終章 1-4
とうとう別れの朝が来た。
枕元で何かがうごめく音に眠気が薄れた慶人が、薄目を開けて寝ぼけ声を出した。
「おはよう。おまえたちもう起きたのか」
「旅立ちの朝は早い。常識でしょ」
智世の言い分にもっともだとうなずいてから、慶人は半身を起こした。ついでにぐっすり眠っているえなを揺り起こす。
「ほら、ふたりとも帰るってさ」
「えっ?」
布団を蹴り飛ばしてえなは首を左右に激しく動かす。ふたりがまだいたことに安心したのか、大きく息を吐いた。
「よかった~。もう帰っちゃったんだと思ったよ」
「えーちゃんにもあいさつするまでは帰れないよ。ねえ、智世姉」
「あたりまえよ。そんなわけで、えーちゃんから言うわね」
「うんっ」
「えーちゃんはこの時代に来てもえーちゃんだった。みんなに優しくて、元気にしてくれるようなまぶしい笑顔。私は会えて本当によかった」
「あたしもちーちゃんが来てくれてうれしかったよ! 優しいし、頭をよくなでてくれるし、だからっ」
「うん」
「だから、行かないでぇっ!」
智世の胸の中に飛び込み、えなは号泣し始める。智世も別れる寂しさと悲しさが隠しきれなくなり、強く抱きしめた。
慶人はわかっていても言わずにはいられなかった。
「こら、えな。最後の最後まで嘘泣きで智世をこまらせちゃダメだろ」
嘘泣きという言葉に反応したえなは、反射的に振り返る。
「嘘じゃないもん! 本当だよっ!」
えなの涙と鼻水でグシャグシャになった顔を見て、なぜか安心してしまった慶人は、苦笑して謝った。
「悪かった。ごめんな」
「次に慶人」
すでに涙声で顔を泣くか泣くまいかでひくつかせている智世は、最後の力を振り絞るようにして語り始めた。
「あんたには散々迷惑をかけて悪かったと思う。本当に不幸者の孫でごめんなさい。でも、そんな私を叱ってくれてありがとう。気にかけてくれてありがとう。料理も未来に戻ったら、がんばって勉強する。償いをするには遅すぎるけど、静莉おばあちゃんに作ってあげるんだ。……最後に」
智世は一生懸命笑顔を作り、そして、
「ありがとう、おじいちゃん」
まだ自分がじいちゃんと呼ばれる歳でもないのに、感謝の言葉をありがたく受け取った慶人は、素直に嬉しくなった。
「ああ、どういたしまして」
慶人がほほ笑み返すと、智世も火がついたように泣いてしまった。
「慶仁はなんか言うことはないのか」
「ありがとう。お世話になりました。楽しかったよ。はい、終わり!」
「短いなー。まあ、おまえらしいっちゃおまえらしいけどさ」
「あはははは」
いつものように陽気に笑いながら、慶仁は慶人とがっちり握手を交わす。
「元気でな」
「じいちゃんも」
すっぱりとした別れを望んでいるのだろう。握手が終わるや、慶仁は押入れの中に自分の荷物を詰め出し、それが終わると智世の荷物も黙々と詰めていく。
その間智世はえなといっしょに泣き続けていた。
慶人は交互にふたつの光景を見るともなく見ていた。
とくに何が浮かんでくるわけでもない。ただ、雲の流れを見るようにある種超然とした感じで。
やがて、荷物がすべて積み込まれ、慶仁は智世に優しく呼びかけた。
「ほら、智世姉。行こうよ」
「う、うん……」
智世は子どものように手のひらで涙を拭き、えなからなごり惜しそうに離れて、慶仁の隣に立った。
少しの間があって、ふたりは深く礼をした。慶人とえなはそれを見守っているのみ。
最初に慶仁が押入れに入り、次に智世が押入れに入った。慶仁は振り返ることはなかった。だが智世は、ゆっくり閉まっていく押入れのふすまから、ふたりの姿を焼き付けるように、泣き腫らした目を離さなかった。
ふすまが完全に閉まって一瞬の静寂のあと、慶人の部屋が真っ白な強い光に包まれた。
慶人とえなは、目が開けていられなくなり、目を強くつむった。
十秒ほどで強い光はパッと治まった。慶人は恐る恐る目を開けていく。
「あれ?」
慶人は不思議そうに周囲へ首を動かす。
「なんで俺は押入れの前なんかに突っ立っているんだ? えなもこんな所で何してんだ?」
「けーちゃん……」
「どうした、泣いたりなんかして。悪い夢でも見たか?」
慶人はしゃがんで目線をえなと同じ高さに合わせる。
「うん。すごく、寂しくて悲しくなる夢だったよ。あたしと仲がいいお姉ちゃんとお兄ちゃんと離れ離れになるの」
「……そうか。それはつらかったな。俺もなんか不思議な夢を見たんだよ。すごく印象に残ってる言葉があってな」
「うん」
「『ありがとう、おじいちゃん』」
終




