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第9話 職務への責任

 教会の方から阿鼻叫喚が起る一方で――。

 メインストリートにいる兵士たちは円を描くようにして、激しく剣と盾を打ち合わせていた。

 硬い金属のぶつかり合う音がしきりに響く。その中心にいるのは、大剣を持つ黒の板金鎧の男と、盾を持つ灰色の鱗鎧の男――ラガンとダヴィッドの一騎打ちは、第三者の介入ができぬほど鬼気迫っており、そこはまさに“闘士の聖域”と呼ぶに相応しい場である。


「ぬうりゃッ――!!」


 ラガンは幅広のブロードソードを両手で握り締め、盾を構えるダヴィッドに向かって力任せに振り下ろす。


「ぐ――っ!」


 それを受けたダヴィッド盾が、力の方向のまま流された。

 ラガンの剣は荒獅子の如き勢いがあり、熟年に差し掛かった、そろそろ第一線を退こうかと考えているダヴィッドには一撃が重い。

 盾と持つ左腕はじんと痺れ、だんだんと衝撃を逃しきれなくなり始めている。

 荒々しいままにラガンの大剣は振りが大きく、攻撃の後の隙が大きい。

 すかさずダヴィッドが持つ片手剣が左から右に切り払うも、ラガンはさっと腰を引くだけでそれを躱してしまう。


 攻撃が当たったとところで、彼の重厚な鎧はその威力を大きく殺した。

 力を振り絞り、斬りつけようとも、逆に片手剣の刃の刃がこぼれてしまう。

 だがしかし、刃の欠け具合で言えばラガンも同じである。

 裏面が黄色いダヴィッドの盾は厚く、補強が施された盾の表面を叩くたび、ラガンの大剣の刃が大きくこぼれた。


「流石は“女王の盾”、と言ったところか――しかし!」


 ダヴィッドは盾一枚でのし上がってきた武人である。

 対してラガンは、剣一本でのし上がってきた武人である。

 まさに矛と盾の対決であるが、勝負はラガンの方が圧倒的に上回っている。


「貴様の守る“女”は、もはや誰一人としておらぬぞっ!」


 それは、若さの違いであった。

 下から大きくフルスイングし、その勢いのまま身を反転させ振り下ろす――。

 ラガンは剣が折れることを厭わず、若さに任せて相手をねじ伏せにくるのだ。

 石畳を踏みしめ、真正面からそれを受けたダヴィッドは左腕の痺れをぐっと堪え、ラガンの首元を狙って刃を振り抜く。


「国が倒れても、人が居れば蘇るっ!

 私はそれを、導くべき者を守るために戦っているのだっ!」


 長さが足りないと分かっているだろう。

 ラガンは最低限の動きで、あまり自由の利かない上半身をぐっと逸らすだけで剣を躱す。

 ぶん、と音を立てたダヴィッドの剣は、薄っすらと浅黒い鼻の皮膚を斬っただけであった。


「娘一人守れなかった者が何を言うっ!!」


 ラガンは返す刀に手首を返しながら大きく振り上げる。

 ダヴィッドの盾が間に合わず、とっさに右腕の籠手に賭けてそれを防ぐ。

 刹那、高く鈍重な音が起こった。


「ぐぅ、ぅ……っ!」


 のこぎり状に刃が欠けたラガンの剣は、もはや鈍器である。

 そのおかげで、籠手が大きく変形しただけで済んだものの、流石にその衝撃は強烈であった。

 手にしていた剣が、カラン……と音を立てて落ちた。


「――ふん、なかなか良い籠手だ」

「ふ……腕の良い職人と知り合いになったものでね」


 懐には痛手だったがな、と自虐的な笑みを浮かべた。


「だが、その首が落ちるまでの時間が伸びただけに過ぎん。

 貴様は結局、何一つ守ることができないまま、ここで果てるのだ!」


 トドメだ、と言わんばかりに大きく振りかぶり、ダヴィッドの頭めがけて振り下ろす。

 反撃される恐れがないためか、それは傍目からでも隙だらけである。

 ダヴィッドは限界の近い身体に鞭打って、手にした盾を掲げた。


「ぐぅッ――ぉぉッ……!」


 盾と剣の破片が大きく宙を舞った。

 その勢いに負け、膝から崩れるものの……盾だけは決して離そうとはしなかった。


「……ふん、往生際の悪い男だ。

 もはや武器すら握れぬと言うのに、どうしてまだ盾を掲げ、その身を守ろうとする」

「若者が剣を持つのならば、年寄りはそれを守らねばならん……からな……。

 この盾は、もう二度と離さん……」

「今のガキに戦えるか! 見よッ、我らが王をッ!

 戦に怯え、血に怯え、縮こまって震えているだけの、情けない姿を晒す王をッ!」


 ラガンは大きく砕けた大剣の切っ先を、建物の角に隠れるエミリオに向けた。

 彼は幽霊と見紛うほど顔は蒼白になり、霞む目で見ても唇を身体を震わせているのが分かる。

 確かに、とダヴィッドはそれに口元を緩ませた。


「どうだ、お前の娘……嫁すらも満足に抱けなかった男は。

 そんな奴が剣を持って戦えるか! この先の時代を、我々を導いてゆけるかッ!

 あいつだけではない! 今この世界のガキどもがみな、腑抜けになっているのだ!

 そんな奴らに時代は任せられん。我々がすべきことは、守るべきことではない!

 今この時代を生き、戦い、我々が新たな時代を作ることだ!」


 ダヴィッドの考えを振り払うかのように、ラガンは左腕を大きく振り払った。


「ふ……剣を持たぬ若者が増えたのならば、古い人間はなおさら去らねばならん。

 時代は変わる。この国は死に、新たな時代を迎えようとしている――。

 お前には分からぬだろう。時代に取り残されたと分かった者の恐怖を。

 それを受け入れ、自ら飛び込もうとする者の勇気を。

 私が手にしているものは、希望――剣は我々が握っているものが全てではない!

 挑もうと、立ち上がろうとする若い力こそが剣なのだ!」


 その言葉に、ラガンはますます激昂した。

 ダヴィッドの家は元々は誰もが憧れる名家であった。多くの猛者がそこで生まれ、ラウェアの地を確立し、時代を作ったと言うのも決して大げさな表現ではない。

 彼もまた、それに憧れた武人の一人でもある。

 しかしそれも……末裔が老いに敗れ、意気軒昂な名家が崩れ去ったと感じていた。


 周囲の兵士たちも手を止め、ことの顛末を見守ろうとしている。

 “自由区”の方から聞こえる悲鳴や怒号も聞こえなくなった。


 まさにその時であった。

 柄を両手で強く握り締め、ダヴィッドの身体を貫かんと剣を振り被ったラガンに向かって、エミリオは駆けていた。

 今この時だ――耳元でそう聞こえた気がしたのだ。

 いや、確かに聞こえていた。

 愛する妻の声が『今ここで踏み出せ!』と、獅子の牙を剥けと叫んだ。


「うわあああああああっ!!」

「――何っ!?」


 ラガンに体当たりをしたが、その堅牢な塔のような身体を崩すことはできなかった。

 だが、それだけでも十分だった。


「エミリオ様ッ、この盾を――ッ!」


 ダヴィッドは己の盾を反対に向け、エミリオに投げ渡す。

 真正面から受け取ったエミリオは、それが何か全く分かっていない。

 防ぐにしても盾を反転させねばならない。

 裏に『!』のマークが入った黄色い盾を――。


「こ、このガキが――な、何だっ!?」


 ラガンはエミリオを叩き斬ろうとしたその時……周囲に白い煙が漂い始めていた。

 それは次第に一点に集まり……すらりとしなやかで、美しい女の身体を作り上げる。


「ま、まさ……か、お前は……シル、ヴィア……?」


 その女をたっぷり抱いたラガンには、それが誰だかすぐに分かる。

 女は艶めかしく微笑むと、ラガンの頬に手を沿え唇を寄せ――


「がッ、あアァァァァァァァッ!?」


 ラガンは両目を限界まで開きながら、喉、鎧の胸部を掻きむしり始めた。

 敵味方、取り囲む輪が数歩広くなり、誰もが恐怖で顔を引きつらせる。

 いくら外からのダメージに強い屈強な男であっても、内部から、内蔵から焼かれてしまえばひとたまりもない。

 種火を流し込まれたような、喉を通る灼熱の吐息が口内から喉を、胸を焼き焦がしてゆくのだ。

 喉元を過ぎれば、とはゆかなかった。溶けた鉄を流し込まれたかのような、地獄の苦しみがラガンを襲い続ける。


『赤ん坊を――しっかり抱いてあげくださいね、パパ』


 何かが燃え盛るような、焦げ臭いものが周囲を漂っている。

 既に息絶えてもおかしくない。なのに死ねないのは、シルヴィアの“炎の呪い”か――途絶えぬ意識の中で、ラガンは喉を掻きむしりながら何度も死を祈り、赦しを請うた。

 ドッ……と両膝を付いたのを見たシルヴィアは、すかさずエミリオに指示を出した。


『エミリオ様――今ですッ!!』


 エミリオは形も何もなく、胸に湧きあがる感情のままにラガンの顔を殴りつけた。


 ――剣を捨てると誓った


 涙を流しながら何度も、悲鳴のような叫びをあげながら、なりふり構わず何度も殴りつけた。

 赤子の焔・恨みの炎で死ねないラガンは、息絶えるまでエミリオに殴打され続けた。



 ◆ ◆ ◆



 また、城の方も穏やかではなかった。

 “五老”の最後の一人・フーは、大公側が敗北濃厚になっていることに気づいておらず、無理やり命じた部下と共に、城内で反乱を起こしたのである。


「――女王はっ! <イントルーダー>のあの女、クレア・ラインズはどこだっ!」


 フーは一直線に“女の園”に向かったため、彼は気づいていなかった。

 昨日まで笑い合っていた友とは戦えず、すぐさま剣を下ろし降伏したことに――。

 またそれは、かつての権威は既に失われてしまっていることの証拠でもあった。

 今の彼に残されているのは、“女王の剣”と呼ばれた当時の誇りと、栄華の思い出だけである。


 ――女たちはさぞ恐怖に怯えているだろう


 通路を守る衛兵を斬り伏せ、剣を取り換えどんどん奥に進んで行く。

 道を守る最後の衛兵を貫くと、その顔に醜い笑みが浮かぶ。

 この先は女だけだ。“女王の剣”と呼ばれた自分が、女の腕なぞに負けることはない。

 恐怖に負け、生にすがりついて身体を差し出すような女の姿を想像すると、思わずイチモツを勃起させてしまう。

 弱い奴らをなぶり殺しにしよう。必死に命乞いをさせよう。

 そこに、武人の姿はない。行き場のない敗北と屈辱感が、ファーの心をどんどんと歪めた。

 厨房の前を通り、柔らかい赤絨毯を踏みしめる。渡り廊下に差し掛かった時……そのど真ん中で腕を組み、でんと仁王立ちしている女が見えた。


「――“投票期間”は終わり、もうここは男子禁制だよ。

 今は戦争中だ。“一般人”が迷い込むこともあるだろうし、一度だけ見逃してやるよ」


 高い位置で束ねた赤髪が、くっと持ち上げた顎に合わせて揺れる。

 そこに居たには、灰色の作業服姿の女・クレアであった。


「何だ――今の言葉は、俺の聞き間違いか?」

「言い間違った覚えはないね」


 生意気な口を利くクレアに、フーの頭に血が昇る。


「<イントルーダー>は、最後にしてやろうかと思ったが」

「おや、それは困ったね。アイツは喧嘩もしたこともない男だから大変だ」

「……アイツ?」

「私はそんな大した人間じゃないよ。

 アンタたちは、今の今まで勘違いしたままやってきたってことさ」

「ふん……見え透いた嘘を。

 ならどうして、たかが底辺のお前がこんな場所に、侍女の最高責任者に選ばれるのだ!」

「あっはっはっ! そりゃ、私がイイ女だからだろうよ」


 クレアはからからと笑った。

 ギリッ……と、フーの奥歯が割れそうなほど、強く噛み締められたのが分かる。

 侍女たちは後ろで様子を窺っていたのだろう、彼が剣を構えると、細身の小剣を持った女が飛び出そうとした。


「――アンタたちはじっとしてな!」


 クレアの強い言葉に、女はビクりと身体を震わせ踏みとどまった。


「たかが女一人で勝てると思っているとは……私も舐められたものだ」

「そう言って、後悔した男たちは何人も見てきたよ。

 過去の栄光に縛られ、虚勢を張るしかできない愚かな男たちをね。

 そいつらは限ってこう言うんだ、『女のくせに』ってね」


 クレアは小馬鹿にするように続けた。


「私はねそいつらをブチのめし、こう言ってきたんだ――『男のくせに情けない』ってね!」


 クレアは腰からハンマーを取り出し、構えた。

 それは、使い慣れた日用品の金槌――刃渡り百センチほどの剣を前に、たかだか三十センチほどしかない粗末なものだ。


「アタシはここの責任者だ――あの子たちを、部下を守る責任があるんだよ!」

「出しゃばったことを後悔させてやるっ!」

「その言葉も聞き飽きたよ!」


 フーは鋭く剣を縦に振ったが、それはヒュン……と空を斬った。

 彼は完全にクレアを甘く見ていた。相手は女。そこに得物と構えも素人であれば、油断するのも無理もないだろう。

 それが慢心を生み、無意識に剣を大振りさせた。それでなくとも、この平和な王都暮らしで剣筋が鈍ってしまっている。

 矢継ぎ早に繰り出される剣を、クレアはサッ、サッと躱してゆく。


 相手はどこにでもいるような、普通の女ではない。

 幼い頃から荒々しい男社会で生きてきた、口よりも先に手が出る女だ。

 その性格が災いし、男と殴り合いの喧嘩したことは数えきれず。

 結果……彼女に手を出す命知らず(おとこ)がいなくなってしまった。

 たった一人、それを知らない男を除いて。


(シンジには絶対に見せられないね――)


 柔らかい赤絨毯に慣れておらぬフーは、僅かに足を取られた。

 逆に、嫌と言うほど掃除し、歩いてきたクレアはしっかりと絨毯を踏みしめられる。

 大振りされた剣を掻い潜ったクレアは、男の眉間に向かって思い切りハンマーを振り下ろした。


 鈍い音が鳴った。

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