生きる理由
太陽が射す。
「う……」
半澤は目を覚ました。昨日の夜、カーテンを閉めるのを忘れたのだ。朝になってから気づく。まあ、仕方ないことだ。
「……ああ、星の光は目に優しいのに、太陽はなんでこんなに目に優しくないのかな……」
太陽は惑星が巨大化し、中から爆発したことによって、自ら光るようになった恒星である。恒星というのは、普段夜空を見上げるとある星と同じである。つまり、普段見上げている星は他の銀河系における太陽のようなものなのだ。遠い近いの問題はありそうだが。
そんな理科の蘊蓄を説きたかったわけではないが、あまり太陽の光が好きではない半澤としては、太陽にもうちょっと光を抑えてもらえないか頼みたいところだ。
だが、朝、こうも低血圧気味な目覚めを迎えるのはある種、自業自得とも言えた。
半澤は棚を見る。そこに並ぶのは真っ白な包帯の数々。
「何度見ても実感湧かないな。この包帯が自分の血からできているなんて」
半澤には秘密があった。秘密というか、謎の能力だ。
半澤は中学時代、写真部の先輩と揉めたことがあった。それで思い詰め、リストカットをするにまで至った。
だが、そのときに異変が起こった。半澤はリストカットしたとき、謎の包帯によって一命をとりとめたのだ。故に、半澤の腕にはリストカット痕が残らない。
その謎の包帯はどうやら半澤の血から生まれるようで、切り傷擦り傷捻挫骨折、怪我や傷の状況を問わず、どんな怪我でも治してしまう不思議な包帯なのだ。使い終わると消えるということもないので、包帯ができるたびに、巻いてストックしている。ちなみに、一回でできる包帯はそんなに長くなく、一巻きの包帯にするには、六回分ほどの血が必要になる。ただ、やはり繋ぐ必要はある。……そのため、試したところ繋ぎ目と繋ぎ目を血に浸すと、包帯が繋がるようだ。
誰にもそのことは話していない。同じ家で暮らす新田家の人にも、親友である美好にすら話していない。
美好には一度、包帯を見られたことがある。見られたというか、見せたのだ。美好の怪我を治すために。あのときは何気なく使ったが、不用意だったかもしれない。隠し事をしなければならなくなったのだから。
リストカットをする半澤を、死のうとする半澤を、美好は止めてくれた。向き合ってくれた。なんで死のうとするんだよ、と。理解してくれたわけではないと思うがこう言ってくれた。「死ぬな」と。
美好は簡単な言葉で、半澤に生きていてほしいと願ったのだ。それが半澤はとても嬉しかった。そんな簡単な言葉が欲しかったのだ。簡単でも、なんでもいいから、自分に存在価値をくれる人が欲しかった。そうでなければ、半澤には生きる理由がなかった。もしかしたら、いつかの交差点で死んでいたかもしれない。リストカットで死んでいたかもしれない。美好と出会ってからは、美好が半澤の生きる理由になっている。
依存しているな、とは思う。だが、美好がそれを受け入れてくれるから、半澤は美好に依存するのをやめられない。むしろ、依存されるのを彼は望んでいるのかもしれない。……これは勝手な半澤の妄想だが。
そうであったら、きっと自分たちは本当に親友なのだと思う。誰かは友達ごっこと嘲笑うかもしれない。だが、誰に嘲笑われてもいい、半澤は美好にすがっていたかった。……花隣には悪いと思うが。
半澤は色々考えながら、学校に行く支度をする。のろのろと制服に着替え、カーディガンを羽織り、鞄にノートとペンケースを入れて、それから包帯も入れて、階下に向かう。
「あ、おはよう、通くん」
「……おはようございます」
新田家で一緒に過ごす佳代が台所に立っていた。まだ朝の六時だ。いつもながらに早い。だが、主婦は大抵、こんなものだろう。
「もう学校の支度をしたの? 毎朝早いわね」
半澤は優しい声に答えない。
もう何年もこの家で過ごしてきているが、ここを自分の家と思うことは困難だった。こんな無愛想な養子など、放っておけばいいのに、と思う。
苦しさが胸を締め付ける。別に新田家は何も悪いことはしていない。むしろ、受け取り手のなかった半澤を迎え入れてくれたのだから、いい家だろう。遠戚らしいが。
ただ、半澤が父との昔の思い出を手放せないだけだ。半澤にとって、家族はもう亡い父一人なのだ。それが心の中で蟠って、新田家に打ち解けられなくなっている。半澤自身が忘れるしか術はないが、写真が好きである限り、それは不可能だと思う。写真を捨てることなど、半澤にはできない。今では唯一の心の拠り所なのだから。……まあ、もちろん美好も心の拠り所ではあるが、物と人とはまた違う話になるだろう。
黙ったまま、朝食の席に着く。半澤が早いのにはもう一つ理由があった。佳代以外の家人と顔を合わせたくなかったからだ。家族とも思っていないのに、どう接したらいいのか、半澤にはまだわからない。佳代を見たところ、半澤には好意的であるようだが、一家全員がそうとは限らない。そんな現実を見るのが怖くて、半澤は顔を合わせないようにそそくさと学校に行くのだ。
朝だけはちゃんと食べる。それが半澤と佳代の間で交わされた約束だった。佳代はいち早く半澤の感情に気づき、向き合ってくれた。まだ半澤が割り切れていないことも理解して、打開策を示してくれる。有難いことだ。けれど、その佳代とすら、まともに目を合わせることもできないのだ。
「いただきます」
佳代以外の新田家の人物を半澤は知らない。家族構成はさすがに知っている。佳代の夫、息子が一人。息子は半澤より三歳年下で今年中学生になった。隣の部屋だが、顔を合わせたことはない。あちらから話しかけてくることもない。だから互いに顔も知らないで過ごしている。……だから家族と思えないのかもしれないが、今更、顔を合わす気にもなれない。有害な存在ではないだろうが、向き合うことは恐怖でしかなかった。
「ごちそうさまでした」
朝食を食べ終えると、半澤はやはりそそくさと家を出た。
学校に早く着いて、花壇に水やりをするのは花が好きだからということもあるが、単に他にやることが思い浮かばないからというのもある。家では部屋にこもりきりであるため、予習復習、宿題なんかを朝、その場しのぎでやる必要はないのだ。おかげで、学校では無難な成績を修めている。無難ということは、誰にも迷惑をかけないということだ。誰にも迷惑をかけないのは半澤にとって重要なことだった。
本当なら、父を追って死んでしまいたかった。だが、それでは周りに迷惑がかかる。中学時代も死のうと思ったことはあった。実際、死にかけたのだと思う。だが、結局、死ぬと誰かに迷惑をかけるから、死ぬことに躊躇いが生じる。
だからこんな変な能力なんて持ってしまったんだろうか、と歩きながら思う。死なないために、死なない程度の憂さ晴らしができるようにこんな能力を持ってしまったのではないか、と。
だとしたら、あまりにも自分勝手すぎるだろう。なんだか、自分が情けなくなってきた。
教室に入ると、誰もいない。自分の席にさっさと鞄を置くと、半澤は外に出た。いつも通り如雨露に水を汲み、花壇に向かう。
そうして水やりをしていると、やがてがしゃーんとけたたましい音を立てて何かが倒れる音がした。その音に、知れず、半澤の頬が綻ぶ。
最近は、これを待っている節があるのだ。
やがて、坂のある方から不機嫌な声がする。
「あー、くそ。またこけた。最悪だ」
その口癖を聞くと、なんとなくだが安心する。
自転車をからからと引いてやってきた人物に半澤は微笑んだ。
「おはよう、海道くん」
「よ、半澤」
半澤が死ぬのを我慢できるのは、ひとえに、この会話をしたいのだ。
何気ない日常の一コマが、半澤には愛しかった。




