世界の終わり
「ところでさ」
クラウンがボールを弄びながら、少年に問う。
「誕生日って、何やるの?」
少年がこけた。
「お前が言い出したことだろ?」
「いやぁ、でも、よくよく考えてみたら、僕だって、誕生日祝われたことないんだよね」
「っあーっ」
頭を抱える少年。まあ、少し考えればわかることだ。誰も誕生日を祝わない世界で、誕生日の祝い方なんて、わかる方がおかしい。
だとしたら自分はおかしいのだろうか、と少年は口を開いた。呆れた風を装って。
「あそこまで誕生日誕生日言っておいて考えてなかったのかよ」
「むう。仕方ないじゃん。サイからは誕生日を祝うといいとしか……サイ……」
クラウンの目の焦点が怪しくなる。訝しく思った少年が近寄り、既視感を覚える。この、光のない目は。
「サイ、マスター……」
「っ」
軽く舌打ちをして、少年はクラウンを思い切り抱きしめた。
「まだ、まだ終わりじゃない、終わってない!! クラウンを盗るな!!」
すると、んん、と寝ぼけたような声が腕の中からした。
「あれ、僕、今……」
どうやら、クラウンはまだ大丈夫なようだ。
それはただの延命措置にしか過ぎないよ。
サイの声がそう囁いた気がするが、かまうものか。自分はクラウンと誕生日を祝うのだ。せめてそれくらいしないと……
クラウンを抱きしめる。クラウンの戸惑う声が聞こえたが、かまわない。
抱きしめたまま、クラウンの肩に少年は顔を埋めて言った。
「……生まれてきてくれて、ありがとう」
誕生日なんて、そんな一言で充分なんだよ、と少年が囁くと、クラウンは顔を上げた。
「そっか。じゃあ」
クラウンは、この世界の幾度ものループでも、一度たりとも見たことがないような爽やかな笑顔で言った。
「生まれてきてくれて、ありがとう。──くん」
呼ばれた名に目を見開く。その名前を自分は知っていた。自分の名前だ。けれど、それでいて、自分の名前ではない、不思議な名前だ。たった一人しか、呼ぶ人はいないのに。
それはクラウンではないはずなのに。
けれど、クラウンは確かにそう言って、
ぶつんっ
「なんだ!?」
消えた。
世界がノイズが走ったときのようにモノクロになる。気づけば少年の手の中にあったはずのクラウンの質量も消えている。まるでそこに最初からなかったかのように、跡形も残さず。
呆気に取られる少年の前に、深緑色のローブをはためかせて、サイが現れる。この空間に、風はない。何故ローブがはためいているのだろうか、と思いながらも、少年はサイを睨み据えた。
少年の強い焔が灯った瞳に、サイは苦笑する。──少年の目には、紫色が戻っていた。
サイは、今にも飛んでいこうとする自分のローブを押さえながらも、剽軽に肩を竦めてみせた。
「そう怖い目をしないでくれるかな。クラウンが消えたのは、何もボクのせいじゃないよ。始めから決まっていたことさ。まさかわからないキミじゃあるまい」
フードがめくれる。それでもサイはローブを押さえつけていた。
紫の目の少年は、サイの言う通り、わかっていた。
「ループが終わるってことは、この世界が終わるってことだ。クラウンに限らず、この世界で生きた人形は役目を終える。つまりは消える」
「ご名答。わかっているじゃないか」
「理解は納得には繋がらないんだよ」
少年の目も顔も声も、怒りとやるせなさに満ちていた。皮肉な言い方をするならば、幸福なこの世界の絶対的矛盾らしい在り方だ。
対するサイの赤い目には感情が感じられない。喜怒哀楽のどれもが欠如している。だからといって、不真面目なわけでも、真剣なわけでもなかった。
何も思っていない、凪いだような目。
赤という鮮烈な色を持ちながら、その目はその鮮烈さに見合わないくらいに静かだった。
サイは語る。
「クラウンは人形だ。キミにとっては友達だろうと、世界にとっては関係ない。この世界が終われば、必要のないものだ。キミの同意があろうとなかろうと関係ない。世界がキミに優しいことなんて、あったかな」
「なかったよ。最後の最後までな」
「そう」
少年の怒りの濃い目に、サイは軽く微笑んだ。
少年は虚を衝かれた。サイのその笑みは何かを誤魔化したり、馬鹿にしたりする笑みではない。わけのわからない高笑いでもない。とても静かで、感情が抑えられていて、けれどひどく慈しみに満ちた、不思議な表情だった。心が和らいでいくような……
……クラウンの笑みに、よく似ている。
「この世界はね、作り物なんだ。形あるものはいつか壊れる。それが自然の摂理。この世界はただの絵。絵は、形あるものだ。だからいつか壊れる。それは当たり前のことなんだ。壊れるのが、今日だったっていうだけで。……王には言ってないけどね」
「な……」
唖然とする少年の前でてへてへと笑うサイ。
世界が壊れる。だからサイはこれが最後と少年に教えていたのだ。仕えている王には言っていないという。ということは……
そこそこな重大事だというのに、サイは緊張感なく笑っていた。
「今頃王様、壊れていくこの世界を見て、慌てふためいていることだろうなぁ。その姿が拝めないのが非常に残念だ。まあ、ボクにはボクの決めた役目があるからねぇ。全く、世界とはままならないものだよ」
さて、とサイは胸元から一つの筆を取り出した。
「これがボクの最期の仕事だ。受け取ってほしい」
「……筆?」
絵筆だ。絵の具なんかをつけて、色を塗るような、どこにでもありそうな、ごくありふれたものである。
サイはこくりと頷いた。
「世界最後の仕事をするのはキミだ。その筆はね、世界に顕現させたい人形を描き出す筆であり、人形を塗り潰すこともできる筆だ。使い方は、キミに任せるよ。王様によろしく。もうそろそろ、来るだろうから」
「よろしくって……サイ、お前は?」
するとサイが困ったような笑みを浮かべる。
「ボクには風が吹いてるだろ? 実はもうそろそろ、吹き飛ばされそうなんだ。簡単に言うと、ボクも世界から消える」
「なっ」
サイは風に阻まれながらも、少年に歩み寄った。そして、少年の頬を撫でる。
少年を見つめる焔色の瞳は、とても温かで穏やかな色をしていた。
「ごめんよ。キミにばかり面倒事を押しつけてしまって。でも、忘れないで。ボクはキミが嫌いなわけじゃないんだ」
サイは、愛しむように少年の頬を撫でてから、頭にぽん、と手を置いた。
「……大好きだから」
少年がはっとしてサイを見上げる。もう、踏ん張りが利かなそうで、風に吹き飛ばされそうに見えた。
そんなサイが見せた表情と向けた感情は本物だと、少年にはわかった。手が、冷たかったからかもしれない。
──手の冷たい人間は、優しいと言われている。
もちろん、それは迷信かもしれない。サイはそもそも人間と呼んでいい存在なのかも不確かだ。
ただ、少年には確実に言えることがある。
サイは自分の手で何もかもを塗り潰して平気な顔でいられるような冷血漢ではないということだ。
何度も何度も繰り返し、擦りきれていく絵画の世界を、この筆で何度も何度も繰り返し、直したのであろう。そう察しられるくらい、筆にはサイの体温が残っていた。
サイでも直せないくらいの限界がこの絵の世界には訪れていたのだ。
絵であった世界は、サイが風に吹き飛ばされると同時、それらも吹き飛ばされたかのように消えてなくなった。最初から何も描かれていなかったかのように、白く白く、消えてなくなった。
そんな空っぽになった世界の中に、少年と筆と、ある言葉が残されていた。
サイのいた地面に、砂のようなものが残っていた。最初は無意味な砂に見えたが、よく見ると、文字の羅列になっていた。
「Pain to the world……」
少年はその文字を読み上げた。すると、後ろからこつこつと足音がした。固い音だ。少年は振り向いた。
振り向いた先には、黒いローブの背の高い人物がいた。
「サイめ……最初から世界を壊し、こいつを掬い出すことが狙いだったのか……王である俺を謀りおって……」
少年ははっ、と笑った。
どうやらこの黒ローブの人物がサイの言っていた「王」らしい。不遜さが滲み出ている。
少年は不敵に笑い、王を見据えた。
「ラスボス登場ってわけか」




