第1話 小さな女の子とセイズ村
セイズ村ののどかさは、一夜にして消え去った。
村は今や、ゲブゼリアのドワーフたちが徘徊する、薄汚れた荒くれ者の村と化している。
だが、血の臭いは漂っていない。村の男たちは抵抗しようとしたが、この村の医師・トマスがそれを抑え、『村の者には一切手を出さないこと』を承諾することを条件に、無抵抗降伏したのだ。
それが一週間ほど前のこと。収容所となっている診療所に《コボルド》が放り込まれたのは、それから五日後である。
「…………」
黒鎧姿のむさ苦しいドワーフたちが、村からかき集めた酒をあおっている。
ゲブゼリア軍の胴鎧姿の女の子は、それを横目に喉を鳴らしながら、人質が幽閉されている診療所を訪ねた。
玄関口をあがるとすぐに、白衣姿の犬……ワンコが出迎えた。
「おお、わんわん! 壮健そうじゃのう!
てか、何じゃその格好……何? 『一度、これ、着てみたかった』?」
「うぉん!」
訪ねてきた女の子・イヴに、ワンコはひと吠えして答えた。
楽観的な性格のおかげか、悲壮感はないようだ。
医者は貴重な存在である。ドワーフにとってもそれは同じであり、『分け隔て無く診るには、確たる“安心と信頼”を示してもらわねばならない』などと言われれば、渋々ながらも首を縦に振るしかない。
そのおかげか、オンボロの診療所は薄暗いものの、灯りを落とした家々よりは明るくあった。
(同郷のゲブゼリアってことが、せめてもの救いかのう……?)
ワンコがセイズ村に異変を感じた時には、もう手遅れであった。
瞬く間に、黒い鎧兜を身にまとった《タウロス》とドワーフに囲まれてしまったのだ。
――馬車の中には、ドワーフの娘がいた。
ワンコは抵抗しようとしたが、イヴがそれを止めた。
ドワーフは荒々しい性格であっても、モラルや物事の判別は相応にある。
イヴは『同胞をここまで運んでくれた』と言うことにすれば、無下には扱えないのだ。
「――で、わんわん。
ここにいる女たちの中で、リュンカって女を紹介して欲しいのじゃが」
ワンコは頷くと、二階に繋がる階段を上り始める。
女・子供はそこに集まり、手を出されぬよう“聖域”の中で身を寄せ合って生活しているようだ。
褐色肌の者――鎧姿のドワーフの女・イヴを見るなり、母親がぎゅっと子供を抱きしめ、露骨に強い忌避感を露わにする。
緊張状態が続いているせいであろう。顔には疲労と恐怖が入りまじり、“きっかけ”次第では、ガラス片で喉を突きかねない危うさすらもある。
イヴは特に気にした様子も見せず、じっと周囲を、この場にそぐわぬ“看板”に目を向けた。
「青地に白抜きの『V』か――。
シンジの作ったこれには、世話になったのう」
イヴのその言葉に、ハッと顔をあげた女を見逃さなかった。
「なるほど、お主がリュンカって女かの」
「は、はい……」
「ふむ、聞いていたよりおぼこな娘じゃな。
で、“コレ”の看板を設けたのはお主か?」
「そ、そうですが……」
リュンカの目に不安が浮かぶ。
それを見たイヴは、呆れ顔とともにため息を吐いた。
「切羽詰まれば分からんが、我々はそこまで落ちぶれてはおらん。
その気になれば“聖域”を侵せるのに、やらんのはその証拠じゃ」
「……」
「突然村を占領したのじゃ、信用できんのも無理はないか。
まぁ、それなら良いが――シンジから『旦那と元気でやってるか』と言伝を賜っておるのでの。
それを伝えにきたのじゃ」
進次郎の知り合いだと分かるや、リュンカは顔を明るくした。
それを見ながら、イヴは言葉を続ける。
「ここが落ちたのはいつじゃ?」
「ちょうど、一週間前です」
「大公側の人間は来たか……と、来ておったらもっと嫌悪を露わにしておるな」
「え、ええ……その、私の方からもよろしいでしょうか?」
「うむ、構わんのじゃ」
「その、シンジさんの他に……」
「クレアも知っておるぞ。
ひょんなことで、あやつらの下に身を寄せることになったからのう。
無論、二人は元気じゃ。
まぁー朝から晩まで、ぶん殴ってやろうかと思えるほどイチャイチャしっぱなしじゃ」
イヴはカッカと笑った。
そして、小声で『王女の侍女となってから、悲恋劇の演者になっておるがの』と女の仕草で言うと、リュンカは思わず仰け反るほどの驚きを見せる。
しかし、二人の関係には納得がいったようで、自分のことのように喜んでいた。
「――で、お主、ちょっと頭を出せ」
「へ? こ、こうです……いだっ!?」
イヴはリュンカの頭をぽかりと小突いた。
何だと責める目を向けるが、握りこぶしを作ったままイヴは鼻息を荒くしていた。
「聞くところによれば、お主は新婚じゃろうがっ!
先に旦那の安否を尋ねんかっ!」
「あ、あうぅぅ……」
「まぁ、ここに来る前に見て来たが、元気に男どもをまとめておったぞ。
我々との繋ぎ役も担ってなっておるし――よい男を選んだのう。
アタシはあんなキザっぽい男は遠慮じゃが」
それを聞くなり、リュンカは恥ずかしそうに目を伏せた。
「さ、最近の子供ってマセて――いひゃいっ!?」
「どいつもこいつも、最近のガキンチョどもはぁぁぁっ!
アタシは、お主らよりもダブルスコアは生きておるのじゃぞっ!!
分かったかっ! 分かったら、アタシに謝るのじゃっ! 分からなくとも謝れっ!」
「す、すみまひぇぇん……」
リュンカの頬をつねり上げている指を離すと、ふんっと息を吐いた。
そのおかげか、心配そうな目で見ていた者たちの緊張も少し和らいだようだ。
口元に笑みを浮かべている者もおり、イヴはそれに小さく息を吐いた。
受け入れられたと分かると、病室の中をゆっくりと見渡し始める。
消毒液と埃っぽい室内、食糧はカチカチになったパンと水が与えられているようだ。
それにイヴは『やはりか……』と申し訳なさそうな表情で呟いた。
「大将の〔セルハン・ティメル・グロウザ〕が戻ってくれば、もう少しマシな食い物を与えるよう言っておくのじゃ……。
と言うか、もう解放するように取り合っておくのじゃ……はぁ……」
それは、ドワーフの悪い癖であった。
――略奪者は、女を犯さず食糧庫を犯す
地域によって様々だが、ゲブゼリアの者はまず酒と食い物、そして財宝を堪能する。
それに『ナニが小さいからだ』と嘲る者も多い。
だが、実際は女を直接襲わなくとも、“飢えと渇望”が女たちに自ら身体を捧げさせるのである。
(酒池肉林を味わって戦気を失う――“強欲”とは、転倒した馬車と同じわだちを踏ませるものじゃ)
戦が長引けば長引くほど、彼らは弱る――それがドワーフの弱点でもあった。
暗殺者が女たちに紛れ、首を取られた者も少なくない。
外に出ねば学ばぬ……と呆れ顔のイヴに、周囲の者は『ドワーフの王を呼び捨てにする、この子はいったい何者か』との目を向けていた。
「それで、リュンカとやら。
シンジが持っていた、兜と財布はどこじゃ?」
「兜……? ああ、そこのチェストの中にありますが……」
リュンカが指差したサイドチェストは、進次郎が使っていたものだ。
その中には、茶色のひさしがついた黄色のヘルメットが入っている。
「……ふむ、なかなか珍妙な兜じゃの。
アーメットみたいなのを想像しておったが、スカルキャップに近いか。
しかし、これはいったい何の素材じゃ?
硬くて軽い――通気性もよさそうじゃし、うむ、なかなか。
ヒビが入ってるのは残念じゃが、まだ使えそうじゃな。
よし、アタシが貰っておこう――で、これがあ奴の財布か。ふむ……見た目に反して良いセンスしておる。
編み革のなかなか良い物……これもアタシのにして、中身は――」
コインは一枚、他は『仏頂面のオッさんの紙切ればっじゃ……シケておる』と舌打ちし、荒々しくそれをポケットに突っ込んだ。
ヘルメットは気に入ったのか被ったまま、リュンカに向き直った。
「――と、言うわけで、じゃ。
シンジに手紙送るとき『気が変わったので全部貰ってゆく』と書き加えておけ」
「へ? あ、は、はい……はい?」
リュンカが首を傾げたのをよそに、イヴは満足そうな顔でワンコと共に病室を後にした。
・
・
・
「ふっふーん――っ♪
いやー、シンジからいい餞別を貰ったのじゃーっ」
強い日差しが、黄色いヘルメットをキラキラと光らせる。
周囲の羨望のまなざしが心地よい。思わず小躍りしたくなるような気分だ。
ドワーフは仲間内であっても、“略奪品”を奪い合うような種族であるが、彼らはイヴに対しては手を出さない。
誰もが村の向こうからやって来る者と同じ、畏怖の対象として見ているのだ。
「む――帰って来たか」
ガラガラドンドンと騒々しい音を立ててやってくる、巨大な《タウロス》の牛車――その中に乗る者を待っていたのだ。
それがイヴの近くで停まると――
「ブワッハッハッハァーーッ!! 今戻ったぞ、クズ共ーっ!!
やはり、よい獲物がおったわっ!! しばらく、この近郊に獣は出んぞおっ!!」
牛車の屋根によじ登るや、中にいた者が燦々と輝く陽光を背に、唾を舞い上げながら叫んだ。
それに応じ、周囲のドワーフが『ウオオオオオオオ――ッ』と、野太く低い賞賛の叫びをあげる。
まるで毛を伸ばした熊のような男であった。
胸元を覆うほどの黒々としたヒゲを撫でながら、満足げな笑みを浮かべ、質素ながらも己の領地となった村を見渡している。
「――ん?」
その中で一人、叫ばない小さなドワーフの女に琥珀のような瞳を向けた。
理由なく王を称えないことは不敬にあたるが、それよりも、彼女が被っている“兜”が気になっていた。
「あい変わらずやかましいのう、セルハン王は……」
「お、おおおおっ、おおおっ! ライアーヴッ! そなたも来ておったのかッ!
来るなら来ると言わぬかッ! おい〔ナズ〕ッ、ライアーヴが来たぞ!」
「げっ……王だけじゃなかったのかの……」
ライアーヴとはイヴの本名である。
呆れ顔のイヴは、馬車の中に向けて叫ばれた名に、心底面倒くさそうな顔をした。
『お、お待ちくださいっ、父上っ――か、髪の毛が……!』
まだ声変わりのしていない、男の高い声であった。
落ち着きがなく、牛車の中でバタバタと騒々しい音を立てている。
「出て来なくていいのじゃ……。
丸坊主でもフサフサでも、アタシは何とも思わんし……」
そう呟いたイヴの言葉は空しく、バンッと牛車の扉が勢いよく開け放たれた。
「ライアーヴッ、おおッ、我が愛しき姫君ッ!!」
「やかましいッ!! だーれが姫じゃ!!
お主のような軟弱者になぞ嫁がぬ、と言っておろうが!!」
それは、イヴと同じほどの少年であった。
父・セルハンと同じ黒髪であるが、猫っ毛のせいかずいぶんと幼く見える。
中身は大人なのか、自信満々に胸を張って高笑いを浮かべ始めた。
「はっはっはっ!! あの頃の私だと思いますなっ!!
苦節十年!! 辛い修行に耐え、鍛錬を積み貴女の下に戻って参りましたぞ!!」
「一年も経っておらぬじゃろうがッ!
ってか、何じゃその気持ち悪い喋り方はッ!」
「貴女のしごきに耐えるための身体になった、と言うことです!
さあッ、手合せ願いましょう! そして、勝った暁には――」
リーランド王都にて式と――ナズは両腕を広げながら、イヴに歩み寄って行く。
「はぁ……まったく面倒くさい。
いや待てよ……これを利用すれば……うむ!
セルハン王、ちとアタシの話を聞いて欲しいのじゃ!」
「む? 何じゃ?」
「アタシが勝ったら、ちと“お願い”を聞いてもらえんかの?
負けたら、コイツの求婚を受け、今晩そのまま初夜を迎えてもよいぞ」
「おおッ! 構わぬ構わぬッ! 何でも聞いてやるぞッ!」
言質は取ったぞ、とイヴは指をポキポキと鳴らし、歩み寄って来たナズと向かい合った――。




