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第3話 幽遊しき問題

 ダヴィッドが“日記”を持って行ってから、四日後の夜――。


 進次郎は、使用した【警告標識】の扱いに困っていた。

 この標識は汎用性があり、使い回しもできる。

 しかし、『!』のマーク単体に『幽霊注意』の意味を持たせてしまったため、設置するとそこが幽霊街道になりかねないのだ。

 同時に【補助看板】をつけるとしても、進次郎は読み書きができない。

 イヴは報酬と何らかの依頼書を受け取るなり、どこかに飛び出し……それっきり帰ってこない。

 設置もできないので、使い道が見つかるまで事務所に置いておかねばならないのだが……たまたま、それを取り出したのがまずかった。


『――君と娘の睦み合いを見守っていたが、もう少し節度を保つべきだぞ』

「はい……すみません……」


 ランプの橙灯りに照らされた、半透明の幽霊。

 この事務所には、クレアの父親・マクセルが()()のだ――。


(クレア一人じゃない気がしてたんだよ……)


 元々は父親の店なのだから当然だろう。

 背が高くガッチリとした逞しい身体。短くカットされた金髪は強面(こわもて)の顔を更にイカつく見せる。

 開通前などの【交通標識】は布や紙で覆っておかねばならない。

 なので、同じように隠しておけば、クレアの父親が出てこなくなる。

 だが、このような時でなければ彼女の親と話す機会もないので、進次郎はお説教を甘んじて受けることにしていた。

 そして……これが甘かった。

 クレアは木の股から産まれ、父親に育てられたわけではないのだ。


『――アンタも似たようなもんじゃないかい!』

『け、ケリィッ! いや、うむ……お前の方が激しかった覚えがあるんだが……』

『何言ってんだい! ことあるごとに求めて来ておいてさ!』


 ケリィと呼ばれた、肩で切り揃えられた赤い髪の女性――若くてスラリと背が高い、何とクレアとそっくりの母親であった。

 彼女の方がツンと鼻が高かったりするが、パッと見ればクレアと見紛うほどだ。


『いやー、でもクレアがあんな女女(おんなおんな)するとは思わなかったわー。

 生活態度はあんま大きく変わってないけど、シンジ君が来てからはちょっとマシになったし、感謝してるのよー。それまで心配で夢枕に立ってやろうかってぐらいだったんだからね。

 でもあの子、私の顔知らないでしょ? それで突然現れたらどうしようかーなんて思ってたところに、アナタが来ちゃった。もー、ママ大感激っ!

 こんな子が息子になるのなら、私は大歓迎よーっ! それで何っ! 赤ちゃんいるかもしれないんですって? もうっ、なんて親孝行なのかしら、んんんっー!』


 クレアと大きく違う所は、とてつもなくお喋りなのである――。


『ただ、ちょーっとアブノーマルなプレイとか、倒錯したのに手を出すのに早すぎよ?

 もうちょっと考えて、マクセルの言うように節度を持ちなさい。本当に。

 あの子もあの子で、一人でやんややんやするんじゃなくて、もうちょっとどうにかしなきゃね。ベッド破壊しちゃったのは、ちょーっとやりすぎたかな?

 まぁでも、そのおかげであの可愛い女の子、なかなか味なことしてくれたね!

 ああー、産むならあんな可愛い女の子を――』


 進次郎は思わず【標識】を布で覆った。

 あれが地であるなら、旦那は相当苦労しただろう。

 もし生きていれば、クレアもあんな感じになっていたのかと思うと、進次郎はゾッとするものを覚えた。

 しかし、思い当たる節はある。遺伝なのか、ピロートークならぬピローチャット。クレアはひっきりなしに喋ることがあるのだ。

 見えなければ問題はない。夫婦水入らずで楽しんで貰おう、そう思って早めに寝床に入ろうとランプの灯りを消すと――藍色に包まれた事務所の中で突然、ふわり……と進次郎は何者かに触られた気がした。


(クレアの両親か……?)


 だが触れられるのなら、これまでもそうしていたはずだと思い直す。

 全神経を集中してじっと佇む。すると、背筋にぞわっとした感覚が走った。


 ――気のせいではない


 静電気の塊がゆっくりと身体を通り抜けてゆくような、ピリっとした、嫌悪にもくすぐったさにも感じる何かが漂っている。

 それが分かると、進次郎は急いで『!』の【標識】の布を外すと――


「だ、誰だっ!?」

『あぁっ……やっと、やっと話ができる人にお会いできました……!』


 眼前に裸の女が現れ、進次郎は思わず腰を抜かしそうになってしまった。

 生前は美しい髪だったのだろう。その髪の先に描かれる、女の艶めかしい曲線美に、思わず喉を鳴らす。


『んお゛ほんっ!!』


 クレアの母親の喉鳴らしに、思わず居住まいを正した。

 それは父親の方も同じであったようで、思わず目線を下に向け、耳を引っ張られてしまっている。


『あ、あの……突然の訪問をお許しください。

 父がよくお話ししていたので、ここならと思いまして……』

「父……?」

『ダヴィッド――と、申せば分かるでしょうか』

「ダヴィッドって、ま、まさかっ!?」


 それは、シルヴィアであった。

 進次郎は彼女と面識がないが、以前に聞いていたそれを思い出す。

 しかし、ダヴィッドと王女から聞いていたものは、今の彼女とはまったくの別物である。

 大公領に嫁いだとは聞いていても、()()()とは聞いていないのだ。


「も、もしかして」

『……はい。ご想像の通りです』

「じゃあ、やはり大公に……」

『ち、違いますっ! あの方はっ……あ、その』


 その様子に、進次郎もクレアの母親も『なるほど』と頷いた。


『――女の幸せは得られたんだね』

『は、はい……』

『でも、のっぴきならぬ様子だけど、何かあったのかい?』

『そ、そうです!

 クーリに、いえ、クリアスに会わせてくださいっ!

 急ぎあの子に伝え、訊ねなければならないことがあるのですっ』

「クリアスか……会わせるにしても、俺一人では城に入れないし。

 ダヴィッドさんが来るのを待たないと」

『そんな時間はありませんっ、夜明けまでしかここにいられないんですっ』


 不可能な依頼だ。いくら進次郎らが優遇されている方とは言え、城に押し入り『王女に会わせて』なぞ言えるはずがない。

 ダヴィッドの名を出せば入れるかもしれないが、本人がいなければ通れない上に、『生きている』と信じているところに、出し抜けに真実を突きつけることは酷だろう。

 そして、この【標識】の効果が得られるのは、せいぜい五メートル程度。

 仮に通れたとしても、今度は“女の園”を抜け、クリアスの寝床まで近づかねばならないのだ。

 シルヴィアの様子からして、向こうで何かの情報を得た――進次郎は頭を悩ませた。


(もし侵入できても、どうやって“女の園”を抜けてクリアスの所までゆくんだ?

 そもそも、謁見の間までしか知らないし、アイツの寝室とか知らないしな……。

 城に知り合いも、他に頼れる者も――)


 進次郎はそこで、ハッっと思い出した。


「クレアだっ! 今、“女の園”にクレアが居る――あいつに頼めば、これを運んで貰うことができる!」

『そうか、今アイツが侍女に……おお、我が娘も成長したなっ……』

『真っ先に娘を思い出してくれるなんて……嬉しいね……。

 そう言えば、この前もあの子はアンタを思い出してニヤけて――』

「ま、まぁ、それは今置いといて……次の問題は、城の中への行き方、クレアにどう伝えるか、だな」


 それを聞き、シルヴィアはひたいに拳を当てながら何かを思い出そうとしていた。


『確か、軍事機密の書類で城の潜入方法が――。

 えぇっと、えぇっと確か“下”……ああっ、地下です!

 城内に繋がる地下通路の地図がありました!』

「そう言えば、イヴも『城の真下まで繋がってる』って言ってた……あまり考えたくないけど、行く方法はある。

 なら次は、クレアとのコンタクトの方法だけど――“夢の中”、ああ、自分で言って思い出した」


 しかし、その方法に問題があった。


「眠気、バッチリ吹き飛んだんだけど?

 夜更けまでいけそうな冴え方だよ……?」


 シルヴィアの裸から始まり、それぞれの出来事に進次郎の目が冴えてしまったのだ。

 これから寝ようとしても、“何者か”に寝るのを待たれていると思うと、なかなか寝付けるものではない。

 進次郎は神経質でもあるので、変に意識すると眠れなくなってしまう。

 どうしたものか――彼はそう思っていると


『――なら、こうすればいいのさっ!』


 クレアの母・ケリィは、進次郎の頭を両手でがっしりと掴むと――



 ◆ ◆ ◆



 ふかふかのベッドの部屋から、女たちの相部屋に移ったクレアは、ぼうっと暗い橙の明りが灯る天井を見ていた。

 これまでの生活を考えれば、ずいぶんと早い就寝時間だ。

 侍女は朝と夜の二交代制で動く。まだ空がやっと白み始める頃から朝の業務が始まるため、仕事を終えればすぐに就寝せねばならないのだった。

 簡素なベッドであるが、馴染みのあるこちらの方が彼女にとっては寝心地がいい。


 最初は人形のように思えていた女たちも、一緒に働いてみれば気のいい連中だと分かった。

 “花嫁修業”で来ている貴族階級の娘や、王女にスカウトされて来た者など……生まれも育ちも城勤めの者はほぼいない。

 そのためか、鼻持ちならない者が誰一人としていないのだ。

 その中でも、クレアのような者は珍しく――特に“イイヒト”がいることが知れるや、あちこちから、“男”について尋ねられる。


 育つ環境が違えど、女の好物はどこも同じ。

 特にこの“女の園”は男子禁制だ。出会いは城内でのちょっとしたすれ違いや、“星めぐり祭”などでの祭事で外に出られる時ぐらいしかないため、特に敏感になっている。

 それが、将来を約束されたような仲であれば、女たちの関心を引くのも尤もであり、毎日のように誰かからさまざまなことを聞かれてしまう。


(仕事は大変だけど、なかなかやりがいのある仕事だね。

 転職……は、うーん、シンジがいないからダメか……)


 少し顔を赤らめ、そっと目を閉じた時――突然、脇から呻き声が聞こえてきた。

 誰かが調子を崩したのか、クレアは慌てて飛び起きる。


「――し、シンジ!?

 ああ、“夢の中”か。驚いたよ……って、あ、アンタもしかして頭打ったのかいっ!?」

「お、お前の母親にやられたんだよっ!?

 何だあの頭突きっ!? 頭めり込んで、またどっかの“世界”に逝くかと思ったぞっ!?」

「か、母さん? え、ど、どういうことなんだい……?

 私が一歳か二歳の誕生日の後、死んだはずだよ……」

「クリスティーナの一件を話したろ?

 その時に使った【標識】を置きっぱなしにしてたせいで、事務所に出てきたんだ」

「事務所に、母さんが……ど、どんな人だったんだいっ!

 父さんは美人だったって言うけど!」

「クレアにそっくりだ。見た時、クレアだとマジで思った」

「えええっ!?」

「――美人だったよ。でも、こうして見るとクレアの方が遥かに上だな」

「ば、ばか……また頭突き喰らっても知らないよ……」


 “夢の中”でしかできない口づけをすると、進次郎の胸の中に顔を埋めた。

 大変な侍女の仕事も、これがあるから楽しめ、乗り切れると言っても過言ではなかった。


「――ああそうだっ! クレア、ちょっと今から言う【標識】をすぐに作ってくれ!」


 急にどうしてと驚いたクレアだったが、進次郎にその理由をふんふんと聞く。

 少し思案した彼女はうんと頷き、満面の笑みで返事をした。


 ――やなこった


 ……と。

※1話飛ばして投稿してしまってました……申し訳ありませんm(_ _)m

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