第2話 王都へ――
月に厚雲がかかる夜の中、《コボルド》の馬車が駆け続けていた。
二日目、三日目は、聞かされていた通りの悪路――乗り心地は最悪どころではなく、崖から転がり落ちているのではないかと思えるほどの道に、酷い“悪夢”を進次郎は味わされていた。
赤いランタンを掲げただけの馬車は、速度を落とさずどんどんと突き進んでゆく。
夜通し走ることができるのは、夜目が効く犬の獣人ならではだろう。
最悪の悪路は抜けたらしいものの、ここから目的地まで車内泊となるらしい。
(あの日も確か、こんな南風が吹いていたな……)
進次郎は、死んだ日のことを思い出していた。
あれは、三月の年度末の工期が差し迫っていた――連日の悪天候、舗装業者が遅れたのが原因で、夜間も作業せねば間に合わないほどであった工事だ。
その日は異様に暖かい夜だった。中着を脱ぎにトラックに戻り、安全ベストを手にしながら、投光器が照らす施工箇所に向かおうとした、まさにその時――白い光が、彼の背を照らしつけたのだ。
(避けられ、なかったな……)
記憶の扉が開かれ、様々な感情がフィードバックしてくる。
気がついたら地面に横たわっていた。その時は思い出せないが、揺れる光、点滅する赤い光の中で――身体がぐいと引っ張られたのを思い出せた。
ほどなくして、白く眩い光に包まれる。恐らく救急車の中だろう。
傍らで何かを話し合う声がし、くすくすと女の笑い声が起こった。
――笑う?
救急車で? と、自身の記憶に首を傾げた瞬間であった――。
赤い光が身体中にまとわりつき始め、突然ねっとりとした液体へと姿を変え始めた。
手で拭えばそれがぬるり広がり、手の平にもべったりと絡み付いてくる。
血で血は拭えない。……にも関わらず、“死の恐怖”から目を背けようと、手はそれを拭おうとした。
しかし、何度やっても結果は変わらなかった。
『ねぇっ、大丈夫かいっ!?』
顔のどこかに感じる痛みが、彼のそれを和らげた。
まだ生きている、そう告げてくれる気がしたからだ。
『ねぇ……ねぇってばっ!』
誰かの視線を感じるが、そこに浮かぶ顔はぼんやりとしており、ハッキリとは見えない。
(女……? いや、どこかで見覚えがあるような……)
進次郎は目を思いきり広げ、それを確認しようとした時――
「起きてってばっ!!」
「――う……くれあ?」
「ああ、よかった……急に呻き始めるんだもん……。心配したよ……」
「呻き……?」
クレアの心配そうな目に、進次郎は自分の身体を確かめ始めた。
外を見ている内に眠ってしまっていたのだろう。馬車を止め、心配そうな目を向ける《コボルド》に手を出しながら謝ると、進次郎は深く息を吐いた。
わずかな間を置いて、馬車は再び動き出した。
空はいつしか薄く白み、黒い山の輪郭が鮮明になろうかとしている。
“悪夢”のせいであろうか。清々とした風景に対し、頭はぼうっとして重く、身体もどこか気だるいままだ。
当然、血などは一滴も流れておらず、そこに感じられるのはベタベタとした汗だけである。そっと胸に手をやれば、ヒヤリと冷たいものが感じられた。
「また、あの時の夢か……。はぁ……」
「起きないし、ずっと呻き続けているしさ。ホント、ビックリしたよ……。
ほら、少しじっとしてな――」
クレアはポケットからハンカチを取り出すと、進次郎の顔に浮かぶ汗をそっと拭い始めた。
女性らしい仕草だった。子供のような扱いが恥ずかしくあったが……彼女の母親のような優しい手つきに、つい身を任せてしまう。
「……怖い夢でも見たのかい?」
「ああ……これまで何度も見てきたけど、今日は特に鮮明だった」
「そう――」
「ちょ、ちょっとっ!?」
クレアはすっと手を伸ばし、進次郎の頭を胸元にぐいっと引き寄せた。
むにっと柔らかな胸元に押し付けられ、慌てて頭を上げようとするも、彼女はそれを許そうとはしなかった。
「――私も怖い夢を見た時は、よく父さんにこうしてもらったんだよ。
そこで、どんな内容だったか話すと……不思議と、何で怖かったのかと思えてくるんだ。
聞いてあげるから、シンジもためしに話してごらんよ」
「あ、ああ……だけど、その……」
「変な気は起こすんじゃないよ?」
「わ、分かってる――」
クレアの腕が痛い――とは言えなかった。
それ以外では、じっとりと汗ばんでいるシャツも、間近に感じられる彼女の匂いも不快ではない。逆に気持ちが落ち着くような安心感が、そこにあった。
そのおかげか『悪夢にしておけばいい』ような内容であっても、彼女になら全てを話せる気がしていた。
「夢ではなく本当の話だ――」
彼女の胸の中で、ポツリ……ポツリ……と、“事故当時”の内容を話し始めた。
案の定、眉根を寄せるクレアであったが、次々と語られる言葉に嘘偽りがまるで感じられず、次第に真剣な目つきに変わってゆく。
「――ってことは、あれかい?
アンタは“ニホン”って世界から来たってのかい?」
「世界じゃなくて、国だな。
世界で言うと何だ……ちー……きゅう、か?」
「“チーキュ”?」
「確かに、道路交通に関係してるけども……」
それだと別の生命体になってしまう、と続けた。
「まぁ……信じられない話かもしれない、けど」
「確かにそうだね……。
でも、シンジのこれまでの言動を顧みれば、納得も出来る。
今は、頭ごなしに否定しないよ」
「……助かるよ」
進次郎の言葉に、クレアは少しだけ強く腕に力をこめた。
何か引っかかるものを感じていたが、その原因がハッキリと分かったようだ。
恥ずかしいのか、進次郎は離れようとしているが、面白いからそうはさせない。
「くおおおお――っ!?」
「あっはっは! この程度も離せないとは情けないねぇー」
ガッチリと頭をロックしたクレアは、してやったりと言った顔で大笑いしていた。
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それから数時間――陽が昇ると共に、目的地の王都【リーランド】がその姿を見せようとしていた。
「で、デカくないか……!?」
「ふふーんっ、凄いだろうっ!」
鼻を高く突き出すクレアの傍らで、進次郎は言葉を失ってしまっていた。
眼前に広がるそれは、まるで高い壁に覆われた白い岩山のようだ。
円錐状の山の形状にあわせ、白壁の大小様々な建物が軒を並べている。
その頂には、ひときわ存在感のある城が天に向かって伸びる――。
――モン=サン=ミシェル
第一印象はそれだったが、それよりもまだまだ大きいようだ。
漠然としたイメージしか持っていなかった進次郎にとって、それは衝撃的な“巨大都市”に映る。
開いた口がふさがらない進次郎に、クレアは誇らしげに胸を張った。
「どうだい! これがこの国の中心となる街だよ!」
「こ、こんな所で商いをやってるてのか……どの辺りなんだ?」
「うっ……ま、まぁ、そうだね……あの辺りだよ」
「……指さされても全く分からんし、わざと揺らしてない?」
「き、気のせいだよっ! ま、分からないなら残念だねっ!
……って、ワンコは速度緩めなくていいから、さ、さっさと向かうんだよ!
混むと面倒なんだからねっ」
速度を落とした《コボルド》は楽し気に『ウォウォン』と吠えると、再び馬を繰り始めた。
冷や汗を浮かべているクレアの言葉通り、城壁がじわじわと大きくなり始めると共に、大小様々な馬車が並走する場面も多くなろうかとしている。
馬の数が四頭の馬車は速く、次々と自身の乗る馬車を追い越してゆく。
中には、ラッパを吹いて煽り立てながら追い越してゆく者や、罵声を浴びせながら駆けて行く者も少なくなかった。
そのような輩が通り過ぎてゆくたび、クレアは睨みつけるような目を外に向ける。
「――ったく、輸送屋どものガラ悪さったら、ありゃしないよ」
「やはり六十くらいのオッサンは、皆ああなるのか……?
そういや、馬を繰るのは《コボルド》じゃなくて、オッサンばっかりだな」
「ああ、駅馬車とか近郊の町からとかは人間で、遠距離や郵便とかはワンコの種族が多いんだ。
っと、噂をすれば――そこにある金の装飾を施した黒い小型の、あれが郵便馬車なんだよ」
「へぇ……ってことは、危険が伴う仕事は《コボルド》が、比較的安全なのは人間がするのか」
「お、よく分かったね?
彼らは温厚だし、仕事にも忠実だから、街の治安維持などを任されているんだよ」
「街の治安維持……お巡りさん的なものか」
それに《コボルド》は誇らし気に吠えた。
経済活動も活発なのか、向かう馬車も多ければ、向かってくる馬車も当然多い――。
だが“譲り合いの精神”なるものがないのだろうか。どちらも我先に突っ込んでゆく者同士による“衝突”によって渋滞が生み出されてしまっていた。
事故ではない。人間同士の汚い罵り合いが、向こうの方から喧々とした声がしている。
「チッ、またかい……。
この時間、この場所だと……後二時間は覚悟した方がいいだろうね」
「これ、向こうから来る奴が悪いのか?」
「いや、そんなことはないよ?
我先に自分勝手に進もうとする奴が、この渋滞を生んでるのさ」
「幅員十メートルほどだし、片側一車線ぐらいは十分取れるだろ……?
何で、どっちも学生の自転車通学みたいに横に並んで道塞ぐんだ……」
「アンタは一体、何の話をしてるんだい……?」
クレアは進次郎の言葉がまるで分からず、きょとんとした表情をしている。
道路設計に関しては別であるため関与しないが、そこで指示された図示表示を描いてゆく仕事をして来た――。
規定された車の幅は、最大二・五メートル。道路の一車線の幅は、片脇に一・五メートルの“余白”を取り、三から四メートルの幅で線を引くのが基本である。
見たところ、この国の馬車は前には長いが、横幅は二メートル程度が平均と言った所だろう。最低幅三メートルの車線を設けても、十分すぎるほどの余裕が生まれるはずだ。
一車線では数珠つなぎになる可能性が否めないが、少なくともどちらが退くかでモメる事はないはずだ――と、進次郎は考えていた。




