第三十一話 社交界当日の戦い(後編)
セレスティア神聖国西側。
この国で最も風が強い地域である。
遥か見渡せる大海が正面にあり、他国との貿易が盛んに行われている港町があるため、潮風が強いのだ。
現に今も、建物をなぎ倒さんばかりに突風が吹き荒れている。
卑しい閃光も見える。
国中を覆う外壁の更に外側に、黄緑色で半透明な鱗状の結界も見える。
異様な光景だ。
「壁も、街も、屋台も、みんな無くなっちゃったね」
「あの光のせいでしょう。誰が、一体何の目的で用意したのかは知りませんが…」
「…これだから光は嫌いなんだよ」
殲滅の光を背にするカグヤとコウ。
そんな彼らの前には二人の人間が居た。
もう隠れる必要は無いと言わんばかりに、地に杖を突き刺す老年の男、エークイラ。
そして、教皇エルバンノ。
この二人が共謀していたのだ。
「さて、そろそろ道を開けてくれますか? 我々は先を急ぐもので」
エルバンノが怪しげな笑みを浮かべて言う。
「開けるわけないでしょ、この変態野郎。そんなことより…」
「口の利き方には気を付けてくださいね。こう見えてわたくし短気ですから」
「この傷を! 消せ!」
そう叫ぶカグヤの右肩には、セラと同じ紋様の呪印が入っていた。
カグヤは右肩にぎゅううと爪を立てて、憎しみこもった顔をエルバンノに向けた。
何時かけられたのかもわからず、効力もわからない恐怖は想像を絶する。
おまけにこれは、どんな治癒魔術すらも弾いた。
コウが治癒魔術をかけても、自傷しても治まらない焼けるような痛みだけが彼女を突き動かす。
「エルバンノよ、あの娘は捕らえろ。我が直々に調教する」
「では、あの赤髪の少年はいかが致しましょうか」
「適当に解体して海に撒け」
「仰せのままに」
エルバンノは軽く腰を落とした。
瞬間、エルバンノはカグヤの前にいた。
「…ッ!」
「少しだけ眠っていただきましょう。安眠できるのはこれが最後でしょうから」
とぐろを巻く暴風を杖に付与した、魔術師エルバンノの最速の一閃。
回避不能な速度で重厚な打撃を格下に放つことこそ、この男の生き甲斐にして最高の楽しみ。
即座に飛び退いたカグヤだが、杖が迫る速度は尋常では無く、全く距離を取れない。
腹部に風の振動が伝わる。
しかしそれは、コウの万力に止められた。
「おやぁ? 杖にヒビが…」
「姐さんに手を出してんじゃねーよ」
「この子がそんなにも大切なのですね。なら尚更壊したい!」
その言葉を聞いた瞬間、コウはエルバンノの腹部を蹴り抜いた。
エークイラの横を通り過ぎた光の矢が、次々と家屋を薙ぎ倒していく。
その隙にカグヤは体勢を立て直して剣を抜いた。
額に血管が浮き彫りになるコウは、少しだけフラついていた。
今ので二割ほど魔力を消費したからだ。
「なかなか見どころのある童だ。どうだ? 我らと手を組まんか?」
「あぁ!? 誰がお前らなんかと!」
「まあ聞け。この国はあと数刻も経たぬうちに跡形もなく消え去るだろう。地位も、名誉も、人も、国でさえも何もかも消えて無くなる。あの凶悪極まりない魔導兵器を起動した段階で決まっているのだ。その巻き添えを受けたいのならばそれでいい。だが、少しでも未練があるのなら、この手を取るがいい」
そう言ってエークイラが手を差し出してくる。
微塵も温かみを感じられない、荒れも傷も無い綺麗な手だ。
コウは深呼吸をして冷静さを取り戻し、交渉に耳を傾けた。
「あなた方の目的はなんです?」
「旧アイビーズ王国の復権。この、ぬるま湯に浸かったセレスティア神聖国を廃し、主要四カ国を滅ぼす。そして、新生アイビーズ帝国を築き上げるのだ!」
エークイラが語った真実。
それはあまりにも独善的すぎる内容で、現実味のある話だった。
「だからって国ごと消し去るんですか? 意味は? 効率も何もあったもんじゃない」
「憧れるからよ。曙光の戦乙女セレスティアも同じことをしていたでは無いか」
エークイラの言葉に、コウは冷ややかな視線をおくった。
冷たいどころでは無い。
まるで、溶けない氷でできた氷像の瞳だ。
カグヤですら思わず震え上がってしまうほどの。
「セレスティアは…そんな奴じゃねーよ」
コウが五つの魔力玉を背面に展開した。
「交渉は決裂か…まあ分かってはいたがな。時間だ。エルバンノ! いつまで寝ているつもりだ!」
エークイラの怒鳴り声に応じるように、後方から煙を纏う槍が飛んできた。
槍はエークイラの正面に突き刺さり、爆風を呼び起こした。
「少々頭を冷やしておりました。あの状態では、そこの半魔娘を嬲り殺しにしたでしょうから」
「フンッ! もうこの際どっちでも良いわ!」
「そうですか…ふふっ…ふふふふふふふふふ…」
エルバンノは不気味な笑いを零し、狂気の笑みを浮かべた。
「五法陣水乱『罔象女』」
コウは五色の魔力玉を全て水色に上書きした。
対火属性魔術に特化した形態へと変えたのだ。
エルバンノが得意とする風属性は火属性と相性がいいため、どこかで必ず併用する。
それこそ、なりふり構っていられない場面に突入すれば、間違いなく使う。
コウはそう考えた。
「姐さんはエークイラ伯爵を斬ってください」
「あいつ、そんな名前だったんだ」
「はい。対峙した時から姐さんのことをいやらしい目で見てましたよ。揉みくちゃにしてやろうとか考えてたんじゃないかな?」
「うぇ…キモ」
「多分、挿し込んでやろうとかも」
「あのさ、それコウの願望でしょ? きめぇからあっちいって」
露骨に嫌な顔をするカグヤに蹴られ、泣き目になったコウ。
もたもたしている時間は無い。
「さぁ! 踊りましょう!」
「つぇあああああぁぁあああ――!!」
残像すら見えぬ快速で迫り来るエルバンノの杖を弾き、魔力弾を撃ちまくった。
しかし当たらない。
一つも当たらない。
動きを補足できない。
カグヤはそれを見抜いていた。
だからこそ早期決着を求める。
「ちゃっちゃと終わらせるよ」
カグヤは刀に魔力を込めて踏み込んだ。
地面が焼けるほどの速度で二人の間を駆け抜け、瞬きもできない神速の居合をエークイラの首筋めがけて放った。
「おっと、危ない危ない」
突如としてエークイラの前に防御障壁が張られた。
途轍もない強度に、刃が通らない。
「このッ…!」
「事前に伝え聞いてはいたものの、こうしてみると本当に可憐な乙女よなぁ」
「うっせー! はよ斬られろ!」
「ガッハハハハッ! 無駄無駄! この障壁は、そこの結界に匹敵する強度を誇る。魔術を持たぬ剣士ごときに我は斬れんよ」
カグヤの刀は跳ね返された。
宙を舞う刀を取り戻そうと黒手を伸ばしたが、エルバンノに邪魔をされた。
コウは、ボロボロの姿で足止めに尽力している。
五法陣を完膚なきまでに破壊され、ヒビの入った水色の魔力玉が一つだけ明滅している状態だ。
「あん…た。なんだいそれ…」
掠れる声でコウは言った。
エルバンノが手に持つ杖には丸くて白い何かが付いていた。
白と別色の混合。黒もある。
悪と戦う少年少女達を監視する計二十三個の[目]だ。
「素敵でしょう? ここにある瞳は何一つとして同じものは無いんです。全部魔族。全部子供」
「下衆が…」
「コレクション用もありますよ。その中でも特にお気に入りは杖に嵌め込んでいるのです。わたくしの手となり足となり、娯楽となりて完成を見る。しかし悲しきかな、妖魔はいない。出会ったことも無い。なればこそ…是非ともあの子が欲しい!」
怒涛に押し寄せる風刃がコウを襲う。
躱してすかそうとするも被弾は免れない。
とうとう、最後の魔力玉も砕け散った。
「グッ!」
「若い芽をつまなければ枯葉は蘇らない。さらばです」
杖の切っ先がコウの心臓を捉えた。
杖先が皮膚を破り、肋骨に触れた途端エルバンノの動きが止まった。
「ごふッ! こ…これはこれは…」
エルバンノの口から大量の血が流れ出た。
膝をついて倒れこむエルバンノの脇腹は深く抉られていた。
鮮血は薄く、不自然なまでにサラサラ。
杖はカランと音を立てながら地面に落ちた。
誰が助けてくれたのか、聡いコウはすぐに分かった。
虹色の宝玉が埋め込まれた刀。
透き通るような波紋が良く似合う、美しい藍色の短刀を持ったカグヤが窮地を救ってくれた。
「よかった! 間に合った!」
カグヤは飛びつくようにコウを抱きしめた。
「姐さんってばすごいな。魔術、使えたんですね」
「うんうん! 私は凄いんだよ!」
「あ…」
カグヤをコウを優しく抱擁した。
コウは両目を大きく開けて、強く抱き締め返した。
ふと、既視感を覚えた気がした。
懐かしさもあった。
理由はそれだけだ。
「恐ろしい子ですね。まさか短刀を隠し持っているとは…」
二人の前に影ができた。
「しぶといね。あのおじさんならもう殺したよ」
カグヤの言う通り、エークイラは既に首を跳ねられて事切れていた。
アビルからプレゼントされた短刀を用いて、喉元を掻っ捌くように跳ねたのだ。
カグヤは、エークイラを囲っていた障壁を易々と斬り裂く魔力を持つその刀で、今一度エルバンノに刀身を向けた。
「いいですね…その目。いや本当にいい目だ…」
エルバンノは滝のように血を吐いて、カグヤに手を伸ばす。
「姐さんに触れるな。エセ教皇」
コウは最後の力を振り絞り、右手を空にかざして逝水惑星を発動。
水氷で出来た数千の飛剣をエルバンノに向けて撃ち落とした。
周囲への被害はお構い無しに、純然たる憤怒に身を任せて。
「ごぶぁ…!」
エルバンノはチリジリの肉片となり、原型を留めずに死んでいった。
「終わった、よかった、死ぬかと思った…」
コウは全身の力を抜いてカグヤにもたれかかった。
もう動けない。
視界が暗い、眠い。
頭の中はそれでいっぱいだ。
「…今なら何をしてもいいよね」
なんて呟くカグヤの声は、静かに眠るコウには届かない。
だから一発ビンタした。
コウの手が自身の下着の中に入っていたから。
それでも内心、カグヤは嬉しそうだった。
同じぐらいの弟が出来たみたいで。
「はあ…後はあれかー」
遠くにあるが、真正面に位置する魔導兵器。
セレスティア神聖国を滅ぼさんとする非人道的な兵器。
主犯二人を殺しても、未だ停止する様子は無い。
むしろ光は強さを増している。
「どうしたもんかなぁ…」
コウをぎゅうと抱き寄せて、蹲るようにして考えるカグヤ。
アビルはどうしているのか。
気になるが、連絡は取れない。
伝令石はエークイラとの応酬で壊れてしまった。
もう、ただ死を待つのみ――、
「えっ…?」
カグヤが空を見上げた。
バリンと、硝子が砕け散るような音がしたからだ。
その音はたちまち大きくなり、国中に響き渡った。
「見えた…」
結界に大きなヒビが入っていた。
枝分かれるように伝う金色の雷龍が凄まじい早さで結界を噛み砕いていた。
天から降り注ぐ結界の残滓が、国を、街を、人々を選び欠くことなく照らし尽くす。
「この光は、少しだけ綺麗かも」
瞳を閉じて。
カグヤは嬉しそうに呟いた。
---アビル視点---
常識外れだ。
反転する結界を魔力供給源ごと食い進むなど誰が考える。
確かにこれならば結界は無くなるだろう。
しかし…この男が使った技。
『地神雷霆戦剣』
これは異常だ。
そもそも、あった事を無かったことにする事象改変の神剣術などセレスティアにしかできん。
なぜラングステンが使える。
そしてなぜ、剣が砕け散った。
「これで暫くは結界を張れなくなる。あとはお前の仕事だ魔術王」
「その前に一つ聞かせろ。あの雷龍はセレスティアが使用していたものか?」
「そうだが?」
「さも当たり前のように言いおって…」
「確かにこれは誰にでもできることじゃない。だからこそ使える場所や目的、庇護対象を慎重に見極める必要がある」
「お前にも守るものがあると?」
「大切な家族がいる。二人ほどな」
ラングステンは折れた剣を拾い上げて、鞘に戻した。
先程に比べて、表情はだいぶ柔らかくなったと思う。
「さてと。破壊するかー」
俺は肩のコリをほぐすように背伸びをした。
「随分と間の抜けた表情だな」
「言ってろ過剰正義。お前より俺の方が長生きだし強い」
「負けず嫌いまでそっくりだ。お似合いだぞ」
ラングステンが少しだけ笑った。
「…セラは俺に似ている。だからこそ助けてやりたいのだ」
小っ恥ずかしい話だと自分でもわかっている。
本音を言えば旅に連れて行きたいし、一緒に世界を見て回りたい。
だけど、それは彼女のためにはならない。
戦乙女は夢半ばで必ず死ぬ。
逃れられない運命なんだ、これは。
「わかっている。俺もそのつもりでここまで来た」
ラングステンは俺の肩に手を置いて、西方の光を睨みつつ続けた。
「お前は俺と初めて邂逅した日のことを覚えているか? あの日、俺はセラに似たものをお前の目から感じた。強い目なのに、どこか暗い目をしていたんだ。富、名声、実力は折り紙付き。なのに暗闇ばかりに目を向けている。それに比べてカグヤという少女はあまりそれを気にしていない。コウという少年は既に克服している。いつまでも囚われているのはそう、お前だけだ。それを俺は嫌悪したんだ。でも今は違う。今のお前は光を与えるだけではなく、光を与えられる存在にもなれる。どうせなら、光は一緒に見るべきだと俺は思うぞ」
そう言い残し、ラングステンは静かに後ろに下がった。
そうか、俺は希望にならなくていいのか。
少しだけ気が楽になった。
「たった今、俺の中にあった迷いが消えた。礼を言う」
「それは良かった。なら見せてもらおうか。天界をも震撼させた魔術王の力を」
「ああ。見せてやる」
狙うは山頂に設置された魔導兵器クランプス。
終末の光とまで呼ばれる滅光を断続的に放ち続ける人類史最悪の殺人兵器だ。
神界大戦に参加していた帝国軍ですら使用を躊躇ったと言われている。
もう既に起動されているということは、初弾はもうすぐ放たれるだろう。
距離にして10マイルの位置から、こちらに向けて一直線だ。
「第四階梯――開」
俺は大気中のマナを吸い上げた。
霧散した結界の残滓をも取り込み、天罰の女神に流し込んだ。
イメージするのは最高最適、最強の盾。
全て不幸を弾き、倍加して返す守りの盾だ。
俺は杖を正面に向けて更に溜める。
狙いを定める。
破壊しろ、厄災の根源を。
「来たぞ!」
ラングステンが叫んだ。
ひたぶるに大きくなる閃光が迫ってくる。
城壁西側を溶かしながら、恐ろしい速さで迫ってくる。
未だかつて無い規模で、もう目前だ。
使うなら今しかない。
「聖盾原罪大砲!」
魔術の発動と同時に時計台を優に超える大きさの円盤状の聖なる盾が出現。
盾に刻まれる八芒星を象った紋様が魔導兵器から放たれた殲滅の光を吸収し尽くし、俺が付与したマナと合わせて何十倍もの威力で返した。
その極大の砲撃は魔導兵器が設置された山を丸々消し飛ばして天にも登る高さのきのこ雲を作り出し、風圧を巻き込んだ魔力収束波は神聖国を覆う城壁に甚大な被害を及ぼした。
一応俺は感知魔術を使用して怪我人を探した。
幸い、怪我人は居なかった。
街の住民はみんな王都付近に集まっているようだ。
「修繕費は馬鹿にならんだろうな」
正直やりすぎた感じがする。
跳ね返すだけで良かったのではと、少しだけ反省した。
「金に替えられない物を守れたと思えば安いものだろう」
「払うのは俺なんだが…?」
「成金として有名な魔術王からすれば微々たるものだろうに」
「まあ、それもそうだな。というか何故貴様が知っている。詳細を誰から聞いたのだ?」
「セラから聞いた。楽しそうに話していたぞ」
ラングステンは軽やかな笑みを浮かべつつ安堵した様子で、屋根を伝いながら何処かへ行ってしまった。
俺一人だけ時計台に残り、謎の悲壮感を堪能しろとでも言うのか。
望むところだ馬鹿野郎。
どの道、暫くは敵の動向を監視せざるえないだろうしな。
耳でも澄まして時間を潰すとするか。
「…これは」
人々の歓声だけが聞こえる。
慌てて俺は時計台の下を見た。
多種多様な種族が入り乱れる群衆が時計台の周りを取り囲んでいた。
感謝を述べる者や、涙ながらに手を擦り合わせる者。
俺の名を叫んでいる者もいる。
その中には、カルネラとリラ。そしてセラもいた。
セラはとびきり綺麗なドレス姿で俺に手を振っていた。
笑顔だけどちょっとだけ怒っている。
そりゃそうだ、社交界に出席しなかったのだから。
正確にはできなかったのだがな。
なんにせよ、温光輝く満月の深夜に俺たちの戦いは終わった。




