第3話 求めれば応じる
遅い朝を迎えたクレアは、複雑な心境であった――。
苦虫を噛み潰したような顔のまま、ぼうっとした時間だけが過ぎてゆく。
(……私って、あんな性癖あったのかい?)
己に問いかけても返事はない。
夢であって欲しいと思ったが、まだジンジンとしている臀部が現実だと伝えてくる。
少しヒリつくが、痛みはない。しかし、シーツの冷たい部分に擦れさせると、思わず腰を浮かせてしまう。
自分のせいでもあるので、進次郎にも文句は言えない。
向こうは止めようとしたのに、どうしてか自ら『続けて』と言ってしまったのだから……。
(あああっ、思い出すだけでも火が吹いちゃいそうだよ……っ!)
恥ずかしさから顔を両手で覆い、ふるふると頭を振った。
欲求に愚直であった。己の中に潜むマゾヒズムが、痛み・羞恥を快楽に変え、自我すら変貌させた。
自分であちこち抓ってみたが、ただ痛いだけだ。恐らくは、進次郎が相手だから何でも許せてしまい、身体もイチイチそれに反応してしまったのだろう――そうだと思いたかった。
でなければ、誰にも見せたことのない場所を見られただけで、身体中の産毛を逆立てるはずがないのだ、と……。
(わ、忘れてなかったら、やっぱり、忘れさせるべきかね……?)
クレアは宿屋にある花瓶を見ながら、買い出しに出かけた進次郎のことを想った。
◆ ◆ ◆
その進次郎はと言うと、昨晩のクレアをしっかりと覚えていた。
普段とは想像もつかぬ変貌っぷりに、パンドラの箱を開いてしまったような気分である。
(紙一重って言うけど、もしかするとクレアはドMなのか……?)
買い出しは既に終えているものの、しばらくぼうっと“自由市場”を歩きたかった。
朝九時を告げる鐘が鳴ってからほどなく、商人たちは朝一の営業を終え、これから昼に向けての準備を行っている最中だった。
そのせいか人通りが少なく、幾分か落ち着いた雰囲気が感じられる。
そんな中、進次郎はある場所へと足を向けた。
いつも店を構えている小物屋はまだ来ていないようだが、その代わりにある者が立っていることに気付いた。
「クリスティーナっ!」
「え? あっ、シンジさんっ! お久しぶりですっ」
「ああ、無事でよかった……ってか、無事でなきゃここにいないか」
「あ、その……それが……」
クリスティーナの顔が曇り、進次郎はまさかと思った。
「その……あの追っ手が……」
「も、もしかして……」
「誰一人として追いかけて来なかったんです――」
進次郎はズリッと足を滑らせてしまった。
こんなはずでは、とクリスティーナは目元に両こぶしをやり、めそめそと泣くマネをしている。
「――てことで、私は何ともありませんよ」
「そ、そうか……ならいいんだが」
「でも、助けなきゃよかったかも、ってたまに思っちゃいます……」
「え?」
「だって……シンジさんたち、凄く幸せそうですし。
本当は貴方の横には私がいるはずでしたし、彼女と同じ幸せを得ていたのかも――なんて言うと、神様に怒られちゃいますね、ふふっ」
冗談めかすよう肩をすくめ、小さく可愛らしい舌をペロッと出す。
しかし、嘘があまりつけないのか、その言動にはいくらかの本音も感じられていた。
「しかし、その後の武勇伝も聞き及んでいますし、私も鼻が高いですっ!」
「ああ、確かに、クリスティーナの手助けがなかったら“今”がない……本当にありがとうっ!」
「えっ……あ、は、はいっ!」
クリスティーナのひやりと冷たい手を取ると、両手で包むようにしてぎゅっと握った。
彼女はそれに、はにかんだような優しい笑顔を浮かべている。
「うふふっ、嬉しいですっ」
「ところで、今日は――教会は?」
「ああ、今日はお手伝いさんたちが清掃に来る日なので、追い出されてしまったんですよ」
「そうか……」
進次郎は疑いが顔が出てないかだけ心配している。
彼女が言う教会は、今は存在していない。“反女王派”の一員である可能性が高いが、先日の“大公派”の襲撃者から救助された件を踏まえると、“反女王派”と“大公派”の協力関係はないようだ。
「そう言えば、教えてもらった道に行ったら、“魔境”に行き着いたんだけど……」
「……“魔境”、ですか? そんな場所ありましたっけ?」
「ああ、イカつい兎さんが出迎えてくれ、ネコさんやネズミさんがパーティーしてた――」
「まぁ、不思議な国ですねっ!」
驚いた声をあげるクリスティーナに、進次郎は冗談か本当か分からず呆れたため息を吐いた。
◆ ◆ ◆
その頃――“自由市場”を一望できる“中流区”にて、遠眼鏡を片手に二人を監視している者がいた。
ハゲ頭に髭面、でっぷりとした腹が特徴的な男・イヴの父親のドワーフである。
その頭には青筋が浮かぶ。遠眼鏡を握り締める手はプルプルと震え、ついにはパキリと音を立てた。
「あ、あの間男めェェェッ――!
儂のクレアを寝取った挙句、今度はあの天使様とイチャコラじゃとオォッ!」
彼は読唇術も心得ていた。
手元にある紙には、簡単ながらも特徴を捉えた“クリスティーナの似顔絵”と、その横の空白には、メモするように二人の会話の一部まで記されている。
「――覚えておけよ、あのボケ男ォッ!
うーむ……しかし、クリスティーナちゃんじゃったか、かなりイイ女じゃなー。
お尻はムッチリ、毛もエロい生え方をしておりそうじゃし、正直こっちの方が……む!?」
イヴの父親は、近隣住人から通報に駆けつける《コボルド》に気づき、猛ダッシュでそこから逃亡を図った。
“似顔絵”だけをしっかりと握りしめる彼の口元は、邪に歪められている。
◆ ◆ ◆
「た、ただいま」
「あっ……お、遅かったね」
宿に戻った進次郎であったが、その様子はぎこちなかった。
全裸で待っているのではないか、と少し危惧していたのだ。
「大丈夫か……? その、昨晩、大変だったからさ……」
「あはは……うん、大丈夫。何と言うか、らしくなかったね」
クレアは荷物を受け取りながら、近くの花瓶をチラりと見た。
危機が迫っていることなぞつゆ知らず。進次郎はベッドの上に腰掛け、ぼうっと買ってきた物を机に並べているクレアの後ろ姿を見つめている。
後ろで束ねられた、子馬の尻尾のような赤い髪が揺れ動く。
それを見ていると、昨晩の彼女の嬌態を思い出し、すすっと目線を下に向けた。
(あのクレアが……未だに信じられん)
彼女の様子からして現実だろう。
だがそれは、昨晩のみの“ご褒美”である可能性も高く、進次郎の気分に合わせた可能性も高い。
音もなく忍び寄ると、誘うように揺れ動く尻に手を伸ばし――獲物を捕らえる猛禽類のように、一気にかぎ爪状にした指がそこを鷲掴みした。
「んひぃんっ!?」
突然のえも言えぬ刺激に、クレアはとんでもない声をあげた。
彼女自身はおろか、確かめようとした進次郎も驚いている。
臀部を鷲掴みにされている――作業ズボン越しであるのに、食い込んだ指から逃れられないのか、抵抗しようとする素振りはまるで見せない。
進次郎もまた、そんな彼女の様子に生唾を飲んだ。
「な、何をする……んだいっ!」
「いや、ちょっと確かめてみたくって……」
「そ、それは昨日だ、け、だよっ……!」
痒い所に手が届いているような感覚に、クレアは身をゆだねていた。
静電気の粉が浮かぶ、ぴりぴりと痛痒い肌の表面が、快楽に変わろうとしている。
こうなるともう、弄ばれるだけの獲物だ。
頬には朱が刺し、熱がこもる身体から吐息が漏れる。わずかに力が入るたびに、びくりと悦びの反応を返してしまう。
最後の抵抗を見せようと、進次郎に抑止を求める目を向けた。……が、その潤んだ瞳は、雄の加虐性を刺激する結果となってしまった。
――やれば、エスカレートさせてしまう
それはクレアにも分かっていた。
どこが引き際か見極められるはずなのに、己のマゾヒズムが求めてしまう。
新たな扉を開いてしまったのかもしれない。ズボンのボタンが外されただけで、黄土色の布に包まれた、赤い斑模様が残る膨らみを見られているだけで、身体中の産毛が逆立った。
同時に、奇妙な感覚にもとらわれた。
“求め”と“応じ”――扉の向こうからノックされ、迎え入れるような感覚である。
そう思うと、急に気持ちがすっと冷めていくのが分かった。
「も、もうっ……ダメだって言ってるだろう!」
突っぱねるように、クレアは降ろされたズボンをいそいそと履き直す。
我に返った彼女の様子に、進次郎は驚きの表情を浮かべながら、自分の手とクレアを交互に見ていた。
「――や、やっぱり」
「やっぱり?」
「俺が“いじめたい”って思ったら、クレアが“ドMモード”になる……かもしれない。
今も、扉を閉めるみたいに『やめよう』って自分に言い聞かせたんだよ」
「な、なんだって!?」
進次郎はそれを確認するかのように、履き直したばかりのクレアのズボンをじっと見ている。
「な、なんだい! こんな朝っぱらから――」
「脱いで。どんな下着見せて」
「んな゛っ!? ば、馬鹿なこと言うんじゃないよっ!」
「早く」
「う、うう……」
クレアは顔を赤くしたまま、再びズボンのホックに手をかけた。
身体中にぞわっとしたものが走ったかと思えば、またそれがぷつりと途切れる――
「気持ちが冷めた?」
「う、うん……な、何が起こっているんだい?」
「分からん。あの王女、また何か企んでいるのは確かだけど」
クレアは『王女』と聞いて眉をピクりと上げた。
胸の中が黒いモヤに包まれてゆくのが分かる。
顎に手をやって思案に耽る進次郎を見て、どうして自分だけがこうも振り回されなければならないのか、と。
“欲求”が途絶えたものの、“欲望”が途絶えたわけではない。
悶々とした気持ちのまま、お預けを食らったままの犬の気持ちがよく分かる。
自身は彼の忠犬であれど、飢えれば猛獣ともなる――クレアはズボンのホックを外し、すとんと床に落とした。
「ちょっ、く、クレアっ!?」
「うるさいっ! じっとしてな!」
あまり新しくない黄土色のショーツを露わにし、クレアは進次郎の肩をぐっと掴むと、無理やりベッドの上に押し倒した。
抵抗ができない。獣となったクレアは蛇のようでもあり、ずるりと男の身体を這い上がってくる。
進次郎の胸元に馬乗りになると、クレアはちろりと唇を舐めた。
「あ、あのー……クレアさん?」
「ふふっ、ふふふふっ……!」
不気味に笑うクレアのサディスティックな表情に、進次郎はハッと何かに気づいた。
――感情は【一方通行】ではない
こちらの“欲求”が向かう道があれば、相手から“欲求”を受け取ることが可能なのだ。
何らかの拍子でその扉を開き、環状となっている道を築いてしまっている――。
頭の片隅でそんなことを考えながら、眼前に迫ってくるクレアの股ぐらに期待を抱き続けた。
※【8章 息抜き】と中盤はこの回で終わり、次回より終盤に突入します




