第1話 城の中は別世界
ついに王女との謁見の日がやって来た。
明け方まで雨が降っていたからか、朝の時間を告げる鐘の音もよく通る、すっきりとした青空が一面に広がっている。
しかし、事務所の中は雨のち曇りの、けぶった空気のままであった。
互いに確認したくても口に出すのが憚られる。『言葉のあや』であった――と言うきっかけを与えたくなく、どちらも当たり障りのない会話をし、それも中途半端な場所で切り上げてしまう。
ギクシャクしているのは無理もないが、王女との謁見に関しては別の話であった。
「――じゃ、じゃあ、行ってくる!」
「あ、うんっ……お、王女様に失礼のないよう、ちゃんと礼儀正しい挨拶するんだよ!
会う前にも服はちゃんと整えて、ああっハンカチはちゃんと持ったかいっ?」
世話を焼くクレアに、イヴは「オカンか……」と呆れ、迎えに来たダヴィッドもこれには苦笑するしかなかった。
二人の間に何があったのかは訊ねないが、二人の様子からして何かしらの進展があったことは間違いないと見抜いている。
『三日後、アタシはちょっと下水道の確認をしに行ってくる。
多分、翌日には戻ってくるから心配いらないのじゃっ、にひっ!』
あの日、ギクシャクした二人が帰ってくるなり、イヴは悪戯っ子の笑みを浮かべながら“予定”を告げて来た――。
これに大きく動揺しながら承諾したが、その顔には『どうして気づいたのか』と書いてあった。
実はその日、イヴは傘を持って行ってやろうとワンコと共に向かった際、“雨宿り通り”に入ってゆく二人を見ていたのだ。
ドワーフは石窟暮らしで培った目を、《コボルド》は野生の耳を――それぞれの“もちまえ”を駆使して二人を探った。
クレアが“月の障り”の最中であることを知っていたイヴは、『間の悪い奴じゃ……』と、彼女の“星のまわり”の悪さを嘆いたものの、ある意味では好都合だと考えていた。
「――四日後じゃったかなぁ、“星めぐり祭”があるのは」
進次郎が乗った馬車を見送ったイヴは、手を頭の後ろにやりながら、わざとらしくそう口にした。
「ああ、そう言え――」
クレアは言いけたまま、その場で静止してしまった。
“星めぐり祭”は、リーランド王都で行われる夏のイベントの一つである。
【男は夜空の向こうにいる女に恋をし、女もまた男に恋をした。
しかし、道を誤れば二度と浮かび上がれぬ漆黒の夜空が、二人の間を隔てている。
男は考え、阻む夜の空に“星”でマーキングをし、女のいる所に渡った――】
という、“おとぎばなし”がこの国にある。星の河に想いを馳せる、いわゆる“七夕”に近い祭りなのであるが、ご多分に漏れず、それらの逸話にあやかろうと、街中の若い男と女が色めき立つ日なのだ。
「あ、そ、そう言えば……」
「口にしたからには、覚悟を決めるのじゃな。
帰る方法が見つかろうが見つからまいが、女が男の帰る場所なれば良いのじゃ」
「で、でも、その、順番が――」
「動機が不純か? お主らはつまらぬことに捉われすぎじゃ。
確かに人間もドワーフも強欲で、それによって何度も身を滅ぼしてきたが、人間は“理性”と言う名の“恥”を持ち、己の欲を抑えることで危機から逃れてきた――」
イヴは大人びた目で、事務所からまばらに歩く人間を眺めた。
「愛情を求めるのもまた欲の一つ。
それを、つまらぬ世間体や形式、順序に捉われ見失う……何と馬鹿らしいことよ。
欲があるからこそ生き、欲があるから求める。肉体が求めるなら求め合え。
人間やドワーフ、《コボルド》ら――それが愚かと思う奴なんて誰もおらん。
思うのは他者を干渉したがるエルフぐらいじゃろうが、あんな阿呆どもの言うことなぞ、聞くだけ無駄じゃ。言ってきたらぶん殴れ、アタシが許す」
矢継ぎ早に繰り出される真剣なイヴの言葉に、クレアは顎を引いてしまっていた。
半分も理解できずにいたが、幼い見た目の彼女が言わんとしていることは理解できている。
嫌かどうか言えば、嫌ではない。むしろ、期待している方だろう。“心”は後でも来るが、“機”は今しか来ないのだ、と。
イヴは事務所に戻ろうとした足を止め、くるりと振り返った。
先ほどとはうって変わり、ニマりとあくどい笑みを浮かべている。
「――ってことでアタシー、その日遊びに行きたいからー、“お小遣い”欲しいのじゃがー?
そっちは“色”いろするんじゃしー、たくさん“色”をつけてくれるとー、いいのじゃがのー?」
「むっ、ぐぐぐっ――」
本当はそれが目的か、と気づいた時にはもう遅かった。
拒否を許さぬイヴの目に、クレアは肩を落としながら頷くしかできなかった。
◆ ◆ ◆
それからしばらくして――進次郎は、リーランド城の正門をくぐり抜けていた。
進次郎が乗る馬車が特別な物であると分かったのは、それからすぐのことであった。
街中では全ての馬車が慌てて道を譲り、御者である皆がすっと頭を下げる。城壁の内でもそれを体験すると、つい『権力を持つのもいいな』と考えてしまった。
緩やかな石坂を登り、巨大な門くぐった先からは徒歩であった。
整然と並べられた石畳の上を歩き、丸い水鏡を中心とする、見事な意匠が施された庭園を抜ける。
青々とした芝生にうねる紋様を描くように石畳が敷かれ、それを取り囲むようにして設けられた花壇には、色とりどりの花が咲き誇っている。その花の柔らかな匂いが、身体の強張りを解きほぐしてくれるようであった。
ここでも城勤めの兵士や、庭師などの『あれはどこの業者だ』『いったい何者だ』と、訝しむ目を一身に受けながら、進次郎は城の奥へと進んでゆく。
城内に踏み入れると、ここでもまた感嘆の息を漏らした。
ぼんやりと橙色に灯る燭台は、真っ直ぐに伸びた赤いビロードを際だたせている。
手持ちぶさたな者は誰一人としておらず、茶色の裾長のチュニックシャツを着た男女や、若草色のローブを着た侍女らしき者が忙しく動き回っていた。
しかし、下々の喧噪とはまるで違う。城の中はまさに別世界であった。
(チュニックシャツは商人か……? いや、雑務を請け負う使用人か。
男女問わず緑っぽいローブを着てるのは、“上流階級”の貴族たちだろうか)
それらに対して、深緑のサーコートの下に鎖帷子を着込んだ衛兵たちは微動だにしない。
絢爛な扉の脇の回廊を渡ろうとした瞬間、通路を守る衛兵が初めて動いた。――が、ダヴィッドがそれを手で制す。
何かと思っていたが、その先から濃紫のローブ姿の女性ばかりになっており、そこでようやく男子禁制の場・【女の園】に踏み入れていたことに気づいた。
飾り気のない濃紫のローブ姿の女たちは、懐疑と興味の目を向けながら来訪者に道を譲る。
「ど、どうも……」
「――この女たちにあまり気を向けるな。ここは国王ですら簡単に足を踏み入れられなかった場所だ。
王女の許可がなければ、私でも極刑を言い渡されていてもおかしくない領域に来ているのだぞ」
「そ、そうなんですか……?」
「ここの女は全員、クリアス王女の侍女であり所有物だ。
もし勝手に手を出そうものなら、まず牢屋暮らしは免れんだろう――。
出すなら、そうだな……ここの外の飯炊き女などなら問題ないぞ」
「なるほど……って、しませんからっ!?」
「はっはっは! それほどまでクレアが怖いか!」
「い、いえ、それは……」
図星だとは言えなかった。
それでなくとも、数日後には“何か”が起こりそうであり、立ち消えにならぬよう下手な行動は避けておきたいのだ。
進次郎は目を瞑り、沸き起こった“欲求”を無の境地で抑え込む。
「しかし、お前たちは幸せそうだ――」
ダヴィッドの声はどこか寂しげであった。
「以前から思っていたんですが……いったい、何があったんです?」
「む? 特に何もないが……」
「あまり踏み込んではならぬと思い、黙っておりましたが……。
時々、不安に苛まれているような……どこか暗い目をしていますので……」
その言葉に、ダヴィッドは思わず口を噤んだ。
チラりと、間に合わせで用意された待合い椅子から覗く廊下の向こうを見た。
あやまちを悔いるような横顔は、まるで死を宣告された罪人のようでもあった。
「……娘を嫁がせたのだよ。私に似ず、なかなか見れた顔の娘に育った。
幸か不幸か、そのおかげで引く手あまたでな――親の都合で、あの子の人生が振り回されることになってしまったのだ」
「……なるほど。親として、辛い選択だったでしょうね……」
「自分で選んだ道だ――あの子も分かってくれるだろう」
そう言うと、ダヴィッドは元の武人の顔に戻っていた。
どこに、とは言わなかったが、進次郎は『娘は政略結婚に使われたのだろう』と察し、それ以上は何も問わなかった。
女と金は最高の“贈り物”である。特にダヴィッドは“五老”の一人でもあり、重臣の家柄であれば仕方のないことだ。
進次郎とダヴィッド――どちらも気の利いた言葉を言えない不器用な男たちは、時計の音だけが響く重い空気の中、じっとその時を待っていた。
運命の時がやって来たのは、それから一時間ほどしてからであった。
王女の侍女が呼びに来ると、ダヴィッドに促され進次郎は彼女の背を追った。
ファンタジー映画に出てきそうな幻想的な渡り回廊。その先を歩く簡単に束ねられた茶髪の髪、妙齢の濃紫のローブ姿の女性――ゆったりとした上衣に覆われていても、その滑らかな線がハッキリと分かる。
「――何か?」
「あ、すみません……このような場所は初めてでありますので、つい魅入ってしまっておりました……」
「そうですか」
彼女は恐らくは侍女の“長”であろう。背中に目でもあるのか、と思えるほど視線に敏感で、チラチラと後ろ姿を見ていたことに気づかれてしまっていた。
キッと厳しい目を向けているが、その口元は妙に艶めかしく歪んでおり、首筋に寒気が走るのを感じていた。
「――この扉の向こうで、王女がお待ちになっておられます。
ゆめゆめ、ご無礼のなきようお願い申し上げます」
寸分たがわぬ角度のお辞儀をする侍女長。
進次郎は正面に広がる黒檀の扉の前で、じっと立ち尽くしてしまう。
明らかにこれまでとは違う扉である。身長の二倍ほどもある扉は、長い年月を経なければ得られない、見事なまでの風合いをたたえていた。
それだけではない――金色のドアノブや、蝶番にもじっくり見なければ分からないほどの彫金が施されている。
この時がついにやって来た――作法は問わないと聞いていたが、こうも厳格な雰囲気では一手でも間違えれば終わりのように思えてしまう。
それ以前に、進次郎はこの国の作法なぞ知らないのだ。
頭を下げたままの侍女長もどこか苦しそうに震えているため、進次郎は『なるようになれ!』と覚悟を決め、大学での就職活動のそれを思い出しながら、黒檀の扉をコンコンとノックし始めた。
(何も返事が聞えないけど……大丈夫か?)
ドアノブに手をかけ、キィ……と小さく軋ませながら扉を開くとそこには――
「……」
進次郎は言葉を失ってしまっていた。
真紅のビロードのカーペットが真っ直ぐに伸び、その先には四段ほどの半円を描く檀上が広がっている。
しかし、絶句していたのはその光景ではない。その檀上にいる女――
「――ふんふーんっ♪」
ワンレングス・紫の肩パッドの入ったスーツにミニスカート・羽根扇子を振って踊る女が立っていたのである。
進次郎には気づいているのかいないのか不明であるが、こう言わずにはいられなかった。
「ジュリアナ・トウキョウーッ!!」
「オーホッホッホッ!! 今夜もお立ち台は頂きですわよっー!!
――って、阿呆ッ!!」
「全部台無しぃー」
この人なら好きになれそうだ、と進次郎は考えている。




