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第8話 それはうっかりか、“こい”か?

 時間だけが無為に過ぎてゆく。

 王女との謁見を数日後に控えた進次郎は、じわりじわりと不安と緊張に苛まれ始め、取るものが手につかなくなっていた。

 それに気づいたのは、王女に聞かねばならないことをまとめている時だ。散り散りになっていた時は気にならなかったが、それらが繋がり形を取ると、ハッキリとした“不安”が胸に浮かび上がってきた。

 同時に、“自由市場”へと足を運ぶ回数も増えたが、それから逃避できるのは一時的な物に過ぎない。

 それでもなお、そこに向かってしまうのは、誰かに話を聞いてもらいたかったのかもしれない。


「――なるほど、そうだったんですね」


 いつもの場所に立っていたクリスティーナは、進次郎の話をじっと聞いていた。

 “反女王”組織の一員である可能性が浮かび上がってからと言うもの、彼女とは会っていない。

 どう接して良いか分からないから避けていたのに、今は会いたいと思って彼女を探した――何と都合のいいものか、と進次郎は情けなくなったが、このような話ができる相手は彼女しかいなかったのだ。

 多くの情報を伏せ『王女と謁見すれば、帰らなくてはならないかもしれない』との程度には留めているも、神に仕える職ゆえか聞き上手な彼女と話していると、つい全てを話してしまいそうになってしまう。そして、彼女も全てを語らずとも理解してくれた。


「――なら、彼女も連れて帰ってはどうですか?」

「い、いや、それは……」

「ふふっ、簡単なことですよ。旅人は、道が繋がっているから旅ができるのです。

 帰る方法が見つかれば、今度はその道を探してみるのもいいかもしれませんね」

「それは――」


 簡単なことではない、と進次郎は言おうとしたが、続けられた彼女の言葉に遮られた。


「進次郎さんは、蜂の巣の探し方を知っていますか?」

「は、蜂の巣? あー……確か、セイズ村に居たとき聞いたな。

 蜂を一匹捕まえて、リボンみたいなマーキングをして放つんだっけ?」

「正解です。もし、シンジさんだけが帰らなければならないのなら、彼女が跡を追えるように目印をつければいいんです」

「うーん……だけど、それには……」

「もし――彼女が拒否したその時は、また私を連れて行ってもらいましょうか」

「えっ、いやそれは……って、“また”?」

「あ……。実はその、前に会った日の後に……もっと知りたくなって、貴方の後をつけていたのです……。その、ごめんなさい……」


 上目遣いで謝る彼女の言葉に、進次郎なドキリと心が高鳴ってしまった。

 弱々しく儚げな彼女はより魅力的に映るが、同時に男の加虐性をくすぐる何かがそこにあった。


「ま、まぁ、謝るほどのものでもないけど……まったく気づかなかったぞ」

「ふふっ、いつも子供たちと隠れんぼしてますから」


 その言葉に、進次郎は僅かに片眉を上げた。

 教会に線を引きに行った時、彼女の言う孤児はいないとクレアに聞かされた。

 その日の夜には、更に詳しく話させられた。そして『戦争孤児なぞいつの話をしているのか』『どれだけかつがれているんだ』と、大笑いされたのである。


「――? どうか、されましたか?」


 小首を傾げる彼女は、何とも清らかで美しかった。

 もう騙されないと心に決めても、つい彼女の見た目・言葉に騙されそうになる。

 その時、クリスティーナは何かに気づいたのか、ふと進次郎の後ろに目を向けた。

 何だ、と思ったと同時であった。何者かが進次郎の背中を、優しくポンと叩いたのである。


「や、シンジ――」


 振り返った先には、赤く長い髪を後ろで束ねた女・クレアが立っていた。

 いつもの作業着姿でニマりと笑みを浮かべていが、暑くて着替えたのか上着は珍しく白いシャツのみだった。しかし、既に首元などには汗が染み込んでいる。

 彼女の姿に、進次郎はどこか安堵していた。


「あ、ああ、いったいどうしたんだ?」

「どうしたもこうしたも、お昼時だから何かを食べに来たんだよ。

 じゃあそこに、一人でぼけっと突っ立ってるシンジも見かけたからさ。

 アンタもこれからお昼かい?」

「一人? あれ……クリスティーナ――?」

「クリスティーナ?」


 背後を振り向けば、そこには誰も立っていなかった――。

 向きを戻せば、そこには鬼が立っているであろう――。

 “市場”のざわめきが耳に戻ってくる。

 進次郎は、思わず口走ってしまった己の正直な口を恨んだ。


「……そう。例のシスターと、“また”会ってたってんだね。ふーん……」

「い、いや……そのですね……」

「一緒にお昼でも――って思ったけど、その消えたシスターと、是非とも仲良くしておいでよ」

「た、たまたま会っただけだから! ああ、クレアと一緒にご飯食べに行きたいなー」

「もう遅いよっ!」

「お願いっ!? 今日の分は、俺が払うからーっ!?」

「知らないねっ!」


 クレアは、ツンッとそっぽを向いて歩き始めた。

 進次郎を置いて行くような速度ではなく、何とかついて来られるような速度で歩く――。

 むかっ腹が立ったのは最初だけだ。意地の悪い女だとは思うものの、彼が慌てる姿がもっと見たくなってしまうのである。


 しばらく歩いたところで彼女は許した。今では首が疲れたことにして、進次郎と同じ方向を見ながら歩いている。

 しかし、『腹が減った』と食い物を売っている店にチラりと目をやれば、ダッシュして買いにゆく……イヴが呆れるのも無理はない、と思えるほどの甲斐甲斐しさを見せた。


「まったく、そんなにシスターがいいのかい?

 ほら――あそこにも居るけど、その中の誰がお目当てなんだい?」

「い、いや、いいのは服――じゃなくて、あの中には居ないよ。いつも一人みたいだから」

「ふぅん……」


 嫉妬しているとは気づいていないが、それよりも今は、別の疑念が沸き起こっている。


 ――“反女王派”である可能性が、いよいよ高くなってきた


 クレアの視線の先には、十人程度の若いシスターたちが固まっていた。

 色めきだった声をあげる者から、おしとやかに見せる者、澄まし顔の者……全員に共通しているのは、“女の目”を向けては男を漁るところだ。

 “彼女たち”は常にそうだ。教会も慈善事業では成り立っておらず、“慰問”による収入で生計を立てている――との噂が出るほど、彼女たちの戒律が緩んでしまっている。

 進次郎が“カモ”にされていないことに安堵したが、更にタチの悪い連中に目をつけられているかもしれないと思うと、クレアは気が気でなかった。


 ――よほど温室の国で育ったんじゃろう、あれは深く人を疑うことを知らん

 ――“食い物”にされぬよう、“誰か”がしっかり管理しておかねばならん


 イヴにこう言われたこともあってか、彼女の心配はことさらだった。

 空腹が満たされると、彼女のイライラも自然と治って来ていた……が、彼女の鬱積した気持ちは晴れず、空に浮かんだかのように、どんよりと黒く重い雲が漂い始めていた。

 彼女に合わせるように、“市場”にいた者もまた揃って空を見上げた。


「こりゃあ、まずいね――」


 長年の土木作業のおかげか、どのようなことになるのか、クレアにはすぐに分かった。

 ポツ……ポツ……と乾いた地面に黒い斑点を広げてゆく。柔肌が生温い風に撫でられ、ぶるりと身体を震わせた。

 雨が降って来た、と思ったのもつかの間――土の地面をうがつような大粒の雨が白く煙る“もや”を作り上げ始めた。まるで小太鼓のような、ばたばたと近くの露天の天蓋布を叩きつける音が市場中に響く。


「痛いっ!? この雨粒、超痛いっ!?」

「こっちに――!」


 クレアは進次郎の手を掴むと、バチャバチャと音を立て、普段行くことのない路地裏に向かって駆けた。

 乾いたスポンジのように雨粒を吸っていた地面も、今では各所で大きな水溜りやぬかるみを浮かべている。

 クレアは突如としてハッとした表情を変え、慌てて周囲を見渡した。ちょうどよい軒先を見つけ、二人は濡れネズミのまま身を寄せ合い、じっとそこで雨が止むのを待つことにした。


「私いったい……まぁいいか。

 とりあえず、ここでしばらくやりすごそうかね」

「そうだな。しかし、とんでもない雨だなこれ……」

「この時期は多いんだよ。

 三十分ほどで一時的に雨が止むから、その時に急いで戻るよ」

「ああ、分かった――」


 進次郎は言葉を続けようとしたが、急に口を噤み、目を背けてしまっていた。

 気になったクレアは、すっとそこに視線を落とすと、


「〜〜〜〜――!?」


 彼女の雨に濡れた白いシャツは、薄いピンク色の下着をハッキリと浮かび上がらせていたのである。

 腕で抱きかかえるようにしても遅い。ぴたりと張り付いたシャツは、彼女の柔肌に合わせ、滑らかな曲線を作り上げている。

 ざあざあ、ばちゃばちゃと雨の音がうるさいにも関わらず、進次郎が生唾を呑んだ音がハッキリと聞こえた気がした。

 クレアはどうしてここに来たのか分からなかった。気がつけばこの路地を走っていのだ。

 普段は雨宿りなどぜず、今頃は文句の一つでも言いながら、温かいお茶などで冷えた身体を温めている頃のはずだ。


(最近、どうしちゃったんだろうね私……)


 細いため息を吐いた彼女の視線の先に、先ほどのシスターの一人と男が建物に入ってゆくのが見えた。

 その二人だけではない。よく見れば他にも“男と女”がどんどんと、建物の中に消えてゆくではないか。クレアは『まさかここはっ!?』と周囲を見渡した。

 進次郎は気づいていないが、そこは通称【雨宿り通り】と呼ばれる宿屋通り――普通のそれではない、男と女のために用意された宿が建ち並ぶ、色の通りなのである。


 冷えたせいか、それに気づいたせいか……彼女の内から熱がこもってゆく。

 脇道なので分からないが、軒を借りている所も恐らくそうであろう。意識すれば、雨音の調べの中に男女の調べが混じっていることが分かる。

 この国の多くを知らない進次郎も流石に気づいたようだ。


「な、なぁ……もしかして、ここって……」

「――あ、あっはっは……! た、大変な所に迷い込んじゃったよっ……!」


 強がってみせたクレアであったが、その声は弱々しかった。

 何者かが感情をくすぐる。生暖かい風も、濡れた身体から体温を奪うのには十分である。

 小さく震え続けるクレアの姿は、進次郎の胸の中に邪なものを入り込ませてしまっていた。


「その……何だ、まだ雨が降り続くなら――少し中で雨宿り、しないか?」

「え――」


 ついに言ってしまった――と、二人は同じ言葉を頭に浮かべていた。

 この時期、この“通り”に入るための使い古された誘い文句であるが、縁のない二人には知る由もない。

 クレア自身も『もしも……』と頭でシミュレートしていたものの、いざ言われてしまうと、用意していたはずの言葉が出てこなかった。


「……」

「……」


 互いに顔に熱を持っている。

 重い沈黙が続き、やっとクレアの口が小さく動いた。


「……その、ごめん。今日はダメ……なんだよ。

 五日後ぐらいなら多分――」

「そ、そうか……じゃあ、待つしかないな――」


 進次郎は残念そうに言うと、『ん?』とその言葉を思い返していた。

 最初の部分だけに対する返事だったのだが、その後の言葉を聞くだけでは、つまりそう言うことなのである。

 確かめるようにクレアに目を向けるも、目を見開き、真っ赤な顔を俯かせたまま身じろぎ一つしない。

 いったいどうしてか、発した言葉は用意していた答えではない、つい口をついて出てしまったものなのだった――。

※〔5章 動き始めた者たち〕はここで終了となります。

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