第12話 昇華
「まぁっ、シンジさん!
いったい、いつ来られていたのですかっ?」
「い、いや、ちょっと近くを通りがかったらからな――邪魔しちゃって悪いな」
「いえ、大丈夫です! これから少し退屈になりますし、約束を守っていただけたんですし」
神妙な面持ちで祈りを捧げていたクリスティーナであったが、進次郎の存在に気づくとすぐに明るい表情に変えた。
「ほう、なかなかの女じゃの……。
絵とは似ても似つか……まぁ、人には向き不向きがあるってことじゃな、うん」
イヴはクレアが模写したそれと見比べ、優しい顔でポケットにしまい込んだ。
「すみません……来ていただけると分かっていたなら、お菓子や飲み物をご用意できてのですが。
何のお構いもできませんが、ささっ、どうぞおかけになって下さい。
子供たちは……ああ、今はお昼寝の時間でしたね」
クリスティーナは天井の方に目を向けた。
――見えている世界は、“死んだ日”で止まったまま
進次郎はイヴの言葉を思い出す。
クリスティーナが見えているここは、生きていた時の世界なのだろう。
よく見てみれば、確かにその身体も薄ぼんやりとしている彼女は、じっと進次郎の横に立つイヴを見つめている。
「その子は……もしかして、シンジさんの子供、ですか……?」
「――いくら過去しか見えていない奴でも、一度はり倒されば現実を見ると思うんじゃ」
「やっちゃダメだからなっ! ま、まぁうちで働いてる子だよ」
「ああなるほど! てっきり、バッテン一つついてるのかと思ってしまいました。
あ、私はコブ付きでも大丈夫ですよ! その……私も見てくれるなら……」
イヴは何か気に入らないのか、パキパキと拳を盛大に鳴らした。
このままでは、クリスティーナの霊体が、膝しか残されていない彫像のようになりかねない――進次郎は、急いで本題を切り出すことにした。
「とっ、ところで、クリスティーナに折り入って頼みがあるんだけどさ――」
「はい。いったい何でしょうか?」
「その……クリスティーナの日記、見せてもらってもいい?」
クリスティーナは息を呑んだが、すぐに指を絡め合わせながらもじもじとし始めた。
第一印象が最悪だったからだろうか。イヴは腕を組んだまま、イラ立ったような鼻息を鳴らすのを止めない。
「そ、その、秘密を知りたいってほど想ってくれるのはありがたいんですが……いくら二人の仲と言っても……踏み入ってはいけない領域ってのがありますし……。
でも、こっそり見ちゃうのなら許してもいいかな、なんて思いますけど……こう堂々と言われると……勝負下着を見せて下さいって言われるようなもので……」
「そ、そうだよなっ……じゃあ、こっそり見せてもらいたい、んだけど……」
「え、えぇぇっ!? ど、どうしましょう……って、どっちも、ですか……?」
「ムゥゥゥゥゥ――ッ!!」
天然か、それとも狡猾か……ハッキリとしないクリスティーナの態度に、イヴのイライラが頂点に達したようだ。
「むがーーーーーっ! まどろっこしい女狐じゃっ!!
アタシらは、お主の<イントルーダー>が遺した鍵をよこせと言っておるのじゃっ!」
「い、イヴっ――!?」
イヴのその言葉に、クリスティーナはハッと進次郎の方へ目を向ける。
それに小さく頷いた途端……彼女は唇をきゅっと結び、表情をガラリと変貌させた。
「気づいて――いたんですね……ッ!」
「ふん、やはり化けておったか。
ほぼ童貞じゃったシンジを騙せても、アタシは騙せんのじゃ」
「し、失礼なっ! だけど、クリスティーナ……俺も最近、君がそうだと知ったんだ」
「嘘ですッ! みんな……みんな私ではなく……この力が目的で近づき、そして最後に忌み嫌うんですからッ……!」
「ま、欲して当然じゃの。アタシも、<巨神兵>を動かしたいしのう――。
それに、お主はもう<イントルーダー>ではないのじゃから、隠さずとも良いじゃろ。
その力は、シンジの方に行っておるんじゃ。面倒な“感情の暴走”とやらも抱えておるし、さっさと秘密でもなんでも話せ!」
“この世界”には、〔クリスティーナ〕が二人いたようなものなのだろう。
目の前にいる、操られていた残留思念の彼女は『どうして』と、驚きを隠せないでいる。
「ま、まさかアリスに、アリスに何かあったんですかっ!?」
「アリス……? それってもしかして、アリス女王……か?」
「しまっ……!」
クリスティーナは慌てて両手を口に手をやったが、時既に遅く……シンとした静寂が辺りを包み込んだ。
その穢れのない青い瞳は、進次郎とイヴの二人を交互に見ている。
わずかな間を置き……彼女は観念したかのようにだらりと腕を落とした。
「やはりお主、“死んだ”ことを知っておるな?」
「ええ……ある程度、ですが……。
でも、“死の前後”もあまり覚えておりません。
皆が私に気づいていない、断片的な“現在”の記憶、死んだはずの人だけが見えることで、そうだと分かった程度なので……」
「なら、“日記”の在り処も……?」
「ダミーの一冊は失われましたが、もう一冊は残っているはずです。
はぁ……これまでの人のように、もう好きに探してくれても構いませんよ」
ツン……とそっぽを向きながら、クリスティーナはそう口にした。
勝手に探す分には構わないが、協力はしないつもりのようだ。
なので、自力で見つけるには……もう一人のクリスティーナが遺した“ヒント”を解かねばならない。
「うーん……『子供たちが大好きな』ってことは、お菓子か?
確か、『“雪解け屋根の何とか”ってクッキーが得意だ』って言ってたよな?」
「…………」
目線を向けるが、クリスティーナは何も言わない。
だが、覚えていてくれたことが嬉しいのか、その口元はわずかに緩んでいた。
それに対し、イヴは神妙な面持ちで思案に耽っている。
「うーむ……確か聞いた話ではそうなんじゃがのう……」
「イヴ、どうかしたのか?」
「んー……ここに居た子供って、みな戦争孤児じゃろ?
トーちゃんから聞いた話じゃと、この国の教会で預かったのは、特に余命いくばくかの子ばかり。
夜を越せない子が一人、その日を生きた子もまたその夜は分からない――それで、ほぼ全員が死んだって聞いたんじゃが」
「…………」
クリスティーナは顎を引き、唇を硬く噛み締めた。
「シンジ。お主はここに来るまで、墓を見たか?」
「そう言えば見、てないな。
教会のイメージって、だいたい横に墓地があるものだけど」
「じゃろ? <イントルーダー>は神の遣いとも言われておるし、ある仮説が浮かんだのじゃ。
この小娘はひょっとして、わずかにでも神に近い場所に届けてやろうと考えて、ここに助からぬ子たちを集めたのではないか?
そして、元から墓を用意する場所がなかったところ、となると……ドワーフ的思考を持ってすれば、行き着く答えは一つ――」
イヴはそう言うと、大きな声で教会の外で見張りをしているワンコを呼んだ。
すると、ワンコはすぐに『うぉん?』と、顔だけ礼拝堂に伸ばす。
「お主らのご先祖様が眠っておる場所、その入口が分かるかの?」
「ォンっ!」
ワンコは爪先を、中央に鎮座する壊れた像を指さした。
正解なのだろう。クリスティーナは眉を落とし、更に悲痛な表情を浮かべている。
「やはり、この地下に【カタコンベ】があったか――。
わんわん、その墓守に『もう守らなくてよい』と言って欲しいのじゃ」
イヴの言葉に、クリスティーナはか細い消え入りそうな声で『子供たちが……』と口にした。
「――お主がここに縛られておった理由は、日記でも鍵でもない。
ここで眠る子供たちを守るため、安息の日を、安息秩序を願う意志じゃ。
皆が神の御許に近づき、その胸に抱かれると分かるまでな」
それは、クリスティーナを労うような口調であった。
「カエルの子はカエルなのか、シンジのその【標識】のせいかは知らん。
じゃが、アタシには地下から犬のイビキしか聞こえん――子らの魂は皆、神の下へ行っておる証拠じゃ」
それを聞くや、クリスティーナの身体が揺らぎ、ほろほろと崩れ始めた。
目から落ちるのは、彼女の破片だけではないだろう……その崩れる速度は速く、風が吹けば一気に消え去りそうなほどであった。
「……すべて、私の<イントルーダー>の、せい。
……彼らは力を欲し、奪い取ろうとした……」
「それが、アリスにいったのかの?」
「お腹、に子供が……。その子が……私の力を……吸ってしま……。
おねが、い……シン……さん……わた、し……の……いし……を……」
「分かった。必ず、伝えるぞ!」
「……あなた……が……好き……でし、た……」
クリスティーナの唇が触れた瞬間――彼女の身体が完全に崩れ、きらきらと太陽の光の中に舞い上がっていった。
進次郎が<イントルーダー>であることを知っているのは、“向こう側”にいるクリスティーナであり、ここに居る“残留思念”を繰って彼を助けていた。
普段会っていたのはどちらか分からないが、どちらの“彼女”も進次郎の存在を知り、助けになろうとしていたことは間違いないだろう。
(クリスティーナ……君がいなかったらきっと俺は今頃……)
呆然と見上げている進次郎の目には、自然と涙が浮かび上がっていた。
唇からわずかに、彼女がこれまで負ってきた“孤独”と、自身に気づいた裏表のない者への“愛”が伝わってきたのである。
「――ま、これぐらいならクレアも許してくれるじゃろうて。
さて、とっとと、ここの目的の品を持って、去ろうとするかの!」
イヴは少し声のトーンを高く、明るい声をあげた。
それに併せ、事情を察したワンコも『うぉんうぉん』と吠え小躍りするように跳ねる。底抜けに明るいこの二人には、教会のような厳粛な空気は毒であるようだ。
イヴに言われた通りの言葉を発したのか、ワンコは遠吠えのような吠え声をあげると、わずかに地の底から同じ遠吠えが返って来た。
それがフェードアウトした時――イヴは、聖母の像を力強く押しのけると、
「子供たちが大好きなって、この像のことなのか?」
進次郎は、思わずそう呟いてしまった。
ずん……と音を立てて倒れた像の真下には、黒く傷みの激しい冊子が入っていたのである。
「阿呆。カタコンベを守る“黒妖犬”のことに決まっておろうが。
墓を作れば、わんわん族の黒毛を墓守りとして、まず最初に埋葬するんじゃ。
子供を助けるのもあるが、わんわん族は基本的に子供に好かれる種族じゃからのう」
進次郎は『ウォンッ』と吠えるワンコを見て、納得の表情を浮かべた。
確かにワンコは子供たちに人気で、よく遊び相手になっているのを見かけるのだ。
「じゃ、アタシらも暖かい家に帰るとするかのう!」
イヴの言葉にワンコは『ウォ――』と言いかけ、固まってしまった。
それは、もう一度あの地下水路を通らねばならない、と思い出してしまったからである。




