第3話 新たな使用者
クレアはどうして正確な場所を言わなかったのか?
木戸にぶ厚い錠前がかかる建物を目の前にし、ようやくその理由が分かった。
「……ここ?」
「……言いたいことがあるなら、ハッキリ言いな」
正面玄関口には、木製のボロボロの看板が掲げられている。
字は読めないが、恐らく【ラインズ・ワークス】と書かれているのだろう。
しかし、それは看板だけではない。
「全体的にボロ――いだっ!?」
言いきる前に、進次郎の頭にゲンコツが飛んできていた。
「『ハッキリ言え』って言ったじゃんっ!?」
「言って良いことと悪いことがあるよっ!」
理不尽な……と、進次郎は頭を撫でながらボヤく。
巨大な城門に圧倒されたが、その中の街並みは更に圧倒するものであった。
主要路となる大通りから、枝分かれしたそれぞれの道……そして、その脇には石造りの家屋がずらりと軒を連ねている。各建物の間に出来た細い路地を覗けば、複雑に入り組んでいることも分かった。
しかし、街の全ての建物が乱雑に配置されているわけではない。
上……この国を統べる者たちが住まう【リーランド城】に向かうにつれ、建物は寸分違わず画一的に配置されているのだ。この区画に比べると、それには“冷たさ”すら感じられるほどである。
自然に形成されたのか、上になるほど立派になってゆく様は、皮肉にもヒエラルキーそのものであった。
(位置的に末端、ではなさそうだが……)
進次郎は今一度、正面の石造りの建物に目をやった。
クレアの家は、それらを五段階で表した内の“五”と“四”の境目に位置している。
しかし、近所の建物と比べても一回り小さく――五畳(約九平方メートル)ほどしかなかった。
工事現場に設けられる仮設事務所かと思えるほどボロく、家主である彼女の前では決して言えないが、ここだと言われるまで『古くさい倉庫がある』と思っていたほどだ。
「文句あるなら他でもいいんだよっ!」
「文句なんてありません、はい」
「よし。じゃ、中を案内するよっ――!」
クレアはにこやかにそう言うと、進次郎は横開きの木戸の中に通された。
建物にから流れ出た湿っぽい空気の中に、ふわりと匂い立つ何かが肌を撫でた。
その匂いがクレアと同じものだと気づくのは、少し間を置いてからであった。
「ここが、作業場兼事務所兼食堂だよ」
「……一か所にまとめすぎじゃないですかね?」
「ご、合理的って言いなっ! で、奥が炊事場とトイレだよ」
指差した先には、確かに炊事場らしき釜戸と木扉が閉じられた部屋が見受けられた。
ホコリっぽい事務所の中で、進次郎はその炊事場の一画が気になっていた。
「セイズ村でもそうだったけど、ここの蜘蛛はデカければ巣もデカいんだな」
「うっ……ま、まぁ、そうだねっ!
ちょーっと気を抜けばすぐに巣を作るし、困ったもんだよ!
さっ、早く上に行くよ、ほらほらっ!」
「あ、ああ、分かった――」
何やら慌てているクレアに首を傾げながら、今度は入口脇の階段を上がり始める。
建物は石造りであるが、内装まで全てがそうでないようだ。
ギッ……ギッ……と、急な木板の階段をあがると、そこには板張り床のガランとした空間が広がっていた。
「ここが居室だよ」
先にやって来たクレアは、奥にある雨風よけの桟板をはね上げると、眩い光がその狭い室内を明るく照らし出した。
部屋の両端には木製のベッドが二つ置かれてあった。左側は掛け布団が起き上がった形のままなのに対し、反対側はフレームだけが寂し気に佇んでいる。
「……あれは、父さんが使ってたベッドだよ」
進次郎の視線に気づいたクレアは、力のない声で呟いた。
孤独感が感じられたのはそのせいだろうか。そのベッド付近には埃が薄く積もっており、しばらくそこに足を向けていないことを示している。彼女の寝具と、光と風を通す決められた道筋だけが、綺麗な状態であった。
「服とか布団とか、父さんが使っていたお古になるけど、そこは我慢しておくれよ」
「ああ、分かって――んんっ?」
「どうしたんだい?」
「いや、この部屋なんだけどさ……」
進次郎は勢いのまま返事をしたが、ある大きな問題に気が付いた。
「もしかしてさ……一緒に、住むの?」
「何を当然なことを言ってるんだい。
アンタも私も、ここしか住む家が…………あ゛あ゛っ!?」
クレアはそこで初めて、“大きな問題”に気づいたようだ。
この部屋には隔てるものが何一つない、言わばワンルームみたいなものだ。
男と女――親子だから問題がなかった場所も、赤の他人同士が寝食共にするとなると、事情がまた変わってくる。
――あの人は、時々どこか抜けていますので
進次郎は、リュンカの言っていた言葉を思い出していた。
家主のクレアも、『うちでシンジの面倒を見る』としか考えていなかったのだ。
今更、別の場所をというわけにもゆかず、彼女は目を泳がせながら口を開いた。
「あ、あー……ま、まぁ、いいかねっ!
馬車でも一緒だったし、ここで一緒に、ね、寝ても同じだよっ」
「う、うぅむ……しかし、俺も一応は男だし、下の事務所でも――」
「だ、大丈夫だよ! 私のヘッドロックすら、中々外せなかったんだしさ!
それとも、何か問題事を、お、起こしたいって言うのかいっ?」
「い、いい、いやそんなことはしないぞっ!」
「なら問題ない……ね、うん。
それに下でなんか、馬車の往来でとても寝てられないよ」
「うーむ……それもそうか。なら、よろしくお願いします?」
「うっ、うん! じゃ、じゃあ、服用意するからね。
職業差別はないけど、この辺りで農家の恰好は目立っちゃうしさ」
クレアはそう言うと、父のベッドの下から衣装箱を引っ張り出した。
蓋を開けば、虫除けの香木と共に父の面影が宙を漂う――『いつかこれも消えてしまうのだ』と思うと、哀惜の念が胸が締め付けるため、あまり開こうとはしなかった。
(ごめんね、父さん)
今それを決断させたのは、故人を偲ぶのとはまったく別の感情だった。
クレアとて女であり、その手の話に興味がないわけではない。
ただこれまで機会に恵まれず、適齢期を大きく逃した今、どこかで諦めの念があっただけだ。
男を家にあげ、『これしかないから……』と父親の衣類を着せる。大昔に憧れたシチュエーションがここにやって来たのだ。その口元に、無意識に口元がニヤけてしまっている。
そのせいか、虫食いもカビもはえていない衣類を――父も彼女も気に入っていた、煙草の余香が残る作業服を選んでいたことに、クレアは気づいていなかった。
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手渡された服に着替えた進次郎は、ゆっくりと階段を下りた。
飾り気のない土染めのチノシャツと、カーゴパンツ――クレアの服装もそうであるが、セイズ村での作務衣のようなそれとは異なり、こちらの職人階級の服装は現代的なモノに近い。
生前に好んでよく着ていた恰好でもあるため、着方は間違えてないはずであるが……クレアは、階段をおりてきた進次郎に驚きの表情を浮かべていた。
「あ……」
クレアは一瞬、父親がやって来たのだと錯覚してしまった。
この家で、二階から男が来ることがないから、というのもある。
それでも……いつもの様に『父親が降りてきた』と思わざるを得なかった。
「も、もしかして、着方間違えてるのか?」
「え? あ、ああっ、間違えてないよっ!
意外とサマになってて、ちょっと……驚いただけだよ」
しかし、昔から見慣れた作業服ではあるが、父とはまるで違う印象を受けた。
上着はぴっちりしたモノを好んでいたからか、ひと回り小さい進次郎でも少し大きい程度だ。
「そうか。それにしても、カーキ色の作業服は初めてだから、少し落ち着かないな」
「そう? こっちは黄色っぽいのが最近の人気だね。
ベッド下のは全部父さんのだから、好きなの着ていいよ」
「いいのか?」
「もう、着る人がいないからね……」
「……わかった。
だけど、ここに来てから世話になりっぱなしだな……」
「私はトマス氏とは違って、タダでは面倒見れるほど出来ちゃいないよ。
仕事が来れば、しっかりと働いてもらうからねっ!」
クレアは気持ちのよい笑みを浮かべると、ぐっと握りこぶしを掲げた。
「無論、俺もそのつもりだ……って言いたいけど、不安になるな……」
「ふふっ、そんな大仰な物は滅多にないから安心しなよ。
――さ、シンジの着替えも終わったし、そろそろ出かけるとするかね」
「出かけるって、帰って来て早々に仕事なのか?」
「あははっ! いくら私でも、長旅から帰ってすぐは働かないよ。
ま、ついて来たら分かるよ。迷子にならないようにね」
「ちょ、ちょっと待って」
赤皮の財布をポケットに押し込みながら外に出たクレアを、進次郎は置いて行かれないよう小走りで追いかけた。




