第2話 侍女長の本懐
心配は杞憂に終わり、コーニーは非常に大人しくあった。
解雇されたことを省みたわけでなければ、イヴに畏怖したわけでもない。
ただ、“クレアの両親”が怖いのである。
――彼女はお化けが大の苦手なのだ。
それは、幽霊が見える『!』の【警戒標識】を持っていたと分かるや、顔を蒼ざめさせ、肩を抱いて震え始めたほどだ。
クレアの母・ケリィに『イケないことをしようとすれば、即座に祟る。大人しくしていれば何もしない』と言われた彼女は、何度も大きく、高速で頭を上下させた。
「――あ、おはようございます」
しかし、普段通りにしていれば問題ない。
そうと分かった彼女は、いつもの毅然とした侍女長時代のような面持ちで、“朝の業務”を行っていた。
進次郎が起きてくる時間を計ったかのように、焼けたばかりのパンの香ばしい香りが漂い、テーブルには付け合せのハム・目玉焼き・サラダ・スープ・コーヒーと、テーブルに並ぶモーニングセットが彼を出迎えた。
「――これは、凄いな」
「大したものでなくて申し訳ありません……あまり時間と食材がありませんでしたので、有り合わせの物で、簡単に調理させて頂きました」
「ある人物が聞けば、心がバッキリ折れるセリフだな……」
それにクレアの母・エリィも同意するように頷いた。
『親として擁護できないのが悲しいよ……。
朝早くから起きて、掃除洗濯を完璧にこなしちゃうんだから……。
こんなテキパキ動く娘さん、生きてる間に見たことないよ』
『まぁ、三十年しか生きてないからな』
クリスティーナ曰く『幽霊が見える世界は、死んだ日で止まる』らしい。
彼女が見えているこの事務所は昔のままだが、コーニーの仕事ぶりを見れば、部屋が一段と明るくなっていることが分かるのだろう。
感心しきったように、何度も何度も頷いている。
(見た目が美味ければ当然、味もいいに決まってるよな。
高級ホテルの朝食、なんて記憶に古いが遜色ないぞ……)
コーニーの料理は美味い。それは、匂いにつられて起きて来たイヴも、思わず“追加注文”してしまうほどの物である。
だが、鼻が利くのはイヴだけではない。人やドワーフよりも鼻が利く者もまた、匂いにつられたかのように事務所に顔を出してきた。
「おぉ、わんわん!
お主も飯にあり付きに来たのかの?」
ワンコは『うぉうぉんっ!』と嬉しそうに頷いた。
「クレアの時は避けるくせに……現金な奴だ……」
コーニーも嫌な顔一つせず、新たな“客人”のために厨房で料理をこしらえている。
空いている席に着こうとしたワンコは、ふと何かを思い出したように懐をゴソゴソと漁り、二つ折りにされた封筒を進次郎に差し出した。
「何だ? 手紙……と言われても読めん」
「貸してみるのじゃ。
えぇっと――ダヴィッドのオッさんからの仕事の依頼書じゃな。
ふむ、『地下水路から侵入せぬよう、入口を塞げ』じゃと」
「ま、ますます、クレアに会いにいけなくなるじゃないかっ!?」
「阿呆。城への入口ではなく、城壁から繋がる道のことじゃ――もう、あいつら戦争やる気満々じゃな」
「ああ……そう言うことか……」
シルヴィアが『大公領でその図面を見た』と言っていたところからして、相手はこの王都の脆い場所を熟知しているはずだ。
そのままにしていて良いのか、と思っていた進次郎も安堵の息を吐いた。
「あの小娘がクレアを保護するのも、始めからこれを目論んでおったんじゃろうな。
ふむ……『材料や道具は向こうに置いてある。白地の看板も置いておくが、描くために相応しい色が分からないため、それだけは持って来て欲しい。
それと、コーニーは大丈夫だろうか? 君たちのことだから、蔑ろにはしないだろうが、くれぐれもよろしく頼む』じゃと……何とも勝手なもんじゃ」
「ま、まぁ信用してくれたってことで……。
だけど、外からの入口とかどこにあるか知らないんだが、イヴは知っているのか?」
「二か所なら知っておる。
じゃが、アタシはちょっと出かけねばならんからのう……」
イヴはどうしても外せない用事がある、と困った表情を浮かべていると――
「私が全ての道を知っております」
そこに、ワンコの料理を盛った皿を両手にしたコーニーが『そう言うことならば』と、協力を申し出てきた。
「一宿一飯の恩義に報いるため、ご協力致しましょう」
「ほ、本当かっ! ……て、何でコーニーが?」
「侍女と言えど、有事にはこの身を持って主君を守らねばなりません。
危険箇所や安全な逃走経路、潜伏できそうな場所や隠し倉庫……この頭に徹底的に叩き込んであります」
「……お主を追い出した原因が見えてきた気がするのう」
当のコーニーは分かっていないようで首を傾げたが、クリアスは彼女が熟知しているのを見越した上で追放したのだろう――イヴの言葉に、朝食をがっつくワンコ以外の皆が頷いて見せた。
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地下水路の構造は頭の中にあるものの、足を踏み入れるのは初めてのようだ。
クレアの作業服に着替えたコーニーは、そこに立ち込める臭気に、思わず“侍女”と言う仮面を崩してしまう。
進次郎はあまり気にならないが、コーニーは臭いにも敏感であるらしい。
「大丈夫か?」
「え、ええ、問題ありません……」
細く弱い息を吐く彼女は、もぞりと肩を回すように動かした。
ずっと柔らかいローブを着ていたからか、木綿のごわごわとした感じに慣れないのだろう。
先ほどから何度もその仕草をしている。
「クレアは大きい方だと思っていましたが……こうしてみると、それがハッキリと分かりますね」
すらりと背の高い彼女であっても、クレアの服は大きく感じるようだ。
「俺からすれば、クレアも華奢な方なんだけどな」
「それは、殿方の――包み込む側の視点だからだと思います。
同性からすれば、彼女はがっちりとした身体をしている方ですよ」
ほどよい肉つきは、羨ましくなるくらい……とコーニーは続けた。
進次郎はコーニーの身体を改めてじっくりと見た。
確かに付くべき所に肉はついているが、全体的に皮膚の下の肉が薄い印象を与える。
クレアはシュッとした、少しキツめの服を好む。
それでもだぶだぶに見えてしまうのは、そのせいだろう。
「あ、あの、必要とあらば、御主人様に全て曝け出し――」
「先を急ごう」
「あ、うぅぅ……」
恍惚の瞳を覗かせた彼女を無視し、進次郎はランプの灯りを頼りに暗い地下水路を歩き始めた。
三度目の訪れともなると、進次郎にも余裕が生まれているようだ。
“元居た世界”でも、よく遊びに出かけた繁華街は『地下を制すれば一人前』と言われていたのを思い出しながら、どんどんと奥に邁進してゆく。
ほどなくして、一つ目の入口に差し掛かった。
コーニー曰く、『致命的な入口は一か所だけ』であるらしい。
他は大きく迂回するルートを取らねばならず、そこから侵入しても城に辿り着くまでに多くの時間を要してしまう。
ダヴィッドの“依頼書”にあった通り、そこには白のペンキと真四角の看板、そして支柱立て用のブロックが置かれている。
それを見た進次郎は、顎に手をやりながら難しい顔を浮かべ始めた。
「うーん……やっぱりか……」
「どうかされましたか?」
「ダヴィッドさんは、看板には恐らく【進入禁止】を描かせたいんだろうけど……【道路標示】にそれとなる物がなかったはずなんだよなぁ……」
「と、言いますと?」
「施主が勘違いしてるか、別の意図がある、かもしれない」
「他の……何かを描くのでしょうか?
と、言いますか……もしかして、絵を描いて『来ちゃダメ』ってやるだけですか……?」
理由を知らぬコーニーは、眉を潜めながら進次郎を見た。
今では“自由区”を中心に周知されつつあるが、滅多に城を出ない、世間から隔離された“女の園”にいた彼女には知る術がない。
そのため、進次郎の説明を受けても、より疑わしい目を向けるだけであった。
「看板なんて、無視する人もいるでしょう。
もし外から悪い人に仮に壊されたり、燃やされたりしたらダメでしょうし」
「……あ! それで【標示】も描くのか」
「な、何をですか?」
「【このさきへ、いかぬがとくさく……】になるようにな――」
進次郎は急いで、石畳に描く準備に取り掛る。
彼女はクレアと同様、どのような“仕様”であっても仕事に対しては実直だった。
“糸打ち”の方法を教わればすぐにそれを自分の物にし、怪訝な表情をしていても、指示されるままに動いてくれていた。
そのおかげで作業は捗り、一か所目、二か所目でもスムーズに仕事が進められた。
しかし、“致命的”な物となる三か所目では、そこにある物が違っていた。
「これは……恐らく、ダヴィッド様がご使用になられる盾ですね」
「仕様書があるけど……ワンコの時みたいに、盾に描くのか?」
これまでの看板の他に、そこには大きく頑丈な盾が一つと一通の封筒――
【シンジ君には感謝している。
娘は運ばれ方に不満気であったが、どのようにして王女……いや、女王陛下にお会いになられたのか話してくれたよ。
それを聞き、折り入って君に頼みたいことがあるのだが……もし良ければ、それをこの盾に描いて貰いたい。
娘はもういないが、これがあれば傍に居てくれる気がするのでな――。
※追伸
女王陛下より、賜ったものがある。これでもう君を縛る“罰”はなくなるはずだよ。
(クレアの働きの分も含まれているようだ。今度またこっそりと会った時、何か“手土産”でもくれてやった方が良いぞ?)】
コーニーが読みあげたその封筒の中には、<ハートのシール>が四枚入っていた――。




