第2話 脛の傷と潜む蛇
青天の霹靂。すっきりと晴れ渡っていたはずの空に、突然の雷が鳴った。
「どうすれば、どうすればいい……」
進次郎は早朝から頭を抱えた。昨夜、クレアに“日記”のことを報告したのはどこに、抜き打ちに王女の侍女になったことから、とんでもないことを告げられたのだ。
食う物はそのままに、空になったコーヒーカップを何度も口に運んでしまう。
その横でイヴは実に楽しそうな笑みを浮かべ、コーヒーを啜った。
「――あーあ、ハーメらーれたー」
「ち、違うっ!? 俺がハメる方だからっ!」
「あーほ。あのクリアスって王女の方にじゃ。
まー、クレアにしても合ってるがの。三十路に突っ込んだ女にのめり込み、猿のように求め合ってたんじゃ、そりゃ“可能性”も出てくるに決まっておろう。
何がなんでも種を残そうとする、追い詰められたメスをナメるでないぞ? にひひ!」
「おぉう、弱肉強食ぅ……」
「いやー、あの王女もしたたかよのう。
己が<イントルーダー>であることを黙っておいて、外堀をじわじわ埋めた結果――クレアは人質、お主は立派な王女の飼い犬じゃ」
けらけらと明るいイヴの言葉に、進次郎はがくりと頭を垂らした。
クリアス本人は『<イントルーダー>ではない』と言っていたが、口では何とでも言えるのだ。
「もう、あの女は信用ならん……。
これまで全部、あいつの手の上で踊らされてたことになるじゃん……」
「王族なんてそんなものじゃ。
てか、クレアに“月の障り”が来てないって、ただの不摂生が原因ではないのかの?
アタシの目にも、そんな兆候が見えておらなかったのじゃが」
「うーむ……そうだとありがたい、が」
「ふむ。子供を成しているのがそんなに嫌なのか?」
「いや、嫌ではない……な。
むしろ嬉しいんだけど、何だろうな……怖いような、“現実”がやって来るような、妙な不安が襲ってくるんだ」
「なんじゃ、そんなことで悩んでおったのか。
流石にアタシはそこまで経験ないが、親になるとはそんなモノじゃろう。
子と同時に、責任を孕む。男の妊娠、と言ったとこじゃ」
進次郎は『確かに……』と頷いた。
これまで考えなかったことでもない。その時が来れば受け入れるつもりでいるつもりではいた。
ただそれには、自身に関する“問題”の解決をしなければならないのだ。
――問題が起きたとき、答えは既に出ている
ふと、机で音楽を奏でているイヴの言葉を思い出した。
(結果はどうであれ、ケジメだけはしっかりしなきゃな)
確かに、と進次郎は頷く。
決心が固まると、朝日に照らされた雪のように、不安がスゥ……と溶けてゆくのを感じ、事務所の外が眩いばかりに明るく見え始めた。
今日は何をしよう――そう思っていると、遠くから馬の蹄の音が聞こえて来るのが分かった。
「――やぁ、シンジ君」
「ダヴィッドさんっ! こんな朝からどうしたんです?」
「どうした、とな?
いくら私と君の関係とは言え、私の管轄内に無断で足を踏み入れて良いとは言えない――燃え落ちた教会、覚えはないと言わせんぞ?」
「う……それは……も、申し訳ありませんっ!」
言い訳ができぬ状況に、進次郎は大きく頭を下げた。
……が、イヴは椅子に深く腰掛け、足を組みながら踏ん反り返っている。
「い、イヴッ、お前も――」
「なーんで、アタシらが謝る必要がある?
このオッさんが見つけられなかった物を見つけ、所持しておるんじゃ。
交渉はしても、下手に出る必要性なぞまったく無いはずじゃ」
「ははっ。やはりドワーフがいると、やりにくくてかなわんな……」
ダヴィッドは思わず苦笑を浮かべ、こめかみをポリポリと掻いた。
思えば初めから怒気が感じられず、進次郎はぽかんと口を開いたままになっている。
「いやなに、ちょっと驚かせてやろうと思っただけだ。
罪は罪であるし、捕えてもよかったのだが……そうすると、クレアに怒られてしまうからな。
めでたいかもしれん日に免じて、目を瞑ってやろう」
「んなっ!? ど、どうしてそれを……っ」
「はっはっはっ! 私は城勤めで、女王・王女の側に仕えているのだぞ?
聞かずとも、配慮せよとの命は下されるに決まっているだろう」
「や、やはり……クレアは“こんにちは”ですか?」
「……何のことか分からんが、現状は“勘違い”の可能性のが高いようだ。
あれは単純だから、そうしておけば扱いやすい――現に、子に示すためか、侍女としてはりきっているしな」
目に見えて分かる、と進次郎は頷いた。
初日の嫌々オーラはどこへやら、今では周りを驚かせるほどだとダヴィッドは話す。
「……仕事は雑だがな」
「アレに繊細な作業を期待する方がおかしいのじゃ。
しかし、あの王女の侍女とは色々大変じゃろう?
カエルの子であれば、夜の方ももちろん、じゃろうしな――」
イヴの言葉に、ダヴィッドの眉がピクりと動いた。
「……“日記”の中を、見たのか?」
「そりゃあ、我々に委ねられたんじゃからの」
「――それを人には?」
「儲け話を易々と話すはずがないじゃろ。
しかし、ドワーフのヒゲは“かみ”と同じ――金属製の“おもし”が無ければペラペラまくれ、思わぬ場所で開いてしまうかもしれん。
まー、王族の女なら仕方なしじゃし、言ったところで何だとはなるがの」
イヴは悪どい笑みを浮かべると、ダヴィッドは安心したように息を吐いた。
クリスティーナの<イントルーダーの日記>を読み上げてもらった所、当時の王女――現在のアリス王女は、何とバイセクシャルであったことが分かったのだ。
確かにイヴの言葉通り、それは『王族の女なら仕方のないこと』なので、差別的な意味合いは持っていない。
進次郎は気が気でないが、それよりも先に記されていた部分が最大の問題だった。
「――お主ら、クリアスが<イントルーダー>の力を得ていたこと、黙っておったな?」
「……もし漏れれば、再び女王陛下にあらぬ疑いがかけられかねんからな」
「あらぬどころか、半分かかわっておるじゃろ。
清廉潔白なフリをして、脛に傷を隠し持ちまくりおって」
クリスティーナとアリスは無二の親友であったらしく、何でも相談し合える仲――女王はその頃、“火遊び”に惑溺しており、どこかで火傷せねば正気に戻らないほどだった。
それを――クリスティーナが危惧していた矢先、ついにそれは起きてしまう。
アリスは妊娠中なのに“火遊び”してしまい、下腹部に違和感を覚えてしまったのだ。
医の心得があったクリスティーナは急ぎ調べた。
結果は特に問題はなかった。……が、その頃のアリスは多忙を極め、精神状態が不安定になっていた。
クリスティーナは『抱え込んだ不安とストレスが原因だ』と話した途端、アリスの感情が爆発し、親友に八つ当たりしてしまったのだ。
その時、アリスは『自由な貴女には分からないのよ!』と、彼女の忌諱に触れる言葉を発したのである。
――同じ苦しみを味わえ!
それが、引き金となった。
クリスティーナは激怒し――カッとなった彼女は“禁忌”を、本当の自由を知るアリスを妬み、<イントルーダー>の力を移譲してしまったのだ。
しかし、それは予想を反してとんでもない結果を招いた。
――“魂”が力の一部を食べてしまった……!
それを口にする前、クリスティーナはアリスに突き飛ばされ、近くにあった長椅子に頭をぶつけてしまう。
動かなくなったクリスティーナに、アリスは思わず逃げてしまったのだ。
お腹の子……クリアスが、力を“得て”しまっていたことを知らぬまま……。
「クリスティーナは気を失っていただけ――しかし、ちょっとヤバいかもと思ったんじゃな。
休む前、万が一に備えてこの“日記”に『友への謝罪と赦し』を書き、安全な場所に隠した――が、その直後、よからぬ奴がやってきた。
あの建物を見て思ったが、ろうそくの火や普通の油じゃあんな燃え方はせん。
それこそ、大公側で使う<パイロの吐息>ほどでなければ、な」
今となっては追及も無理じゃが、とイヴは続けた。
放火を疑われたアリスは、身重を理由に王位争いから退いた。
火をつけたのは彼女ではないにしろ、<イントルーダー>を殺害・力を途絶えさせた呵責に耐え兼ねたのだろう。
しかし、大公側の悪政もあって、アリスは出産後すぐに王座に就くこととなった。
それからは心を入れ替え、クリスティーナへの贖罪のため、アリスは女王としてあり続けた。
途中で王が急逝し、子への愛情までも犠牲にして――。
「さて……そこまで知っていれば、相応の物を渡しておかねばならんな」
「白金、金剛石で黙っておいてやろう」
イヴは即答すると、空いた手と“日記”を置いた手を上下に動かした。
――同じ重さの分よこせ
ドワーフと交渉時は、絶対に“弱み”を見せてはいけない。
進次郎はそう思い、渋い顔ながらも『難しいが何とかしよう』と返事をするダヴィッドに漢を見た。
◆ ◆ ◆
月だけが煌々と輝くその日の夜――ダヴィッドは“日記”を懐に、城の奥に足を踏み入れていた。
まだ濃紫のローブに慣れぬクレアと会い、少し寂しそうな進次郎の様子、イヴに手を焼かされたこと……他愛もない話をしてからそこにやって来ていた。
黒檀の扉の前に立つダヴィッドの顔は、厳しい軍人の顔となっている。
「――サー・ダヴィッド。
こんな時間にやって来たと言うことは、やっとアレが手に入ったのですね」
そこに居たのは、彼が使える主・女王アリスではなく、娘・王女クリアスであった。
腰を落とし深々と頭を下げると、懐から“日記”を彼女に差し出した。
「――少し高い買い物になってしまいました」
「いかほどに?」
「“日記”と同じ重さの、白金と金剛石を」
「……ドワーフのおらぬ時にすべきでしたわね。
背が低い分、よく足下が見える……なかなか厄介な種族ですこと」
クリアスは不満げに鼻を鳴らしながら、ダヴィッドより“日記”を受け取った。
日記を開き、中身を確認しながらゆっくりと元居た場所へと引き返す。
「――まぁ良いでしょう。城の金庫にあるそれを持ってゆきなさい。
金庫番には、わたくしの名を出して構いませんので」
「あれは、女王の財布と言っても……よろしいのですか?」
「凋衰の母に、わたくしを止める力はもはやありませんわ」
「……では、ついに?」
厳しい軍人の顔の目が、月明かりに浮かぶクリアスの細く美しい背に向けられる。
彼女は何も語らなかった。ただ――顔だけを横に向け、蒼い微笑みを浮かべるのみ。
それは、若干二十歳とは思えぬほど恐ろしく、妖艶な微笑みであった。




