第1話 追放されたのは女王だけとは限らない
――アリス女王陛下、追放
この報せが街全体に広まったのは、リーランドに新たな一日が始まってからであった。
暗雲が空を覆う。騒然とした街の話題は、専ら次の王座に座るであろうクリアスへの不安だった。
城と繋がりのある“上流区”の者たちは私財をまとめ、足早に王都を去る準備、次にぶら下がるべき者のリストアップに奔走している。
またそれに従い、“ロイヤル・ストリート”の店の殆どは、入口に鎧戸が立てかけられたままで、一夜にしてアリス政権の興亡を表すかのような、街の空洞化を起こしていた。
最近までそこに出入りしていたドワーフの娘・イヴも、クレアの事務所【ラインズ・ワークス】に戻り、進次郎が用意していた朝食を前に、頬杖をつきながら不満気な表情を浮かべた。
「――やーってくれたのう、あの小娘」
「俺はそれよりもアイツの貞操のが心配だ……」
彼女の前に座る進次郎は、どうしようもない不安にうなだれている。
“夢の中”にて、クレアは血相を変えて『女王陛下が追い出された!』と報告をしたため、彼女が侍女長代理に任命されたことに驚く余裕がなかった。
いや、驚きはした。だがその後に『王女に夜伽を命じられるかもしれない』と、深刻な様子で話したクレアを前に、自身は平静を保つことが出来なかったのだ。
そんな焦燥に駆られている進次郎の姿を見て、イヴは悪戯な声で話しかけた。
「これで完全に、ここに帰ってくる望みは無くなったのう」
「うう、無事であってくれ……」
「ま、他の男と寝るわけでもなし、ロイヤルゼリーを味わうと思えば、さほど大きな問題でもなかろう。
上手く立ち回れば、両手に花な夜だって迎えられるかもしれぬしの」
「む、それはそれで……痛だっ!?」
進次郎の後頭部に痛みが走った。
『娘を貰おうかって言ってる男が、なに浮ついたこと言ってんだい!』
その後ろでは、クレア似の女性――母親のエリィが仁王立ちしていた。
横にはマクセルもおり、薄ぼんやりとした身体を浮かばせながら進次郎を見下ろしている。
『うむ。仮にそのようなシーンが来たとしても、もう男では味わえぬ快楽を仕込まれているかもしれん。
それを見ながら己でシゴく可能性も――あ、いや、さっさとクレアを連れ戻せ!』
エリィに睨みつけられ、マクセルはとっさに言葉を濁した。
どう言うわけか、進次郎には『!』の【標識】がなくてもクレアの両親が見える。
それはイヴも同じらしく、双方は『効果が残っているのか?』と考えていた。
「その、朝っぱらから出てくるの止めてくれませんかね……? 夜でも困るけど」
「アタシもやはりカエルの子のようじゃ。
ぼんやりとじゃが、ホントにクレアとそっくりじゃのう……」
『でしょー? ああ、この子可愛いわ~。
娘に欲しいぐらい、よしよ〜し』
「この頭の悪さもそっくりじゃ――」
イヴは【幽霊 ぶん殴る方法】とメモ帳に記し、大きく背もたれに身体を預けた。
「しかし、アタシの仕事は終わったが、どーしたもんかのう……。
トーちゃんを連れ戻すつもりでここに来たが、脱獄・拷問の繰り返しじゃ先は長いし、ここに残り続けると後々面倒なことになりそうじゃ」
「面倒なこと、って別に居てくれても大丈夫だぞ?
俺が言える立場でもないが、クレアもきっとそう言ってくれるはずだしさ」
「いや、そんな小さな話ではない。
女王が追放されたってことは、この国は今、正式な女王が不在ってことじゃ」
「クリアスが……そうじゃないのか?」
「王都の者が認めれば、の」
この国の事情を知らない進次郎は、イヴの言葉に眉を潜める。
それを見たクレアの母親は、何かを思い出しながら口を開いた。
『確か……ちゃんとした手段で退けなかった場合、次に新たに玉座に就く者に対して、“信任投票”が行われるはずね。
国の有力者たちの投票で、王座に相応しいか決める……んだっけ?』
「うむ。ほぼ全員が信任に投じる出来レースじゃがの。
しかし、今は時期が時期……強引に追放したせいで、女王派の者の心象最悪、あの小娘の様子ではパイプも少ない。
つまり、大公側が名乗りをあげれば、そっちに票が流れる可能性が非常に高いのじゃ」
「そ、それって、内部分裂起こすんじゃないのか!?」
「間違いなく起こす――ってか、それが目的じゃろう。
投票日をいつ設けるか分からんが、あの小娘は戦争を起こすつもりじゃ。
向こうに決起させる理由もあるしの」
「シルヴィアさんのことか……」
シルヴィアは大公領に嫁いだが、機密書類でもある<イントルーダーの日記>を焼却し、命を絶った――相手側からすれば、スパイを送り込まれたものと同様である。
大義名分の下に叩き潰すのが目的か、とイヴは話す。
「だけど、あの記述でどうして女王が追放されるんだ……?
馬鹿でもなきゃ、あれは『頭打ったけど今は大丈夫。娘は<イントルーダー>になったから、酷な運命を背負う前に私の所に来て』って読める内容だっただろ?」
「改ざんしたんじゃろ。
ったく、それに気づいておったら、金塊も追加しておったと言うのに……」
忌々しい、と鼻を鳴らしたイヴに、進次郎は苦笑を浮かべた。
彼女が“報酬”を全て持ってゆき、『仕事にゆく』と言ってどこかに消えたのだ。
それが何に変わったのか不明だが、今の彼女の手元にそれがある気配がしない。
だが、今の――いや、この国にいる自分にとって、クレア以上の価値のある物はなく、金銀財宝の価値なぞ無いに等しい。
彼女の温もりを得てからと言うもの、ますます彼女を求める気持ちが強くなってしまっている。
王女の側近に近い、侍女長の座に就いた彼女を連れ戻すのは至難の業だ。
それこそ戦争に乗じて、彼女を連れ戻さねば……と考えている進次郎の頭に、ある疑問が浮かんだ。
(それまで侍女長やってた、コーニーは何やってるんだ……?)
矢継ぎ早に繰り出されるクレアの言葉の中には、解任された以外、何一つ触れられていなかった。
解任されたと言っても、路頭に迷っていることは無いだろう。他に何らかの役職に……と思っていると、事務所の入り口に濃紫のローブを着た女の姿が見え、進次郎は思わず立ち上がった。
(クレア――)
しかし、薄暗い街を背景にして立つ女は、それとほど遠くにあった。
「う、うぅ、ご、御主人さまぁ……」
「誰だ――って、コーニーかっ!?」
そこに居たのは、茶髪の髪の女――元・侍女長のコーニーだった。
いつもの毅然とした姿ではない。めそめそと半べそをかく彼女からは、これまでの威厳がまるで感じられなかった。
「ふ、服も薄汚れてるし、ど、どうしたんだ……?」
「し、城追い出されて、ダヴィッド様のところに厄介になっていたんですけど……うぅ……そこでも、追い出されて……途方に暮れて、いたんですぅ……」
「ダヴィッドさんにまで!? ってか、城追い出されたって、何かしたの?」
「あ、あの夜……ご命令通り、クリアス王女――いえ、女王陛下に渡して、指示された通り“イ”ったのが原因で……。
せ、責任とってくださぁ……い……うう……」
「字が違ェよっ!? そんな所で絶頂迎えたら、クビになるに決まってんだろっ!?」
ダヴィッドの娘・シルヴィアは、最期に父の夢枕に立って別れを告げた――。
それが尾を引いているのか、クリアスから頼まれていたコーニーであったが『娘を思い出してしまう……』と言われ、進次郎の居るところにやられてしまったようだ。
両こぶしを目元にやり、しくしくと涙する彼女に進次郎は困り果てた。
「説明不足のシンジが悪いのう」
「何でっ!?」
「お願いです……っ、便女でも何でもいいのでここに置いてくださぁい……っ!」
「そんな不穏になるワード言われて置く奴はいない」
『俺は置きた――くありません、はい』
エリィに睨みつけられたマクセルを見たイヴは、『将来のシンジとクレアじゃな……』と顎を撫でながら呟いた。
「ま、ここにクレアの両親も居ることじゃ。
一階で寝かせておけば、そうそう暴挙には出んじゃろ。
狭いとは言え、仕事しない仕事場を遊ばすのは勿体ないしのう」
「そうだな……追い出したら今度こそ行く所も……って、コーニーの実家は?」
「娘がそんな理由で追い出された、なんて知ったら無理心中しかねませぇん……」
色んな意味で最終手段だ、とコーニーは続ける。
完全に進次郎しか頼る者がいないらしく、諦めたように息を吐いた。
「イヴの言う通りだし、しばらくここで居るといい。――いいよね?」
進次郎はクレアの両親に目を向けると、二人も『仕方ない』と頷いて見せた。
「いいらしい」
「あ、ありがとうございますっ……て、このお子様以外、誰と話してるのです?」
「やはり追い出すのじゃ」
「ご、ごめんなさいぃっ……」
口は災いの元――コーニーは初めて見るドワーフの娘に、ひたすら頭を下げ続けた。




