第七十五話 脳裏に刻む景色
あっという間の三ヶ月。
神滅因子を狙う輩は現れず、シスタート領を彷徨い歩いていた盗賊は、みな撃退した。
ゼルマの助太刀が光る二ヶ月だった。
月夜に照らされる常夏の雷鳴は、俺の安眠を妨げるほどの衝撃があった。
彼は、特異な魔力領域を持っているらしい。
魔力領域とは、一言で言えば主要魔術属性の質と量を定量化したもの。
彼の魔力領域は、高純度の雷属性で満たされていた。
雷属性の一点特化型だ。
こと、それだけを評価するなら虹蜺はくだらない。
この俺とて、簡単には再現出来ないだろう。
それと、不可解な点が一つ。
ゼルマの魔力は、俺達正統派魔術師とは明確に異なる、特殊な魔術回路から引き出されていた。
本来血流に沿って流れるものが、いきなり心臓から末端に、直列に接続されているようだった。
こういう事例は稀に存在する。しかし、高出力=非効率であることは言うまでもない。
一度魔術回路を起動すれば、一気に魔力は枯渇し、まともに立っていられなくなる。
だが彼は、魔力供給を経ずして意にも返さない猛攻を止めなかった。
途方も無い魔力量で強引にねじ伏せた。
嫌いじゃない脳筋戦法だ。
とはいえ、ゼルマの能力が未知数な以上、迂闊な言動は慎むべきだ。
彼はメルフィアの側近だからな。
どちらかと言えば魔族に近い性質を持つ彼女に、厳格な忠を尽くす、後天性の異常者であることに変わりは無い。
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メルフィアが俺の正面に座り、カグヤは本棚と向い合い、古い文献を読み漁る。
幸い彼女は地頭が良いから、読めない言語はそれっぽく理解する。
それでもわからない時は聞いてくるし、隣で大人しくしている分には優等生。
おやつの時間に出されたショートケーキのクリームが、未だ頬に付着したままなのは何故だろうか。
なんて横目で見ていたら、後頭部に生暖かい風が吹き通る。
両肩に質量を感じる。
メルフィアの仕業だ。
「日に数度、貴方の油断が気になります。このまま首を撥ね飛ばすことも可能ですのよ?」
「やりたければ勝手にしろ。どうせ死なん」
「その余裕がムカつくんですわ…」
首筋をヒヤッと掠める両手は、肩甲骨を下って胸上へ。
立てる爪は深々と、切り裂くように縦上に向かった。
「彼は鳴きましたよ。一昨日も、昨晩も」
「その度に起こされた。いつもいつも、貴様らは決まって深夜、迷惑極まりない喘ぎ声を屋敷中に響かせる。そういえば、俺の部屋以外は防音なんだってな。ふざけやがって」
「あらあら。説教かと思えば嫉妬ですか?」
「違う。都合よく解釈するな」
態度でわかる。
今日がその日なのだろう。
こんな悪魔でも、ちゃんと来るんだな。
「ねぇアビル。わからないところあるんだけど」
「お、何処だ?」
「これなんだけど…さ」
ぐいっと強く引っ張られた。
膝枕の完成。
カグヤはムスッとしていた。
「私の前でイチャつくなし」
そうは言われても、仕掛けてきたのはあっちだ。
「無乳のくせに大胆ですこと」
「いや、あっから胸ェ!」
挑発に乗ってしまうあたり、カグヤだ。
ところで、わからないところとは?
「何処の教鞭をとればいい?」
「あ…それはもういいや。今、完全に理解したから」
それは絶対に嘘。
まあいいや。
このまま寝よ。
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夜になり、メルフィアは夜会を開いていた。
アルストロメリアの名だたる貴族を集めて、大広間でパァーっと華やかに宴をしていた。
豪華なシャンデリア、高級感溢れる装飾、ご馳走が並ぶ円卓。
商談スペースとしてテラスを開放している。
この日だけは、従者もメイドも整った格好で応対していた。
俺は招かれざる客らしいので、人目につかないところでひっそりと夕飯を取った。
酷い話だ。
コウは強制参加なのに、俺とカグヤは参加不可。
不貞腐れてカグヤは寝てしまった。
「はあ……」
ガラス越しに広がる夜景をつまみに、一杯。
今日は満月だ。
俺の両膝に跨って眠る少女は、これに気づいているのだろうか。
綺麗なのに、見たらいいのに。
「すぅ……んぁ」
背中をぽんぽん、優しく摩る。
丁度いい重さで落ち着く。
「あ…ごめんなさい。また寝ちゃってました…ふぁ」
抵抗空しく、テトラが大きな欠伸を漏らした。
そんなに顔を近づけれると、眠気を誘われてしまう。
「サボりか? 珍しいな」
「いいえー。お前はポンコツだから来るなってお達しがぁ…」
恋人にするようなハグをされた。
より近い距離で、零距離で。
淡い汗の匂いを感じた。
「お前も大分、態度が太くなったな」
「……嫌でしたか?」
「全然。むしろ扱いやすくて助かる」
「そうですか。それなら良かった…」
テトラが体勢を変えて、俺の胸に耳を当てる。
瞳を閉じて、夢を見ているかのよう。
「初めてなんです、こんなにも誰かに必要とされたの。だから嬉しくって、つい。でも……どう感謝を伝えればいいのかわからなくて。困ってしまって、こうしてます」
ちらりと顔を伺われた。
「あー…まあ、感謝するのは俺の方だ。ありがとな」
俺のお腹をキュッと掴む手。
小さくて可愛い手。
「そんなの、おかしいですよぉ…」
挙句の果てに、ご就寝。
寝顔は子供だ。
将来、彼女はどういう道を歩むのだろうか。
まずここから出れるのだろうか。
今宵は満月だ。
俺の蒼柩眼で、未来を覗いてみよう。
「未来超克観測」
景色は、彼女の世界に書き換えられた。
可能性の星々が散らばる、夢の世界へと。
「……どうして」
その世界は星を飲み込んだ。
一つまた一つと明かりが失われていく宇宙は、いつの間にか暗夜の砂漠に変わっていた。
誰も、何も歩いていない、ただ赤黒い。
テトラの未来がまるで見えない。
一年、たった一年先すら見えないんだ。




