第5話 誰がために夢を見る
その日の夜、進次郎は車を運転している夢を見た。
隣には初めて乗る“車”に目を大きく見開き、『何だ、何だ』と声をあげる赤い髪の女。その速さに思わず身を縮めてしまっている。
進次郎は彼女に、これらが【道路標示】……あれが【標識】……』と細かに説明するも、彼女の耳にはまったく入っていないようだ。
自らの意思か、それとも映像かは分からない。どこかに導かれるように、進次郎は車を運転し続けていた。
向かった場所は特に小洒落た場所でもなく、進次郎がよく行くスーパーだった。
これも初めて見るクレアは、昼間のように明るく、夜のとばりに覆われた店外と店内の両方を見比べ、まっ平らな白い床に眩しそうに目を細めた。
彼女の驚きと興奮は、冷めることを知らない。彼女の目に次々と飛び込んでくるのは、所せましと並ぶ食材の数々――トマトやコーンなどの馴染みのある物から、ブロッコリーやアボカドなど見たこともない食材に、目をパチパチをさせ続けている。
当然、レトルトなんて物は未知なる物体だった。保存期間の説明を聞くなり『嘘ではないか』と何度も聞き返し、思わず震えだすほどの驚きを見せた。
その近くには、彼女がいた世界では、数種類しか出回っていないであろう“ソース”が大量に並び、彼女は恐る恐るその中の一つを手に取ると――……。
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「ッ――!?」
その瞬間、進次郎はハッと目をさまし飛び起きた。
そこは昼間のように明るい建物ではなく、窓を覆う桟敷板の隙間から月明かり漏れる質素な部屋であった。ベッドが大きく軋む音が二つ起き、小さく荒い息が両方のベッドの上からしている。
寝入ってからそう多くの時間は経っていない。室内の薄ぼんやりとした闇を隔て、タイミングを合わたかのように自然と顔を向け合った。
「一番最初に手に取ったのがマヨネーズと言うのは、いささかベタすぎではないか?」
「し、知らないよっ!? 真っ先に目に留まったのが――って、シンジもあの、おかしな場所の夢を見たのかいっ!?」
「ああ……『おかしな』と言うか、あそこは俺がよく行ってたスーパーだ……」
クレアは信じられない、と言った様子で口に手をやった。
――夢の中の世界は、夢ではなく現実に存在している世界
外からの蛙の鳴き声だけが聞える部屋の中で、夢の内容を思い出してゆく。
思い出そうとすればするほど、夢の内容は消えてゆく。彼女の頭には断片的な、衝撃的だった映像だけが取り残された。
「――じゃあ、あの勝手に動いていた、小さい鉄の箱も?」
「小さい言うな……あれが俺の世界での<車>だよ」
「そ、そっか……。でも、アンタが言っていた【標識】って、あんな凄い速度で走ってて分かる物なのかい?
私って物覚え悪いからさ、道の図示表示を見て、看板を見て、あれがこれがなんて瞬時に理解できないよ……」
「あー……標識とか、大半の人間が意識して見てないと思うぞ」
「……え?」
「【一時停止】とか重要な所は見るだろうけど、【停車禁止】や【駐車禁止】のそれとかパッと見分からん。
それに、中には『お巡りさんがいなきゃ大丈夫』って感覚で突っ込んで行くの多いからな。……で、『よゆーっ!』って時にお巡りさんが張ってて御用になる」
「す、凄い世界に住んでるんだね、アンタって……」
未だに信じられないクレアは、気持ちを整理するように大きく息を吐いた。寝間着の下は、悪夢を見たかのように、じっとりとした大量の汗が浮かびあがっている。
ギッ……と、彼女のベッドが小さく軋みをあげたかと思うと、床板を軋ませながら父親の――進次郎が半身起こしているベッドの上に、すっと腰を落とし……そのまま彼の方に体重を傾けた。
「お、おい――」
「しばらく、こうさせておくれよ……」
怖い夢を見た時は、よく父親にこうしてもらっていた。
クレアは進次郎の肩に顔を埋め、小さく身体を震わせながら静かに深呼吸をし始めた。
こんな時どうするべきか分からない進次郎も、反射的に彼女の頭に腕を回し、ぐっと抱き寄せた。
抵抗するそぶりは見せない。彼女は身じろぎ一つせず、距離があっても分かる早い胸の鼓動に、じっと耳を傾けている。
「……やっぱり、同じ人間だね」
「そりゃ、まぁそうだ。生まれが違うだけで」
「……シンジは怖くないのかい?」
「怖い?」
「私は、正直言って怖いよ……。
あんな世界――まるで想像もしたことのないのが存在し、そんな場所にいたことが怖かった……。
アンタが居たから気にならなかったけど……もし一人でいたら、きっと気が触れてたかも……。
ここは何もない世界だけど、どうしてアンタは一人で平気なんだい……?」
「考えないようにしているから、かな?
今はまだ、戻る術が残されている可能性があるから、それを頼りに“自分”を保っていられてる」
「強いんだね……アンタは……父さんみたいに……」
「そうでもないさ、その、ここにクレアが――ってあれ?」
素直な気持ちを吐露したからか、クレアはふっと糸が切れたかのように、すぅすぅと寝息を立て始めていた。
――ビシッと恰好よく決めてやるつもりだったのに!
と進次郎は胸の中で叫び、苦笑を浮かべながら、ゆっくりとベッドの上に彼女を横たわらせた。
同時に、進次郎にも再び睡魔が襲い始め……動くのも億劫になり、そのままゆっくりと瞼を閉じた。
いったいどうしてあんな夢を、それも“共有”したのか? それらを考えるのは明日にしよう、と――。
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翌朝遅く――進次郎は昨晩の“不思議な出来事”を、イヴに話してみることにした。
思わずして一緒のベッドで眠ることとなったクレアは、朝から熱に浮かされたような顔で、ぼうっと椅子に腰掛けている。
依頼された区画線を設けに行かねばならないのだが、クレアがこの様子では行くに行けない。なので進次郎はコーヒーを啜りながら、イヴと共にしばらくゆっくりとした時間を過ごしていた。
「お主がそこから来たってのも初耳じゃが、『故郷の味を思い出した』のが原因じゃろうかの?」
「可能性はとしてはあるかもしれないけど、クレアも同じ世界を見たのがな……」
「なら、お主が“連れて行った”のではないか?
“どこか”から物を運んでくる、<イントルーダー>の力がおかしな作用したか、神々の悪戯・思惑か……。
ま、それは追い追い分かるじゃろう。それよりも――」
悪い顔になったイヴは、進次郎の方に身体を傾けながら小声で話しかけた。
『あの様子からして、乳繰り“愛”ぐらいはしたのかの?』
『ば、馬鹿言えっ!?』
『なーんじゃ。クレアもクレアなら、お主も童貞か』
『ど、どど、童貞ちゃうわっ!?
ただ、そんな目で見たくないし、帰るとなったらだな……』
『愛にも旬と言うのがある。それを逃せば、死ぬまで後悔するぞ?』
『あ、愛ってな……』
イヴは呆れたように息を吐くと、クレアの方に顔を向けた。
先はまだまだ長そうだ。他人の恋路はどうでもよいが、成功すれば祝い酒が飲め、失敗すれば慰めの酒が飲める――それだけではないが、彼女らドワーフの原動力の殆どが“酒と宴と酒”である。
しかし、二人に起った出来事も気にかかっていた。
仮に進次郎が<イントルーダー>であるとすれば、過去の彼女らも同じように“別の世界”を見ていた可能性が高くなる。
イヴは『うーん……』と唸りをあげ、首を捻って思案に耽り始めた。
そのせいか、入口の前にワンコの馬車が停まったことはおろか、進次郎が呼びかける声にも気がついていない。
(この国は昔から変な逸話ばかりじゃ。
ドワーフの地下街跡の上に街が出来たかと思えば、あれよあれよと言う内に大国が出来上がっておったと言うし、もし王や女王が失脚でもすれば、たちまち国を守る<巨神兵>が機能しなくなる――にも関わらず、最低限の国防力しか備えておらぬ。
<巨神兵>を動かせる<イントルーダー>、シンジが来ると見越していたのかの?
いや、それは飛躍しすぎかの。じゃが大公側は、あのダヴィッドとか言うオッサンやクレアを探っておるようだし、何かしら噛んではおりそうじゃが……)
何にせよ、今回の覇権争いはきな臭い物になる――と考えていると、進次郎とクレアの二人がじっと見ていることに気づいた。
「――お、おおっ? すまん、何じゃ?」
「何かぼうっとしてるけど、大丈夫か?」
「う、うむ。ちょっと考えごとしてただけじゃ――で、どうした?」
「いや、ワンコが材料と荷物届けてくれたんだよ」
「荷物……おおーっ、“掘削機”かっ! さっすがドワーフ、仕事が早い!」
「だけど、柱はまだだってさ」
「あれは防腐処理が大変じゃからな……。別に、すぐに必要にならんじゃろ?」
「ああ、何か所かの【駐禁】は、街灯のランプ柱に据え付けだしな。
これからクレアと一緒に、ダヴィッドさんから指定された区画線を引きに行ってくる」
「うむ、分かった。その間、アタシは注文通りの丸面の板を用意しておくので留守番は任せるのじゃ」
イヴは腕をぐっと伸ばしながら、木の板が運び込まれた倉庫に向かった。
「――さ、私たちも行くとするかね!」
その様子に、クレアも気合が入ったのだろう。
イヴの背中を見送ったクレアと進次郎は、ペンキの入った缶と道具を手にしながら事務所を発った。




