第2話 女のカン
それから二日後の昼を大きく回った頃、ダヴィッドはクレアの事務所を訪ねていた。
しとしとと小雨が降っており、雨具代わりに使用している革の外套が、肩から真っ黒に変色してしまっている。
しかし、その懐に入れていた封書には、僅かな雨粒すらもついていない。
「――こ、これって、“開発会”の……!」
「うむ。だが、此度のそれは“自由区”からの招待がない。
王女からの特別招待でもあるため、あまり人に言い回らぬようにな」
「は、はいっ!」
喜びを隠せない声で、クレアは力強く返事をした。
むやみに妬み・やっかみを買わぬようにしたいのだろう。
ただでさえ国から直接依頼を受けているのもあるが、いつぞやの“五老”の一件や“大公側”の襲撃を受けぬようにしなければならない。もし、妬みに見せかけた犯行に見せかけられれば、そこからの追及が難しくなるのだ。
現に、“星めぐり祭”での襲撃に関しても、クレアを襲撃した彼らは口を揃えて、
『【ラインズ・ワークス】だけが仕事が貰え、それを妬んでいた』
と話しているらしい。同業者でもないにも関わらず、だ。
嘘であることは明らかなのだだが、城の判断はそれを聞き入れたことに、進次郎は疑問を抱いた。
彼らが“大公側”の手の者だと判明したのは、進次郎への追っ手の証言からであった。
金で雇われていただけなのもあるからか、義理よりも身の貞操を取ろうとし、聞いてもいないのに全て話したことを、かのヴィクトルが証言した。
――“五老”のヴァン様に雇われた。“大公側”への便宜が報酬だった。
衝動的、突発的なものだったのだろう。親玉は実に詰めが甘かった。
彼らはその“自白”もあってか、投獄と肛門裂傷だけで済んだようだ。
ヴァンは知らぬ存ぜぬの一点張りであるが、急な病による療養との形で自宅謹慎している、とダヴィッドは話す。
被害は進次郎への殴打だけで済んだものの、いつ同じようことがあるか分からない。
そこで提示されたのが、秘密裏に王女から聞かされた『クレア・ラインズの保護』である。
彼女が<イントルーダー>であると疑われているのなら、逆にそれを利用し、城内で保護している方が安全だと考えたのだろう。そうしておけば、ホンモノも動かしやすくなる。
つまり、クレアは状況が落ち着くまでしばらく、ここ【ラインズ・ワークス】を離れねばならない――進次郎はそれらも踏まえ、ダヴィッドに頼みたいことがあった。
「ダヴィッドさん、少しお願いがあるのですが……」
「む、急に改まってどうした?」
「クリアス王女に、もう一度謁見を願えないでしょうか?
もしくは、ダヴィッドさんから書状を届けて頂きたいのですが……」
その言葉に、ダヴィッドは珍しく顔を難しくした。
「……すまないが、それはどちらもできない。
先日も言ったが、あそこは言わば“女の園”――よほどのことがなければ入れん。
それに、クリアス王女から呼ばれねば、私ですら謁見が叶わぬのだよ」
「そう、ですか……」
「もしくは、クリアス王女のおつきの侍女か、心を許す友が――」
娘を思い出したのだろう、ダヴィッドは言いかけて言葉を噤んでしまった。
クリアスも進次郎に話した時、嫌悪を込めて話していたところからして、やはり相当仲が良い、心腹の友であったようだ。
そのようなことを知らないクレアは、重く苦しい空気に包まれたのを察し、何とか明るい話題を出そうと頭を捻る。
「んー……あっ、そうだ!
王女おつきの侍女なら、あの侍女長がいるんじゃないのかい?」
「侍女長……と言うと、〔コーニー・ト・リュイ〕のことか?
確かに彼女であれば可能だろうが……いったい、どうしてシンジ君が彼女を?」
「い、いやぁ、類は友を呼ぶなー……って」
「ふむ? ま、まぁ確かに彼女は少々変わっているが……」
ダヴィッドは眉をへの字に曲げ、クレアは冷ややかな目を進次郎に向けた。
「しかし、まだ“女の園”の外に出ることが多いとは言え、彼女らは必要以上に男と話してはならん――会って手紙を渡すことなぞ、もっての外だぞ?
飯炊き女から、ツテ、ツテでもコーニーまで届くかは分からん」
「確か、彼女から貰ったメモに連絡先が書いてありました。
えーっと……あのメモは――はっ!?」
進次郎が書類ケースに目を向けた時、クレアの方から殺気が感じられていた。
そのメモはクレアに捨てられており、進次郎はゴミ箱からこっそりと回収していたのである。
「へぇー……シンジはずいぶんと物持ちがイイんだね。
私だったら、すぐに捨てていたところなのに――どこにあるんだい?」
最後の言葉に、凄まじい“圧”が込められていた。
「そ、その棚の上から二番目の底に、あります。はい」
「どうしてそんな所にあるのか、後でじ・っ・く・り教えてもらうよ」
キャバクラ通いがバレた会社員の気持ち、がよく分かった進次郎であった。
そんな二人を見たダヴィッドは、呆れたように肩をすくめてしまう。
「やれやれ、シンジ君も尻に引かれるタイプだな――。
分かってはいたが、今からこれではこの先も苦労するぞ?」
「ははは……もう、覚悟するしかないです」
クレアは鼻息を荒くしながら、じっくりとメモに目を通していた。
この世界の字が読めない進次郎であるが、忘れないように日本語でメモしていたのである。
「――ダヴィッド様、“ロイヤル・ストリート”の【コルド・スィール商店】ってご存知ですか?」
「ああ、その店なら彼女の実家だ。
なるほど、実家からなら彼女も問題なく受け取れるな。なかなか考えたものだ。
帰りがけに寄ってゆくので、急ぎであれば、すぐにしたためておいてくれ」
「分かりました。シンジ、彼女にな・ん・て書くんだい?
アンタの国の言葉は、向こうには伝わらないからね」
「え、えぇっとですね……」
女の勘は恐ろしい。日本語でメモしていた文章ですら、彼女は雰囲気だけで解読してしまっていたのである。
◆ ◆ ◆
その頃、イヴはワンコに連れられ、“中流区”にある《コボルド》の駐在所にやって来ていた。
雨の日に出歩くこたが嫌いなイヴであるが、ワンコと水たまりを踏んだりして遊んでいたので、そこまで憂鬱な気分にはならなかった。
「――ふむ。この“遠眼鏡”は確かに、トーちゃんのじゃ。
いったいどうしてこれが? しかも、握りつぶしたようじゃし」
そこにいた《コボルド》は、イヴの父親を追いかけた者であり、ブツブツと怒りながら紙に何かを書きなぐり、絵を見ては鼻先を伸ばしていた、と話した。
「ふむ……その場所から、一キロぐらい先まで何がある?」
それに《コボルド》は地図を取り出し、すすすっと指で“自由市場”の大通り全域を指した。
イヴは顎を撫でながら、ふむ……と唇を尖らせながら頷く。
「クレアでも探しておったか? いや、怒りながら何かを書くなら別のことか。
しかも、絵を見て鼻先を伸ばすなら……きっと、いい女を見つけた時じゃ。
ふむ。シンジもなかなか、あちこちに種を蒔ける男のようじゃな」
イヴは感心したように、ニマりと笑みを浮かべた。
だが、そこから真っ直ぐに線を伸ばした先に、気になる店がある。
(『ぶつくさ何かを言っている』ってボヤいてた小物屋か……)
ワンコは黙り込んだイヴに心配そうな目を向けている。
「む? ああ、問題ないのじゃ。
アタシの考えている通りなら、トーちゃんは下水道で何かしら計画を立てておる。
じゃが、地下はドワーフのホームグラウンド――わんわん族の鼻も効かない場所じゃし、捕らえることはまず不可能じゃろうな」
《コボルド》は『そうなのだ』と、がっくりと肩を落とした。
ただの地下では問題ないが、そこは便が流れゆく川にも繋がっており、さまざまな臭いが入り混じってしまっている場所なのである。
「なぁに、心配することもない。
行動を起こす時は、必ず地上に出ねばならない――そこを叩くのじゃ!」
イヴの言葉に、《コボルド》は『ウォンッ!』と力強く吠えた。




