第1話 濃紫のローブ
王都の灰色の部屋の中は、どんよりと暗い雰囲気がのしかかる。
夜が明けてもなお、クレアの“踏んだり蹴ったりの日”はまだ続いていた。
(う、うううう……い、い、いったい、何がどうなっているんだい……)
知らなかった、では済まされない事態にクレアは頭を抱えた。
それは、濃紫のローブを着た侍女たちから工具を取り上げ、勝手に城の扉を修繕したことである。
原則として、緑のローブを着た侍女は女王のみ、濃紫のローブを着た侍女は王女の命のみで動く。本業・職業柄とは言え、そんなの彼女たちの仕事を取り上げたと言うことは、王女の命に背かせる反逆者と見られかねない。
それでなくとも、城に出入りする貴族御用達がいるのだ。それらの無視したことは、とてつもなく面倒なことまで引き起こしかねない――。
侍女長・コーニーが部屋を訪ねて来たとき『もはや投獄も免れぬ』と、覚悟していたのだが……彼女が手にしていた物を差し出された時、事態は予期せぬ方向へと突き進んでしまったのだ。
『王女様は才覚ある者、素質のある者を好まれます。
此度の仕事を讃され、貴女に咎を問う気はないとのことでございます。
そして、咎めるよりも、これを授けよと――』
そう言うと、コーニーはすっとローブを差し出した。
彼女はそれ以上何も言わなかった。しかし、それが何を意味しているのかは分かる。
――これを着ることで許す
つまり『それは、王女つきの侍女だった』ことにすれば良い、と言うことだ。
断れば、それこそ牢屋行きだろう。他に逃げ場のない彼女は震える手で受け取ると、コーニーは呟くように彼女に語りかけた。
『“女の園”は男子禁制です。この国には女性の作業員は、ほぼ皆無なのが現状です。
知恵も技術もない女による素人工事であるため、あちこち限界が来ていますので――』
これを着れば中に入れるため、工事をしろと言う。
そう言うことかと頷き、さっそく王女の侍女と同じ濃紫のローブに着替えたのだが……。
――バケモノか!
似合っているかどうかの次元ではない。鏡に映した瞬間、思わず心の中でそう叫んだ。
肩がぽっこりと膨れた、ゆったりとしたシンプルなワンピースタイプ。ベルトは無く、腰に通された帯ひもを絞るようだ。ウェストを締め付ける方が好きなため、満足がゆくそれにすると、腰部に大きなたわみが生じてしまっている。
チラッと見ただけの侍女たちを思い出しても、まるで似ても似つかぬ格好である。
それは、朝礼の事前説明のため戻って来たコーニーが絶句したことでも分かった。
「――ど、どれだけ、どれだけ帯を締めているのですかっ!」
「そ、それでなきゃ、腹回りがスカスカで落ち着かないよ……っ!」
「これはほぼ飾りのような物。わずかに絞り、腰のラインを作るだけです!
それとその口の効き方っ! もっと丁寧な口調で、口を小さく、下を向いて話しなさい!」
「む、無理だって……」
「『はい、分かりました』です! 命じられた時の返事はそれだけ!」
「も、もう勘弁しておくれよ……」
クレアは悲鳴をあげ、心の中で進次郎に助けを求めた。
歩き方から始まる立ち居振る舞い、朝礼の言葉の練習――起きて二時間にもかかわらず、もうベッドに飛び込みたいほどの疲労が彼女を襲っていた。
それからすぐに侍女たちの朝礼が始まったが、そこでコーニーがどうして指導を徹底的に行ったのか、理解した。
(まるで囚人か軍隊だよ……)
どこにこれだけの侍女がいるのか。
灰色の回廊にズラりと並ぶ彼女たちは、一寸の違いもなく、規律に則って行動していたのだ。
そんな中で、一人だらしないのが居れば目立つ。悪貨は良貨を駆逐するとの言葉の通り、一人の乱れが規律を乱す原因にもなりかねない。
声の抑揚までまるで同じ。横目でチラりと見たクレアは、皆が同じ顔の複製品のように見えてしまっていた。
(しかし、下の下の一般人を、こんな簡単に侍女の中に入れてもいいものなのかい?
いくらダヴィッド様の口利きがあったとしても……この城に来てから妙に、私への待遇がおかしいよ……)
いくら国から直接依頼を受けて仕事をしていると言えど、一介の庶民にここまでするだろうか?
進次郎が<イントルーダー>だから、外堀を埋め、囲い込むために懐柔しようとするなら分かる。
しかし、“開発会”で出された物は時間のかかるもの。眉唾ものであるが、答えを導き出したと思えば、今度は王女付きの侍女に……城から易々と出られない立場になってゆくのだ。
懐柔ではなく“監禁”。これは、尤もらしい大義名分を掲げた“誘拐”だ、とクレアは胡散臭く思い始めていた。
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侍女の仕事は、【待機・業務・休憩】の大きく三つに分けられる。
聞いただけでは楽なものであると思っていたクレアであるが、これが思っていた以上に過酷であった。
まず【業務】の主は掃除。水拭きの後は必ず乾拭き、指紋を残すなぞもっての外だ。
床を埋め尽くすふかふかの絨毯の毛は、常に寝かせておかねばならない。
そして【休憩】。休憩室の部屋で座っているだけなく、本などを読んで知識・教養を積まねばならない。部屋の奥にあった、楽器類は見なかったことにした。
(むちゃくちゃな修繕を見れば、お勉強ができたって意味がないよ。
やっぱり実践が第一、だからこんな拷問のような業務は殆ど意味がないんだから)
当然、勤務初日であっても特別扱いはされず、全て他の者と同じ仕事を与えられる。
クレアが最も酷だと思ったのは、最後の業務・王女から命を待つ【待機】であった。
「ふぁ――あ…………ぉほんっ、ん゛ん゛っ――」
欠伸するだけで、全員の刺さるような視線が向けられる……。
話すことは当然、身じろぎ一つも許さない、人形のような時間を味わされるのだ。
侍女の中で、これが恐ろしく長い。王女の部屋の前で、陽が暮れるまでずっと王女の部屋の前で待機せねばならない。
立ちっぱなすこと四時間、彼女に限界が近づいてきた頃……コーニーが足音を立てず、赤い絨毯の上を滑るように歩み寄って来た。
「クレア――王女様がお呼びです。決して、失礼のなきよう」
それは救いの言葉でもあった。
詫びでも何でもして帰ろう……と、フラつく頭で考えながら、ろうそく灯りが頼りの通路を渡り、最奥にそびえる黒檀の扉を開いた。
「く、クリアス王女様――お、お呼びでございましょうか」
クレアは入るなり、即座に両手を胸にしながら膝を落とした。
コーニーに徹底的に仕込まれたからではない。
王族は産まれ持って王族なのか、ちっぽけな身を襲う、重苦しい威圧感に耐えられる姿勢を取っただけだ。
「おや? 一日目では仕方ないと思いますが、ずいぶんとお痩せになられましたね」
「その……それに関しては、誠に勝手ながら、お暇を頂きたく存じ……」
「あら、もうへこたれましたの?」
「この世界は、私には合いそうにありません……日柄年中、駆け回っている方が性にあっております。
ここまでの施しを受け、非常にご無礼かと思いますが――」
「合う合わないは私が決めるのです。貴女が決めることではありません」
「し、しか――」
クレアは顔を上げた瞬間、顔を強張らせた。
まだ若干二十歳の少女の顔に、背筋に氷が張り付いたような恐怖を覚えたのだ。
同時に思い出す、彼女の“加虐の目”――それは、まさに“支配者の目”でもあった。
「……まぁ、帰りたければご自由にどうぞ。
“開発会”も貴女が答えを出し、他の者は今、別の“ソース”を開発中ですしね。
ですが、ここを去れば我々は今後一切関与しない。進次郎さんに負担をかけ続けることをお忘れなく」
「え……?」
「<イントルーダー>による“感情の暴走”、これは貴女と彼を離すことにあります。
互いに求め合っている最中は結構ですが、ずっとそれでは疲弊しますから。
そして、貴女の身を守ることも……これは、彼にも承諾を得ているのですよ」
「し、シンジが――!?」
その時、様子が少し変だったことに気づいた。
《ケンタウロス》を捕えた日の後しばらく、何か言うべきか思い悩んでいたのだ。
「貴女は狙われている、そのことはお忘れになっていませんわね?
確かに侍女にするのは正直どうかと思いましたが、こちらの方が安全であり、双方にもメリットがありますので」
「双方に、メリット……?」
「貴女にとっての修行ですよ。
コーニーの好みが殆どですので、内容は少々ハードですがね」
ふっ、とクリアスが苦笑を浮かべた瞬間、周囲の空気が緩んだ気がした。
クレアの背中に熱が戻ってくるのが分かる。
「うちの侍女は、貴族階級の妻……それ以上の教育が施されるのですよ」
「あ……」
クレアはそこで察していた。
彼女は、クレアの抱えている願望と不安に気づいていたのだ。
「王族とは、そこまで調べ上げるものなのですか……?」
「ふふっ。流石に個人の感情までは調べられませんわ。
ところで……一つお伺いしたいのですが、貴女の“月の触り”はいつでして?」
「え、えぇっと……月の始めです」
「では、もう終わっているのですね」
「いえ、まだ……あれ、そう言えば今月遅い……?」
「ふむ、なるほど」
クリアスは少々わざとらしく考え込み始めた。
「では――『もしかすると』も視野に入れておくべき、かもしれませんわね」
しばらく、その言葉の意味が分かっていなかった。
百回言えば理解すると言う。独り言のようなそれが、耳の中で何度もリピートされてゆくうちに、次第に『腹の中にある“かもしれぬ”』が、喜びを湧き上がせ始めた。
「ほ、ほ、ほ、本当に……私の……?」
「不節制な暮らしをしておりますし、顔のむくみ、わずかに熱っぽいのも、お酒の飲み過ぎや暴飲暴食が原因ですが――って、聞いておりますの?」
「ああ、聞いてる聞いてる」
「聞いておらぬでしょう!?」
クリアスは思わず腰を浮かせたが、クレアは話を聞く余裕すらない。
――早く“夢の中”で、進次郎に報告したい
今の彼女には、その一心しかなかったのだ。




