助け
半澤と目が合った美好。半澤の救われたような眼差しとかち合う。それから、とりあえず言ってみる。
「助けに来たぞ」
「ありがとう」
「持つべきものは友だ。ちゃんと覚えておけ」
「うん」
半澤が携帯電話をきゅ、と胸元で握りしめる。大事そうに抱えている。そこに込められていた思いはどれくらいのものなのだろうか。「助けて」という短い言葉にどれだけの苦悩が詰まっていたのか、美好には計りようがない。ただ、半澤がそこにいる。お馴染みの儚げな笑顔を浮かべて。
きゅ、と胸が締まるように痛んだ。半澤のこの表情がとても胸に痛い。けれど、目を逸らすことはしなかった。ここで目を逸らしてしまったら、助けを求めてきた半澤への裏切りになるような気がしたから。
息の詰まるような思いがする。放課後の教室、外は曇天で、中は明かりが点いておらず、薄暗い。雨が窓を叩きつける音が異様に響いているような気がしたから。
「で、どうした」
「……手首を、切りたくなった」
……半澤は中学時代の出来事があってから、リストカットをするようになっていた。どんな怪我でもあっという間に治してしまうというなんとも胡散臭いが、本当に治してしまう包帯を持っている。それを巻いているから、半澤の手首には傷痕もない。綺麗な白い肌がそこにあるだけだ。
「……どうしてそう思った」
半澤は俯く。美好意外の人物と接するときは朗らかな表情を終始浮かべている半澤だが、最近、美好にはこういう顔を見せるようになった。
それから苦しげな掠れ声で告げる。
「……僕はね、写真を撮りたい」
「撮りゃいいじゃんか」
「うん、でもね、あの人たちと一緒にやっていけるのかなって思ってる」
あの人たちとは件の先輩方だろう。確かに、気持ちはわからなくもない。一度揉め事のあった先輩が掌を返したかのように歩み寄ってくることに、戸惑いしか感じないのだろう。しかもその揉め事のために、リストカットでの自殺未遂を繰り返すほどにまで仲が険悪で、自責を感じているのならば、尚更だ。
ただ、手首を切りたいという理由にはいまいちぴんと来なかった。
半澤は俯いたまま、つらつらと述べる。
「自分勝手だと思う。あの人たちの中で、僕に対する蟠りが消えたからの申し出かもしれない。でも、僕の中でその蟠りはそう簡単に消えるものじゃないんだ。過去のことに縛られ続ける必要はない。そんなのわかってる。でも、僕はまだ、割り切れないんだ。もしかしたら、あの人たちは僕の写真を見て、また馬鹿にするために、話のネタにするために、写真部への入部を勧めているんじゃないかって思う。……疑心暗鬼になるのはよくないってわかってるんだけどね。
僕はね、写真が好きだよ。大好きだよ。いい写真が撮れればそれでいいっていうくらい。そうして、自分は写真が好きなだけだ、って超然としていられればいいんだけど、あの人たちと一緒って考えると、どうしようもなく、不安になるんだ。大好きな写真を冷やかしの道具に使われたらどうしようとか、ありもしないことを勘繰るんだ。
……そんな自分が嫌で、今、とてつもなく死んでしまいたい」
「じゃあ、死ぬなよ」
半澤の誠心誠意、もしかしたら一世一代の大告白に美好はまさかの即答だった。
半澤はさして驚くこともなく、そう言われるような気がしていました、とこぼした。
「海道くんなら、なんとなく、そう言ってくれる気がした。うじうじ悩んでいる僕の背中を、何事でもないかのようにすんなりぽんって押してくれる……そんな気がした」
僕はね、と今度は自然な笑みを浮かべる。
「きっと、海道くんにそう言ってほしかったんだと思う。僕は……誰かに『死なないで』って言ってほしかったんだ」
「……俺じゃなくてもよかっただろうに」
すると、今度はくすりと笑った。
「僕、他に友達いないから」
「リンがいるだろ」
「園崎さんは女の子でしょ? 女々しいってぶった斬られたら、僕当分立ち直れないと思うよ」
なるほど、と思った。目に浮かぶ。
花隣の言葉は時に鋭い。その多弁なところから、お喋り好きな女子には人気だが、花隣目当てに言い寄ってきた男子はあっけなくばっさりと斬られていった。そこはやはり女子らしい胆の据わり方というか。
そこは女子と男子の違いがあるだろう。いつか美好の姉が言っていた。「女々しい」という言葉は女のためではなく、男のためにある言葉だと。「男勝り」がその逆であるように。日本語というのは奥深く、そして時に的を射た痛烈な表現を持っている。日本語という言葉の多様性に起因するだろう。
「簡単に死ぬなよ。俺はお前に一生友達でいてもらうつもりなんだからな」
「難しいことを言うね」
確かに、一生変わらずに、というのは難しいことだ。なんでもすぐに変わってしまう。特に人間は。見た目もそうだが、心なんて見えないものは変わったってわかりはしない。それがためで簡単に変えられてしまうし、変わってしまう。だから、一生、というのは難しい。
けれど美好は無理とは思わなかった。
「お前のこと、結構好きなんだぞ」
「……それは嬉しいかな」
「他意はないからな」
「そう言われると、他意がある気がするね」
最近どこかで交わした言葉だ。それに気づき、半澤はくすりと笑った。
「そっか、好きでいてくれるなら、好きでいてくれる海道くんのためにも、僕は生きなきゃね」
「是非そうしてくれ」
「僕も海道くんのこと、好きだからね」
「そうか」
「他意はないからね」
「そう言われると、他意がある気がする」
似たような言葉を交わし、目を見合わせて、それからからからと笑った。
他意はないが、美好は半澤が、半澤は美好が好きだった。好きだから友達になった。出会いの衝撃も色々あったし、ここ二ヶ月ほどで知ることも多くあった。それを知って尚、美好は半澤が、半澤は美好が好きだった。
まだ、互いに知らないことは多い。けれど、友達であり続けることは不可能ではないと美好は思う。
何故なら。
「……今日、こうしてメール送って、助けを求めてくれただけでも俺は充分だ」
美好の言葉を受け、半澤は頷く。
「うん、今までは、助けなんて求められなかった。でも、今回は海道くんの顔が真っ先に浮かんで、気がついたらメールしてた。それで、海道くんが来てくれて……」
語尾が涙に滲む。美好が慌てて半澤を見た。半澤は儚げな笑みを浮かべながら、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
「お、おい、泣くなよ」
美好が慌て、おろおろすると、半澤がふふ、と笑った。
眦を拭いながら語る。
「嬉しいんだよ。僕にはこんな頼もしい友達ができたんだなって。……僕はもう、一人なんかじゃないんだなって」
「ばーか、ずっと一人だと思ってたのかよ」
半澤の額を軽く弾く。さして痛くはないはずだが、半澤は反射的に痛っとこぼしていた。けれど、本格的に痛がっているわけではなく、笑ってすらいた。
「友達が海道くんでよかった」
「嬉しいな。でも、もっと頼ってくれてもいいんだぜ?」
「それはまた次の機会に」
涙を引っ込めると、半澤はふと放った。
「園崎さん」
「へっ?」
鳩が豆鉄砲食らったような声が出る。すると、半澤がくすりと笑った後、告げた。
「園崎さんと何か約束があるんじゃないの? 園崎さん、ホームルーム終わるなり、うきうき教室出ていっていたから」
「あっ、いっけね」
すっかり忘れていたらしい美好の様子に、半澤は悪戯っぽい笑みを浮かべ、茶化す。
「女の子との約束を反古にするなんて、男子の風上にもおけないなあ」
「お前が呼んだんだろうが」
美好はそう突っ込むが、半澤の言が冗談であることはわかっていた。
「あと、リンみたいなこと言うんじゃねぇ」
「あはは、園崎さんに何か言われたら僕のせいにしていいから」
「お前いいやつ」
「鞍替え早いね」
そこから二言三言、他愛のない言葉を交わし、美好は花隣の待つ美術室へと向かった。
そんな美好の背中を見送りながら、半澤がぽつりと呟く。
「やっぱり園崎さんは海道くんが好きで、海道くんは園崎さんが好きなのかなぁ」
美好はもう教室から出ていった。だから美好の心情は知りようがない。だが、花隣の心情は半澤にはわかった。半澤が花隣と同じクラスであるからというのもあるが──
──半澤が花隣を好きだから。




