好きということ
今日も今日とて花壇に水をやりに行く。それが夏休みであっても、半澤の習慣が変わることはない。
「あ、さわくんだ」
女の子の声がして、半澤が顔を上げる。声に馴染みはないが、聞き覚えはあった。顔まで見ればわかる。
「君は確か、バスケ部のマネージャーの」
「わあ、覚えててくれたんだ。さっすがさわくん。紳士ー」
「紳士、かな」
こてんと首を傾げてから、如雨露を置く。
「あー、さわくんと花なんて、絵になるわー」
「そうかな」
「美しい」
「でも」
半澤は水を浴びた花をちょん、とつついてから、女子マネを見上げる。
「やっぱり花は女の子に似合うものだよ」
きゃー、と女子マネが悲鳴を上げる。
「それ素で言うんだからさわくんってやっぱりさわくんだわぁ」
「何を言ってるのかよくわからないんだけど」
「わからなくていいの。さわくんはそのままでいてね」
「う、うん」
よくわからないまま、半澤は頷く。それから、なんとなく話を広げてみようとする。
「ええと、これから部活?」
「うん、そういうさわくんは?」
「ただの水やり」
苦笑いする。けれど、女子マネは目を輝かせる。
「すごいなー、部活でも委員会でもないのに、毎朝やってるんでしょ? 素敵」
「小学校の頃からの習慣だから」
「小学校から花壇に水やりって習慣が可愛いー」
女子の可愛いの基準がわからないが、ふぅん、と頷いておく。
「こないだの試合、すごかったね。バスケってあんなスポーツなんだ。圧倒されちゃったよ」
「そんな、大袈裟だよ。バスケくらい体育でやったことあるでしょ」
それに、と頬を掻いて、女子マネは付け加える。
「勝てたのはかいとくんが出てくれたからだと思うな」
「え」
女子マネが少し遠くを見て、寂しそうな表情をする。
「うちのバスケ部、お世辞にも強いとは言えないし。人数も少なくて、みんな、一所懸命やってるけど……涙を飲むことの方が多いよ」
半澤はどんな顔をしたらいいのかわからなかった。女子マネはすごく悲しそうで、鞄を持つ手が震えている。
半澤はスポーツに専心したことがないのでわかるとは言えないが、きっと、悔しいのだろうと思う。出場する選手も負けたら悔しいだろうが、それをただ見守るしかできないというのも、無力感に苛まれることだろう。
かける言葉を見つけられないでいると、女子マネがあ、と何かに気づく。
「そのちゃんだ」
「園崎さん?」
振り向くと確かに花隣がこちらに向かってきていた。この女子マネ、花隣とも仲がよかったはずだが。
「おーい、そのちゃん」
……しかし、花隣はまるで気づいていないかのように素通りしていく。続けて声をかけようとした女子マネも、そっと息を飲み、口をつぐんだ。当然半澤も何も言わない。
花隣の放つ雰囲気は異様。その一言に尽きた。具体的に言うと、目の下に隈ができていて、少し窶れた印象を受ける。目に力がないのも気になるところだ。
「……そのちゃん、どうしちゃったのかな」
昇降口に吸い込まれていった花隣を見送ると、ようやく女子マネは口を開く。半澤は首を横に振った。
「今はそっとしておいた方がいいよ」
すると、ぱっと半澤を振り仰ぐ。
「さわくんは何か知ってるの?」
その質問にも首を横に振る。……本当は知っているのだが、必要な嘘というのもあるだろう。
そっか、と呟いて、女子マネは俯く。
「私で力になれたらいいんだけど……」
「難しいと思うよ。何が問題かわからないんだし」
それでも、友達として、あんな憔悴しきった花隣を放ってはおけないのだろう。うんうんと悩む。
それから、そういえば、と顔を上げた。
「そのちゃん、今スランプだって噂聞いたけど」
「……色んな噂があるんだね」
半澤は軽く流すが、女子の噂の力は侮れない。スランプの話が伝わっているとは思わなかった。
そこからむむむ、と考える。
「夏休み明けのコンクールに出す絵に悩んでるのかな……そのちゃんこだわり派だからなぁ。あり得る」
確かに、花隣の絵に対する専心ぶりは目を見張るものがある。ジャンルが違うであろう半澤の写真をライバル視するほどには熱が入っているのは確実だ。
「そういえば、かいとくんとは最近どうなんだろ? 夏休みに入ってから、会ったりしてるのかな」
半澤の心臓がどくりと高鳴る。それは今一番触れてはいけない話題だったからだ。
「会ってはいるんじゃないかな。幼なじみなんだし」
「ま、そっか」
納得してくれたようでよかった、と安心したのも束の間。
「でも、なんかそのちゃん可哀想。かいとくんにずっと片想いな感じじゃん。報われてほしいな」
半澤は今度こそ何も言えなくなった。その恋心が報われないことを、既に半澤は知ってしまっている。先日砕け散ったばかりの話に触れることはとてもできなかった。
無責任なことは言えない。半澤はじっと黙っていた。
「ねぇ、さわくんも思うでしょ? あんなにアプローチしてるのにさ」
そうだね、とも、わからないとも言いづらい。大嫌いと振られたが、だからって花隣を嫌いになったわけではないのだ。デリケートな問題に、半澤は困り果てた。
……困り果てた末、勝負に出ることにした。
「幸せになってほしいとは思うよ。こないだ僕、振られたし」
「だよねー。そのちゃんにはしあわ……ちょっと待って、さわくん今なんて言った?」
「振られたんだ」
女子マネ、しばしの硬直。
「ええっ!?」
それから立ち直って大声を上げたのはたっぷり三分経ってから。あまりにも大きな声だったので、思わず耳を塞いでしまった。
「えっ、えっ、さわくんって、そのちゃんのこと好きだったのっ?」
どうやら目論見は成功したらしい。話の主語を花隣から半澤へと変えることに成功した。さすがに半澤は苦笑いだったが。
「うん。僕は園崎さんのこと、好きだよ」
「うっわぁ……難攻不落と言われるそのちゃんに挑む猛者がいるなんて。しかもその猛者がさわくんなんて、意外すぎる」
「振られたけどね、やっぱり」
半澤が繰り返すと、それから女子マネは挙動不審になった。辺りをきょろきょろと見回して、誰もいない、もしくはこちらを見ていないことを確認し、半澤に耳打ちする。
「ち、ちなみに、どんな風に告白したの? よければ教えて」
「ストレートに好きですって」
「わおっ」
女子が頬を赤くする。見た目が超絶イケメンの半澤に、期せずして「好きです」と言われた衝撃は大きいだろう。譬、それが自分に向けられた言葉ではないにしても。その上耳打ちである。卒倒してもおかしくはない。
だが、その女子は卒倒しなかった。それにもちゃんと理由がある。
半澤がうーん、と悩んでから問いを口にする。
「つかぬことを聞くけど、もしかして、好きな人がいる? とか」
「うぐっ」
図星らしい。
普段ぽやんとしている半澤だが、見ていないようで、ちゃんと見ているのだ。こう続ける。
「もしかして、うみくんと同じクラスっていうバスケ部の子かな?」
「さ、さわくん、もしかして超能力者なの?」
「超能力者がいるなら会ってみたいよ」
まあ、自分の血液から奇妙な包帯ができるなんて、人間の域から脱しているのは確かだが。
それはさておき、真面目に話を続ける。
「こないだ、試合を見させてもらったとき、君は一番あの人を見てたから、かな」
「ええええっ!? わ、わた、私、そんなんだったかな!?」
かくり。首肯する。ちなみにとてもわかりやすくて微笑ましいと思ったので、よく覚えていた。
「青春だよね」
半澤がそう呟くと、女子マネはきょとんとした。何? と首を傾げると、女子マネはこう口にした。
「そういえば、かいとくんにも同じこと言われたわ。……かいとくんとさわくんって、ええと、あの、なんて言うの? 感じ方? が似ているのかな」
今度は半澤がきょとんとした。
「僕と、うみくんが、似てる……」
「さわくんはバスケしなさそうだけどね!」
「あはは、確かに」
そうやって自然に流したが、半澤の中には「感じ方が似ている」という言葉が深く刻み込まれた。




