第3話 暴走を制すのは力のみ
明け方の冷え込みは何だったのか、と思えるような暑さが襲っていた。
快晴の空の下、日陰なぞ一切ない雑草と岩しか見えぬ平原・荒れ地をひたすら歩き通し、二人はやっとの思いで《ケンタウロス》の集落に到着していた。
「や、やっと……ついたのか?」
「ええ……はぁ、思っていた以上に大変でしたね」
進次郎ほどではないが、クリアスの表情・声にも疲労の色が窺える。
そこは木を組んだだけの簡素な馬防柵に囲われ、その中には<パオ>や<ゲル>のような白い円形のテントが立ち並んでいる。まさに移動民族の拠点、と言った場所であった。
だが、二人が目指す《ケンタウロス》の長の下に容易く行けぬよう、計算し尽くされた迷路のように、複雑にテントが立て並べられている。
進次郎は恐る恐ると言った様子で、スタスタとそのテント脇を抜け歩くクリアスの背を追う。
いつぞやの|《暴走族》のような輩の姿どころか、外を歩いている者が誰一人としていない。
しかし、そこは決してもぬけの殻などではなかった。
――彼らはそこにいる。
進次郎ですらそれらの気配が分かった。歩く道を一歩でも誤れば、即座に彼らが握り締めている武器に貫かれるかもしれない。
彼らは合図を待つかのように、じっとテントの中で息を潜めているのだ。
「道が、分かるのか……?」
「目星がついていますから」
右へ左へと折れ曲がっている内に、クリアスはいつしか国の代表者の顔の顔つきとなっていた。
テントによって作られた十字路に差し掛かった際、先を歩いていた彼女はぴたりと足を止め、左脚を軸に身体を進次郎の方に向けた。
「――進次郎さんは、ここでお待ちください」
クリアスは短くそう命じると、くるりと身を翻し、正面にある十メートルほど先のテントに向かって歩いてゆく。
恐らくそこに、《ケンタウロス》の長がいるのだろう。
首脳会談の席に、第三者が立ち合わないのは当然であるが、進次郎は待合室がどこか平穏な場所で待つように言って欲しいと思っている。
(虎が離れた瞬間に、狐を襲おうとするんじゃない――っ!)
クリアスがは離れるやいなや、赤・黄・緑――さまざまな髪の色をした、半獣半人のイカつい男たちがぞろぞろとテントから出てきたのである。
じっくり見たことない進次郎は、『まさに馬と人のハイブリッド』だと思った。
身長は二メートル半ほど。筋骨隆々で、多くの者が様々な模様のタトゥーを入れている。燃費も良さそうであった。
その中の、首の後ろに回した棒を両手首で支えた男が……口に含んだ木の根をガムのように噛みながら、進次郎の方に歩み寄ってくる。
「…………」
「…………」
男はできるだけ身を屈め、極力下からメンチを切ってくる。
それに進次郎は、思わず『死ね』と思った。
(外交にやって来た奴をおちょくる馬鹿がいるかっ……!)
老いた者はいないが、目の前にいるのは“暴れ馬”と言っても過言ではない。
目を逸らせば、ヘタレだと馬鹿笑いし合うその様は、まさに“野次馬”そのものである。
どこまでやれば相手がキレるのか。越えてはいけないラインを探るかのように、唾を足元に吐き始めたり、ついには手にした武器でつつきにまできた。
(馬のくせに、“チキン”レースまでやるなよ!
一人ぐらいはシバいても許されるだろうけど、国の代表として来てるからな……)
しかし――止める者がいなければ、必ず度を超え、限度を知らぬ調子乗りが現れる。
進次郎は気づいていなかった。後ろで鉄の棒を振りかぶった者の存在に気づいた時は、その中でマズいと思った誰かが『おいっ!』と声をあげ、振り返った時である――。
眼前には、雲一つない快晴の空を背景に、縦に真っ直ぐな黒い影がかかっていた。
何が起こっているのか進次郎は理解できず、ブンと音を立てた“何か”が迫ってくるのをじっと見ているしかできなかった。
「――ひッ!?」
しかし、悲鳴をあげたのは進次郎ではない。
彼は額からわずか数センチほどのビタリと止まったそれを、言葉を忘れたようにじっと見つめている。
襲いかかろうとした《ケンタウロス》は恐怖に顔をゆがめ、後ずさりしながら、カラン……と手にしていた鉄棒を地面に落した。
何が起こったのか、進次郎は理解できていない。
「な、なんだ……?」
直後、背後にとんでもない威圧感に振り返ると、一人の若い《ケンタウロス》がそこに立っていた。
進次郎を取り囲む、チャラチャラしたような半人半馬とは一線を画する――坊主頭に引き締まった若い強靭な体躯は、まさに“戦士”と呼ぶに相応しいだろう。
対する《ケンタウロス》は、蛇に睨まれた蛙だった。
一歩、また一歩と“野次馬”に向かって歩み寄って来るそれに対し、周囲の者たちは恐れ慄いた様子で立ちすくんでしまっている。
(これが、奴らの“リーダー”か……?)
不良グループの中には、一人は必ずこのような絶対的カリスマを持つ存在がいる。
その“リーダー”は進次郎の前にやって来ると、ゆっくりと口を開いた。
「――父と王女が待っている」
恐らく人間とはあまり関わり合いになりたくないのだろう。抑揚のない声で、ぶっきらぼうに言うだけであった。
顎で『行け』と指示を出され、ゆっくりと歩み寄って行く最中……進次郎は一度も振り返らなかった。
何者かが痛めつけられ、謝罪の言葉を口にし続ける様は、見るに堪えないからである。
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テントの中には、質素な木箱の上に腰かけた王女クリアスと、寝藁の上に伏せる壮年の《ケンタウロス》が面と向かい合っていた。
「うちの若造どもが迷惑をかけたようだね」
足先から顔まで、監察するような目を進次郎に向けながら告げた。
謝罪の言葉はない。先ほどの若い“リーダー”と同じく、この壮年の《ケンタウロス》も抑揚のない低い声であることから、彼も“武人”であり、“人間”をあまり歓迎していないことが分かる。
進次郎がどうして良いのか分からない視線を受け、クリアスは小さく息を吐きながら口を開いた。
「わたくしの付き人を殴りつけようとするとは――貴方がたは、いったいどのような教育をなさっているのか」
「暴走を制すのは“力”のみ。我々はそれだけで立場を表し、生きてきた。
そんな組織に“安寧”をもたらせば、混乱と堕落を招くに決まっている。
道を踏みはずさぬよう、見えぬ道を整備するのが女王、そなたの申した仕事だろう」
「もちろんですわ――では、彼らの所在について、今後の全て我々に委ねる、と言うことでよろしいですわね?」
「それが我らの行くべき道であるならば。
あんなごく潰し共、煮るなり焼くなり好きに使ってくれ」
「“軍馬”としての誇りを、勇気ある決断に感謝致しますわ。
では、早速取り掛かりたいと思いますので、わたくしとこの者の鎧をお願いします」
「うむ。よかろう」
トップの会談に口を挟むべきではない。
進次郎はそう思っているが、同時に『少しはこちらに同意を求めろ!』と心の中で呪詛を述べ続けている。




