第八十話 届かぬ想いと歪な決意
この話は、ある少女が行方を晦ましてから始まる。
少女は屋敷の地下にいた。
狭く換気の悪い地下三階に、存在しないはずの階に一人、裸体を鎖で繋がれて、細い息をしていた。
餌は一日二回。朝と夜。
飼い主が戻るまで、ずっと寝ていた。
目が覚めると、眼前に男がいた。
飼い主だ。
飼い主は、屋敷の執事だ。
執事は、少女を優しく転がした。
愛でて愛でて、おだてて食べさせ、咥えさせる。
ああ、良かった。今日は何も無い。そう思ってからが絶望の始まり。
少女は、男の全てを知っていた。
知っていて尚、夢を見てしまった。
これで帰れる。
これでまた、あの人と一緒にいられる、と。
しかし、少女の鎖はまた増えた。
瞳に宿る希望に、男の唾が飛んだ。
夜になると殴られた。
ズタボロに犯された。
少女は耐え難い暴力を受けていた。
意識がとんだら、はいおしまい、とはならない。
とんでからも続いた。
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ある日を境に分岐した少女の人生。
遡れば、それは幼少期に行き着く。
がしかし、少女は覚えていない。
度重なる恐怖に押し潰されて、過去を忘れてしまった。
弟は可愛がられた。
でも少女は、ずっと頭を叩かれた。
何をしても怒られて、機嫌を取っても怒られた。
罵詈雑言を浴びせられて、踏みつけられることもあった。
逃げられなかった。
相手は、あの極悪魔術師。
準虹蜺級魔術師メルフィア・スリンフォード。
彼女は、魔術師でありながら体術を扱う。それも、精度が有り得ない。
少女は身をもって知っていた。
逃亡を図れば経穴を突かれ、羽交い締めにされた後、首の骨を折られる。
折られた後は蘇生され、また何時もの日常。
気が狂いそうな日常に、少女は適応したのだ。
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話は戻るが、少女は地下で飼われていた。
監禁されていた。
メルフィアの指示を受けた執事に、性玩具にされていた。
泣き喚こうがお構い無し。
物のように扱われて、死を予感する一歩手前で男は去る。
少女は自殺願望を抱き始めた。
(……でも)
少女は下唇を噛み締めて綴る。
(まだ死ねない。好きな人が出来たんだ。まだ想いを伝えてない。伝えるまでは、死ぬわけにはいかない)
少女の心象風景。
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何故、自分がこんな目に遭っているのか。
何故、自分だけなのか。
魔族だから?
『否、君の力が問題だ』
それは、ある少年から聞いた言葉。
品定めをされた日の話だ。
『それは、わたしのせいですか』
少女は不安げに問う。
『否、死神笛のせいだ』
少年の話は難しく、少女には理解出来なかった。
でも、一つだけ分かったことがある。
弟が持っていた大鎌。
あれは確か、笛だった。
屋敷に囚われて一度だけ、その音を聞いた気がする。
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そこから何も無い日が続いた。
でも、もう服は入らないと全部捨てられた。
裏切られるのは一瞬で、少女は特に早かった。
その拘束具を見た時、震え上がった。
五体の身動きを封じる悪趣味なテーブルだ。
少女は、そこの中心に乗せられた。
「あの…嘘ですよね…?」
気道が狭まり、声が掠れる。
先の見えない恐怖は無い。
見えてしまった恐怖ならあるが。
「安心しろホメロスの娘。私は、何時までもお前の事を覚えている。お前と違ってな」
執事が懐に手を伸ばした。
やけにすんなりと、短い剣を取り出した。
剣、というよりは包丁。
室内は、少女の叫びで満たされた。
掻き消す笑い声は、振り下ろされる白刃の回数に比例して、次第に大きくなった。
(ああ…やだな。まだ……好きって伝えてないのに…)
少女の瞳から、一筋の光が消えた。
最後の最後まで、彼を想い続けて死んだ。
生まれて初めて自分を必要としてくれた、アビルのことを想い続けて。
――テトラの生涯は幕を閉じた。
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それから二日が経った。
何も知らないコウとミーロンが、食会に呼ばれた。
メルフィアが呼んだ。
今日は、三人だけで食べたいとの提案。
「なんで急に…」
人質とされていた姉の安否が不明な今、ミーロンは反抗的。
執事にも冷たく接する。
何も喉を通らない。
筈なのに、ヨダレが出た。
いい匂いがした。
「景気づけにもってこいの料理を作らせましたの。ゼルマ」
「かしこまりました」
そう言って執事が配膳したのは肉料理。
楕円型の肉料理。
肉汁溢れるハンバーグだ。
見た目からして高級感が凄い。
付け合せの野菜も彩り豊かで、ライスも艶々。
焼きたてのパンまである。
「美味そう…」
つい、コウがぽろりと口に出してしまった。
「まあ…うん」
食欲はミーロンにも伝播。
だって、見るからに美味しそうだから。
食べたくなる。
「さあ、頂きましょう」
メルフィアの一言で、二人は料理を口に運んだ。
するとどうだろう。
みるみるうちに、二人の顔が明るくなっていく。
「うまっ!」
「味付けが丁度いいね」
コウとミーロンに笑顔が戻った。
二人は一心不乱に、料理を平らげていく。
(……なんか筋っぽいところが多いな)
ほんの僅か、コウが思う。
でも美味しいから気にしない。
「姉さんにも食べさせたかったな…」
ミーロンは寂しげにそう呟いた。
その時だった。
彼の背後に、メルフィアの姿が。
メルフィアはミーロンのお腹をさすりながら、うんうんと頷いた。
「大好きなお姉さんと一緒がいいのでしょう?」
「ええ…まあ」
「ですから、一緒にして差し上げましたよ」
「……は?」
奇しくも、ミーロンはコウと視線が合った。
コウは吐いていた。
言葉の意味が、醜悪さが食欲を失わせたのだ。
「うぉえぇ…!」
コウの顔は真っ青だった。
血の気が引いて、手足が震える。
「え……あ…ああ…うぷっ!」
鈍いミーロンですら、嘔吐いた。
しかし、メルフィアが吐くことを許さない。
ミーロンは顎と髪を掴まれ、姉だった物に押し付けられた。
「残さずに食べなさい」
メルフィアが注ぎ込む命令。
逆らうな、食べろ、さもなくば。
お前も、姉と同じ末路を辿る。
解読するなら、こんなところか。
「あ…あっはは。あっはははははははははっ!」
壊れた笛は鳴いてしまった。
思った通り、心地よい音色だった。
反響する声がメルフィアの下腹部を温め、コウを押さえつける執事に高揚感を与えた。
一欠片、二欠片、残り半分。
足りない、足りない。
仕舞いには、吐瀉物混じりの料理すらかきこんだ。
狂い鳴く演奏会。
「うぇっ…!」
自分が吐いた吐瀉物に手を付ける狂気。
事態の異常性が垣間見えた。
「なんで……こんなことができるんです?」
コウの頭は二度、打ち付けられていた。
よって、意識が飛びそうな状態。
「え? なんでって、楽しいからですわ。あの男の希望を根こそぎかっ攫うのが」
「し…師匠の?」
「ええ。わたくし、昔っから気に入らないんですの。あの男が笑うとこ」
「そんな理由で…」
「そんな理由…ですって?」
メルフィアが拳を作り、コウの腹部に鋭い一閃を見舞った。
「ごふぁっ…!」
椅子から転げ落ち、じたばたと悶えるコウ。
「貴方はいいですわよね。きちんと才能を褒められるんだから…」
その後も、メルフィアは何度もコウを殴った。
顔以外の全てを殴った。
ミーロンが食べている横でコウと繋がり、笑い声と喘ぎ声が交差する部屋を作り上げたのだ。
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翌日から二人はおかしくなった。
部屋から出てこなくなった。
コウは憔悴しきり、寝たきりに。
ミーロンは、未だ姉を追い続けている。
彼の中では、まだ姉は生きている。
そう考えることにしたのだ。
「姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん…」
姉の遺品は弟のベットに散乱していた。
服も靴も装飾品も、全て。
彼の宝物。
(あの人は元々狂ってた。でも、師匠が更に狂わせたんだ)
コウは、事態の根本に気付いていた。
柔軟だけど、何処か頑固な師匠の性格に鍵がある。
鍵は開いた。
(俺が……彼女を変えるしかない)
それは、どんな針山よりも苦行である。
目指す先は血の池地獄。
そこをオアシスにする。
彼の目が開くまで、そう時間はかからなかった。




