第八十二話 信じていた
---コウ視点---
こんなことは間違いだ。
間違いだってわかってる。
彼女を庇う理由なんてない。
メルフィア・スリンフォードという女は、有無を言わさずこの世から抹消すべき絶対悪だ。
たとえ輪廻転生から幾ら贖おうと、絶対に滅罪されない所業を延々と重ねてきた。
その結果がこれだ。
眼前に広がる終末の宴。
先刻、屋敷はアルストロメリア兵団第四、第五師団に占拠された。
裏門より、王国処刑人の侵入を許した。
その他見知らぬ組織の人間も多数いて、荒事専門の傭兵まで頭数に入る。
主人は屁理屈を述べ、これでもかというほど師匠にすがりついて泣き喚いている。
無様にも粗相を隠さず。
泉はとめどなく、タイルを伝い壇上へと続いた。
壇上には、二人の男がいた。
一人は執事ゼルマ。
もう一人はフードを被っていて、よくわからない。
でも、背が低い。
体重も軽そうだ。
「事後処理は任せる」
神滅因子は見知らぬ男へと渡った。
ゼルマが行う解呪により、透明ケースは戒禁と共に消滅。
青紫色の光の玉は、歪な棘棘の球体となった。
「罪人メルフィア・スリンフォードを捕らえろ」
この一言で、兵団が動いた。
師匠と姐さん、メルフィアを取り囲む兵士達。
先頭に立つは処刑人。
大きな出刃包丁のような処刑具を所持している。
「い…嫌…」
メルフィアの顔は、恐怖に染まりきっていた。
どう足掻こうと、状況は覆らない。
勝てないとわかってるんだ。
「これで貴様に会うのも最後か。ようやくか」
師匠がワインのコルクを噛んだ。
グラスに注がず、直で飲んでいる。
「アビル…」
姐さんが不安そうに師匠を見た。
普段の彼からは想像もつかない冷徹さに、今しがた複雑な感情を抱いていると見える。
「あれだけ叫んでも、どれだけ叫んでも、貴様の味方は誰も居ない。見ろ、そこな無数に散らばる敵の数を」
「あ…ああっ…」
「どうした? 逃げるなら今しかないぞ」
師匠の温情は極めて意地悪なものだった。
逃げられるわけが無い。
外は、生粋の戦闘集団で固められているんだ。
たかが一魔術師に打開できる程、層は薄くない。
「相変わらず、お優しいことで」
ゼルマのこの言葉に、師匠はあまり面白くない反応を示していた。
「優しい? 何処がだ?」
師匠はメルフィアの頭を、空瓶で殴り付けた。
「ギャアッ…!」
そんでもって、捻じるように踏みつける。
「情など、砂糖一粒程の欠片も無いわ」
メルフィアが嗚咽を零すと、今度は踵で手を踏んだ。
痛がる彼女を見て、更に加撃。
これ以上は…流石に見てられない。
今は魔術が使える。
屋敷の結界が解かれたからだ。
いける。使える。
「転移」
俺はメルフィアを転移させ、自分の懐に引き寄せた。
怯える彼女の手を取って、優しく宥めた。
馬鹿だな俺は。
この期に及んで、何やってんだ。
「キサマ。ソノザイニンヲカバウノカ?」
処刑人から放たれた機械的な声に、足が竦んだ。
怖くなった。
魔力も安定しない。
「コウ、お前は頭が良い。それが如何に愚かな行いであるかわかっているはずだ。さあ、彼女を彼らに引き渡せ」
「嫌です」
「それは、何故だ?」
師匠の目は、真っ直ぐに俺を捉えていた。
怒るでもなく、叱るでもなく、ただ真っ直ぐに。
何処か、寂寥を漂わせて。
「師匠の仰る通り、オレは彼女の全てを知っています。おのが人生の大半を、余すこと無く残虐非道に費やした生粋の下衆と言えましょう。ですが、オレは好きになってしまった。突如として奪われた自由の中に、無理矢理叩き付けられた寵愛が、オレを狂わせてしまった。でも、狂うことを望んだのは紛れもなくオレ自身で、彼女の行為は関係無い」
「愚かな……それは欲だ、偽りの愛だ。無雑な魂魄を傷付ける心の病だ」
「ええ、それは百も承知です。でも」
俺はメルフィアを結界の檻に閉じ込めた。
絶対に死なせるもんか。
手放すもんか。
「オレは、彼女と共に生きていきます」
この決意だけは、折り曲げてはいけないな。
師匠は悲しげな顔で、それ以上は何も言わなかった。
迫る処刑人の刃に、身構えた。
「本当にそれでいいの? 後悔は無い?」
姐さんが心配そうに声を掛けてくれた。
胸が熱くなった。
涙が零れた。
そうだ、オレは姐さんが好きだったんだ。
ずっとずっと、想い続けていたんだ。
何度気持ち伝えても返事は返ってこなかったけど、それでも俺は、姐さんの笑顔が見れるだけで十分に幸せだった。
きっと姐さんも同じだった。
だから今、泣いている。
なんで、どうして姐さんまで泣いてるんだよ…。
「私が告白の答えを出さなかった理由。なんでか分かる?」
「……わかりません」
「ずっと三人一緒が良かったから。もし私が返事をしてたら、きっと旅は終わってたよ」
長き時を経て明かされた真実。
それは、姐さんの涙の笑顔で上書きされた。
「旅はね、誰が欠けてもダメなんだ。そりゃ勿論ずっと一緒なんてのは無理。各々目的も違うだろうし、夢だって芽生える。でもね、もう少し一緒に居たかったな…ては思うよ」
姐さんは拳ぎゅっと握り締め、涙を拭いて刀を握った。
「コウの決断に私は異を唱えない。でも、ここにいる人達は皆コウの敵だ。背負う荷物が、あまりにも重すぎるからね」
俺は周囲を見渡した。
先程まで騒がしかった外野が、一気に静まり返っている。
メイドと従者が取り押さえられている。
そうか、この人達は端から切り捨てられる存在だったのか。
「お話は済みましたかな? では…死んでいただきましょう」
ゼルマが指を鳴らす。
処刑人が大剣を振り上げる。
大剣には、幾つもの強化魔術が付与されている。
死ぬ。
まともに喰らえば、一刀両断。
メルフィア以前に、俺が助からない。
「待て」
師匠の声がした。
処刑人と、兵団の動きが止まる。
「おお、遂に答えを頂けるのですね」
「ああ。実に考えさせられる時間だった」
答えとはなんだ?
いや、そんなことより、師匠が壇上に上がるなんて。
嫌な予感がする。
「我々が手を組めば雷神、否、天道神にすら牙が届きましょう。さあ、手を」
ゼルマが差し出す手。
歴戦の傷が浮かび上がる剛腕。
明滅する稲妻は、全身を走っている。
「この手を握れば、我が野望に一歩近づけるか」
「ええ。お望みとあらば、そこに転がる女も好きにして頂いて構いません。どの道貧民街で輪姦された後、処刑されるのですから」
ゼルマの声が、次第に重くなる。
同時にメルフィアへ向けられる視線は好色と化し、兵団の士気が上がっていく。
こいつら…。
「は…はひっ…」
苦し紛れに、メルフィアが俺の袖を掴んだ。
瞳は空虚で、水滴が垂れている。
「大丈夫。オレが守るから」
でも、師匠が敵に回ったら俺に成す術は無い。
紙屑同然に焼き尽くされて終いだ。
「別に興味無いが…酒の肴くらいにはなるか」
少し考えたあと、師匠がゼルマを見下ろした。
「では、先に望みを叶えましょう」
「おお、気を遣わせて悪いな」
「貴方との関係は大切にしたい。代替できない貴重な同胞ですから」
「そうか、では」
師匠がゼルマの手を取った。
堅い握手を交わして、ふっと笑を零した。
互いが互いを主張し合わず、あくまでも対等に。
あ…ああ。
ダメだ。
こうなったら、もうダメなんだ。
俺は逃亡の準備を始めた。
しかし、今になって魔術が使用できなくなった。
あいつだ、ゼルマだ。
ゼルマの仕業だ。
どうする。
このままでは逃げることは愚か、立ち向かうことすら出来ない。
死ぬ。
やっぱり死ぬのか。
俺はまた、繰り返すのか。
――視線を戻して、前を見ろ。
突然誰かの声がした。
懐かしい声だ。
俺は視線を戻した。
壇上から流れ出る、夥しい血が目に入った。
「これは…一体なんの真似ですか?」
ゼルマが師匠に、疑念の目を向けた。
怒り、というよりは困惑。
ゼルマの右腕が引き千切られていた。
「望むのは、貴様の首だ敗残兵」
刹那。
師匠がゼルマを殴り飛ばした。
壇上後ろの壁は強固で、簡単には割れない。
なのに、ゼルマという人型の弾丸が巨大な窪みを生み出した。
「なるほどなるほど……いや実に残念」
パラパラと砂が落ちてきた。
瓦礫が一瞬で焼却された。
間を置かずして紫色の光が師匠を貫き、前方の壁を何枚もくり抜いた。
師匠は鮮血を撒き散らして、壁の向こうへ飛ばされてしまった。
「師匠!」
声をかけたが返事が無い。
もしかして死んだ…?
あの師匠が?
そんな…まさか。
「よそ見すんなよ、雷神気取り」
姐さんがゼルマに斬りかかった。
太刀筋は捌かれたが、背後から伸びる黒手がダメージを与えた。
「なるほど…あれが噂の妖魔か」
フードを被った男が言う。
口元は不気味に裂けていた。
「所詮、アビル・スターマインもこの程度か。まあ、無理も無い。我が相手ではな」
ゼルマの口調が変わった。
これが本当の話し方なんだ。
傲慢不遜で高圧的な、聞いてて嫌になる声だ。
「あー…そういう奴、今まで何人もぶっ殺してるからアビル」
「信頼しているのだな。あの役立たずを」
「まあね。つーか、お前が役立たず言うなし。言っていいのは私だけだから」
姐さんの姿が見えない。
速すぎる。
それに対応するゼルマもおかしい。
「太刀筋は悪くない。だが遅い!」
ゼルマの拳が姐さんの刀に当たる。
姐さんは衝撃で後退。
距離を取りつつ、兵団にも目を光らせる。
「…めんどっちい奴」
姐さんは器用に刀をクルっと回転させ、鞘に戻した。
いつもの居合の型かと思えば、そうでは無い。
構えない。
「そろそろ頃合いかな。おーい! いつまで様子見してんのー!」
姐さんが壁の向こうに叫んだ。
そこから一秒後、尋常ならざる魔力の津波が襲ってきた。
波は直ぐに引いたが、恐ろしく冷たかった。
呼吸ができなかった。
皆が皆冷や汗をかき、処刑人や兵団連中も呆然と立ち尽くしていた。
俺は自身の身体に防御魔術を張った。
明確な死の予感がぬぐえない。
壁の向こうから霧が出てきた。
霧は人型。
それも、少し背が低い。
霧は剣を持っていた。
透き通るような波紋を持つ水色のレイピアだ。
霧を生み出していた正体はこれ。
「起きろ、亜空界剣」
美しくも力強い、若く高い声だった。
師匠の声ではなかった。
でも、口調は師匠だった。
霧が晴れた。
「誰だ…?」
俺は目を疑った。
そこには、一人の少女がいた。
矮小な身体に、自信満々な表情を浮かべる少女が。
神々しく輝く銀色を、二つ結びにした少女が。
純白の戦闘服を身に纏い、七色の瞳を光らせて立っていた。
「アビル・スターマインだか?」
師匠だった。
場が凍りついた。
面影がまるで無くて、どこからどう見ても女の子だったから。
それに、右眼に八芒星が浮かんでいる。
左眼の八芒星は十六芒星に変わっていた。
「なんかムカつく…!」
姐さんが嫉妬を零した。
うん…まあ、見れば見るほど美少女だもんな。
どういうこと、これ?
「ご無事で何より。で?そのみすぼらしい格好で戦うのか?」
ゼルマが嘲笑うように言った。
「みすぼらしいとは失礼な。これはれっきとした魔装だ。それも、神すら滅せる超越の御業」
師匠が残っていた鞘を斬る。
目にもとまらぬ速さで斬り刻んでいく。
その結果、長剣そのものが姿形を変え、雪の結晶のような波紋が刻まれた聖剣へと変化した。
「第一魔装・爻剣北欧戦姫」
師匠が振り抜く刃は、建物を砂状に変えた。
吹き抜けではなく、外に出た。
兵団の動きが止まる。
全員、床に倒れていた。
「ならば我も、本気を出すとしよう」
ゼルマが右手を開いて、魔力を集めた。
すると後方からドンと爆発音が鳴り、金属の塊が飛んできた。
死神笛と呼ばれる、漆黒の大鎌だ。
「我は雷神の系譜。雷帝、ゼルマ・ブルゴーラ。法輪殺戮師団副団長が一人だ」
ゼルマが大鎌を後ろに構えた。
凄まじい魔力の奔流だ。
上半身の服がちりじりに焼き飛ばされ、帯電が渦を巻く。
狂気の笑み、雷鳴の竜巻。
胸部に埋め込まれた青紫色の水晶が、彼の全力を表していた。
「クククッ……没落の英雄神風情が。古今東西世界を統べる、千変万化の合成獣に敵うと思うな」
七色の滅光と、紫電がぶつかり合う。
それは天変地異にも等しい、凄惨な魂の削り合い。
先制を取るのは、師匠だった。




