八月十五日
「感じ方が似てる、か……」
いつか、女子マネに言われたことを思い出しながら、その日の朝を迎えた。
今日は新田家一同はいない。親戚のところへ行っている。通年なら家にいるのだが、半澤が今日は友達と遊びに行くから、と言ったところ、都合を合わせてくれたらしい。
「持ち物よし、戸締まりよし、元栓よし」
確認を終えると、デジカメを首に提げ、バッグを肩にかけて家を出た。鍵をかけるのも忘れずに。
振り返ると、太陽が眩しく、今日も空が青い。静寂に包まれた街とは対照的に、季節は夏であることを主張していた。
半澤通の八月十五日の始まりである。
シャツにカーディガン、左手に美好から誕生日プレゼントでもらったリストバンドをつけて歩く。制服のズボンじゃないことを除けば、ほとんどいつも通りの格好だ。長袖長ズボン。夏という季節柄、見る方からすると極めて暑そうに見えるのだが、半澤はそんなことを微塵も感じさせない軽い足取りで、学校の方へ向かった。
今日はお盆休みの真っ只中。さすがに学校も開いていない。が、近道は近道だ。昇降口前の一本道を通る。
ふと、いつもと立場が逆だな、と思った。今日は半澤が美好に会いに行く。いつもなら、花壇に水やりをして、美好を待つのが半澤の役目……のようなものになっていた。それが今日は、半澤の方から坂向こうに行って、美好に会いに行く。いつもと違う感覚は、なんだか心を弾ませた。
「……確かに、この坂、長いなあ」
何度か登ったことはあったが、それも美好の家がある中腹まで。坂向こうまで歩くのなんて、初めてだ。これから向かう花畑は坂向こうで、父とよく行っていた思い出の場所だが、父と行くときは車でだったため、こうして歩いたことはない。
不意に、びゅん、と風がすごい勢いで通り抜け、半澤が驚く。少し危なかった。件の坂道に出るという暴走車だったのだ。普通乗用車にはねられたくらいじゃ、人は死なないと聞いたことがあるが、とんでもない。普通乗用車でも、スピードが出ていれば、立派な凶器である。そもそも、自転車が時速四十キロを出しただけでも人が死ぬことがあるくらいなのだ。油断してはいけない。
「うみくん、いつもこんな感じで登校してるのか……」
道路上での自転車の肩身は狭い。自転車は車両扱いであるから、原則、左側通行だし、案外とふらつきやすいのだ。乗りこなせばいいだけの話だが、乗りこなしていても、こういう横風には弱いところがある。軽自動車でさえ、横風に流されることがあるのだ。それを自転車で考えると、やはり恐ろしい。
坂道も下りになってくる。林で鬱蒼としていたのが抜けて、人の住む街、といった賑やかな雰囲気が見えてくる。
「懐かしいな」
坂向こうに来るのは久しぶりだった。半澤は父が死んで以来、ほとんど私用で外出することなどなかったのだから。
半澤は花畑へと向かった。
「おはよう、うみくん」
「よ、半澤」
入口で見慣れた自転車を見かけたので、もしかして、と思ったが、予想通り、美好は先に着いていたらしい。
「待った?」
「今来たとこ……ってなんでリア充カップルみたいな台詞言わせんだよ!」
「うみくん、ノリツッコミ上手いね」
「無視かい」
しょうもない漫才にはすぐに飽きたらしく、美好はすぐに受付に向かう。半澤もそれに従った。チケットは美好が持っているのだ。
と、受付に行ったら拍子抜けで、顔パスだった。どうやら、八月に閉めると決まってから、八月から来場者がめっきり減ってしまったらしい。早めに閉めることになりそうです、と語った受付嬢の表情が少ない。
まあ、もう閉園に向けて作業を進めているというのだから、仕方ないことだろう。花は刈り取り、もしくは植え替えになっているという。もうほとんど、花は残っていないとのことだった。
「こちらが今、一番盛りとなっております」
案内されたそこは。
一面、オレンジの花。煌めくように、黄色が時折混じっている。だが、そのオレンジの圧倒的質量に、半澤も美好も目を奪われた。
「キバナコスモス……」
秋に咲く、コスモスに似た花。見ての通り、黄色よりオレンジの花の比率が高いが、キバナコスモスと名付けられている。
涙が込み上げてきそうになった。キバナコスモスは父が特に好んだ花だったから。
「キバナコスモスはな、放っておいてもその辺に咲くような、所謂、雑草だ。でもな、父さんはその何気ない咲き方に心惹かれるんだ」
父の言葉を思い出す。
「……この花畑の最後に、この花が見られて、とても嬉しいです」
思わず、そう紡ぐと、受付嬢は嬉しそうに微笑んで、その場を去っていった。
それから、美好と二人きりになった。雑草というと粗雑な響きだが、キバナコスモスは太陽のように輝いていた。
「……ま、とーるがこんなに喜ぶんなら、予約した甲斐もあるってもんか」
半澤より一歩前に出て、美好が言う。その横顔が微笑んでいて、とても綺麗で、オレンジ色の太陽の花の中に映えた。
「……見つけた」
ぱしゃり。
それはもう、ほとんど無意識の行動だった。半澤は無意識にシャッターを切っていた。フラッシュが美好に向かって瞬く。
美好は四月からの付き合いですっかり慣れたのか、さして驚く様子も見せず、苦笑を浮かべて半澤を見た。
「また許可なく人のこと撮りやがって」
「あ、ごめん」
つい、と謝ったが、美好に怒っている様子はなかった。むしろ、何かいい悪戯でも思いついたかのような子どものような笑みを閃かせた。
「一緒に撮ろうぜ」
「え」
有無を言わせず、美好はぐい、と半澤の手を引き、自分に寄せた。手にしたガラケーは既にカメラモードになっているらしく、美好がお決まりの「はい、チーズ」という掛け声をかけると、フラッシュが瞬いた。
思わず目を閉じやしなかっただろうか、と思うと、なんだか恥ずかしくなってきた。
「人に撮られたのなんて、久しぶりだよ。なんか恥ずかしい」
すると、太陽より眩しく、美好はにかっと笑った。
「よく覚えておけ。それがいつもの俺の心情だ」
美好がふざけているのはわかったので、半澤もおふざけ半分で返した。
「肝に銘じておきます」
しばらく撮り合いをしていた。競争でもするかのように。子どもの遊びのような感覚で二人は写真を撮っていた。
売店に行き、ちょっと休憩。売店勤めにしてはちょっと無愛想なおばさんからソフトクリームを買って、二人はそれを食べながら話した。
「そういやさ、なんでさっきは写真撮ったの?」
あまり考えずにシャッターを押しているように見える半澤だが、その半澤が「見つけた」と言って撮る写真はどれもこれも素晴らしい。美好はそう思っていたから、シャッターを切るのには理由があると思っていた。
夏の暑さで溶けかけのアイスを見つめながら、半澤は少し恥ずかしそうにはにかんだ。
「うみくんが、笑ってたから」
「……へ?」
虚を衝かれた。思ったよりも単純な理由だった。
「うみくんの笑顔、綺麗だからね。……まあ、園崎さんにはずるいって言われたけど」
「ずるい?」
美好がソフトクリームを舐めながら首を傾げる。半澤はソフトクリームを見つめた後、垂れてきたアイスをぺろ、と小さく舐めてから告げた。
「『さわくんばっかりみーくんの笑顔、撮って、ずるい』って」
「……なるほど」
リンの言いそうなことだ、と美好は呟き、それからがつがつとソフトクリームを食べた。美好がコーンのところにがっつき始めたところで、少食気味だった半澤もぱくりと豪快にクリームを口に含む。
沈黙が続いた中、コーンの最後の一欠を食べた美好が、頭を押さえて机に突っ伏す。
「頭いてぇ」
その一言に、ようやくコーンに辿り着いた半澤が笑う。
「アイスクリーム頭痛だよ。あんまり一気に食べるから」
「うっせ」
「見つけた」
ぱしゃり。
「おま、なんてとこ撮ってんだこのど阿呆」
「何のことかな」
こうして少々愉快な一日を過ごしていった。




