの身が危険に晒されることもあるまい」
そう言うと、メルフィアがハッとした顔で俺のズボンを掴んだ。
「…今、わたくしのこと褒めました?」
「褒めたつもり。というか、さっきも…」
俺は言葉を切った。
メルフィアが大粒の涙を流していたから。
気が散って。
「わたくし…わたくし今…初めて…」
なんで泣いているんだ?
コイツは昔から、わけがわからない。
まあいいか。
コウを守ってくれるなら、それで。
「師匠!」
改まった様子で、コウが手を挙げた。
涙は空になったようだ。
「なんだ? 別れの挨拶か?」
「はい!」
と、コウが真剣な眼差しで頭を下げた瞬間、涙腺が緩んでしまった。
喉が圧迫されるように痛い。
ああ…そうだ。
今の今まで考えてたじゃないか。
もうお別れなんだ。
何年一緒にいたっけ…。
…7年。
そう、たしか7年だ。
長いようで短かった。
……ああ。
これが最後なの…やだな。
もっと一緒に居たかったな。
辛いな。
まだまだ教え足りない。
教えたい。
魔術だけじゃなく、剣術や弓術、槍術だって教えたい。
でもそれは叶わない。
だって、だって。
彼はもう、真っ直ぐ前を向いている。
涙を堪えて、俺よりも早く前を向いている。
「師匠。今まで本当にありがとうございました」
涙が零れた。
髪をむしりたくなる程、苦しくなった。
痛い、痛い、痛い。
とにかく痛くて、苦しくて、声を抑えるのに必死になった。
「俺はまだ…」
何もしてやれてない。
俺は人より、時間の進みが遅いんだ。
だから教えるペースもゆっくり。
…俺も、人のことを言えないぐらい馬鹿なんだよ。
不老不死を言い訳にして、人の寿命を無視して教授を気取ってる。
コウは凄いやつだ。
そんな俺についてきたんだから。
「オレの師匠が、アビル師匠で本当に良かった。覚えてます? 師匠はあの日、オレに言葉を教えてくれたんですよ。それで次は魔術、その次は体術。日に日に増える注文に、師匠は一切嫌がる素振りを見せずに教えてくれたんです。後ろ姿を追いかけてばかりだったけど、それでもオレは楽しかった。この世界に来てからずっと、孤独だったオレを拾い上げてくれたあの日から、師匠は変わらず未来永劫、オレの憧れです」
涙ぐみながらも、コウは強い眼差しでそう言った。
杖も無い、剣も無い。
あげられるものは何もない。
せめて何か、小さな物でも贈りたかったな。
「ありがとな…」
俺はコウの頭を撫でた。
縮こまる彼の涙をハンカチで拭きながら。
屈まなくても、頬に手が届く。
気づかない内に、もうこんなに背が伸びていたんだ。
筋肉も付いて、すっかり男らしくなった。
顔も立派だ。
「コウ。お前が弟子で、本当によかった」
俺が伝えられなかったこと。
コウはきちんと伝えられたんだ。
「もういかないとな」
「はい…」
音が鳴り止んだ。
カグヤが撤退させた。
無傷で帰ってくるとは、さすがは未来の戦乙女。
「姐さん。今まで本当にありがとうございました」
カグヤは泣いていなかった。
でも、辛そうな表情ではあった。
「寂しくなったら、いつでも来なよ」
「…はい!」
カグヤが地面に紋章を刻む。
簡易的な転移魔法陣だ。
コウとメルフィア、二人だけが乗る。
俺とカグヤは術式の起動を手伝い、目的地は二人に任せた。
「では、また何処かで」
二人を包み込む光の帯。
まだ何か言いたげなコウを背に、俺とカグヤは歩き出した。
でも、最後に一つだけ伝えておかないと。
俺は立ち止まり、コウと目を合わせた。
「コウ、お前は俺の弟子だ。願いは必ず結実する」
「ほ…ほんとですか!?」
「ああ。俺は勘がいいんだ。弟子の未来程度なら、透かさずともわかる」
光が収縮する。
次で最後にしよう。
「魔術師なら誰もが目指す、天撃の頂きでお前を待つ。忘れ物があったら取りに来い」
もう、振り返る必要は無いな。
ただ真っ直ぐに、彼のように歩くだけだ。




