二章 1-8
「おい待てよ。おいってば!」
慶人たちがさっさと歩く智世に追いついたのは、店から数十メートルほど離れた所だった。振り返った智世は先ほどのように怒っておらず、至って平静である。
「荷物、持つわ」
慶人からレジ袋ひとつをひったくるようにして持ったはいいものの、何を言っていいのかわからず、智世は立ち尽くしてしまった。
「智世」
「何よ」
慶人は満面に笑みをたたえ、空いた手で智世の頭を優しくなでた。いきなり頭をなでられた智世は嬉しい反面、恥ずかしさが急速に込み上げてきた。
「な、何すんのよっ!」
智世は慶人の手を軽くたたく。慶人の目がたちまち点になった。
「『よくやった!』って思ったから頭をなでたんだが……何かちがったか?」
「人の目ってものがあるでしょうが!」
「あ、そっか」
「『あ、そっか』ってあんたね……」
得心した様子の慶人に、智世はなかば呆れをにじませた表情になる。
「おまえのことを敵に回しちゃダメってことが、よくわかった気がする」
「あたりまえよ。おばあちゃんを害するものはなんであれ許さないんだから。もちろんあんたもよ。この時代で何かしたら、覚悟してもらうわよ」
あまりの智世の気迫に、慶人は内心たじろぎながらも努めて冷静に答えた。
「あ、ああ、肝に銘じておく」
「わかればいいのよ。さてと、帰りましょうか。って、こら、慶仁っ。ちーちゃんを肩車するのはいいけど、ちゃんと歩きなさいっ」
「ごめんごめん」
ふたりに追いついた慶仁が平謝りをしていると、遠くからだれかがこちらに向かって走ってきた。
「あのー、すいませーん」
「ん? あれは倫さんじゃないか。どうしたんだろ」
慶人は疑問を口にする。
店から距離もそんなに離れておらず、すぐに追いついた倫は、息をはずませながら慶人と智世の前に立った。バイトの時間が終わって退勤したのだろう。私服姿だった。
「先ほどは本当にありがとうございました。よく考えたら私、お二方の名前を訊きそびれてたのでよろしければ訊いてもいいですか?」
「ええ、かまいませんよ。俺は直江慶人と言います」
「わ、私は……」
智世は言いよどむものの、少し間をおいてはっきり言った。
「長上智です」
智世は本当ならえなのときのように、素性を明かして抱きつきたかった。
しかし、万が一起こりうるパラドックスの存在があるため、極力近しい人物であっても偽名で通さねばならななかった。それが時間航行者にとってはつらいことなのかもしれない。
「直江さんに長上さんですね。私は宇佐美倫と言います。よろしくお願いします」
倫はペコリと一礼する。慶人たちも習って礼を返した。
「こちらこそ」
「よろしくお願いします」
三人が友好関係を築けそうな穏やかな雰囲気に包まれていると、突然だれかの腹が鳴った。
「ご、ごめんなさい……」
慌てて両手で胃の辺り押さえ、倫は無意識に前かがみになって上目遣いでふたりの反応をうかがう。くりくりとした目に涙が適度に潤い、さながら小動物がえさをねだるときのしぐさに似ていた。
これに慶人と智世はやられた。
「そうだ。よかったら倫さん、うちで晩ご飯を食べていきませんか?」
慶人の案に、すかさず智世ものっかった。
「倫さんとは個人的に仲良くしていきたいので、ぜひともお願いしますっ」
「その言い方はどうなんだ? ちがう意味にも聞こえるぞ」
「ななな、なんてことを言うのよっ! きわめて健全な意味で言ったの。そう解釈するほうがおかしいわ」
「本当か?」
「本当よっ!」
慶人と智世の漫才のような掛け合いを見ていた倫が、小さく声を立てて笑った。
「お二方とも仲がよくておもしろいですね。うらやましいです」
慶人慌てて否定。智世は固まった。
「いやいやいや、こいつとはケンカばっかりしていて仲がいいなんてもんじゃ……」
「ケンカするほうがすぐに仲良くなるんですよ」
「そ、そんなもんですかねぇ……」
「お二方を見ていたら、お邪魔したくなりました。よろしくお願いします」
* * *
角を曲がり、あと三百メートルほど歩けば家に着くところで、眼鏡で髪の長い制服を着た人物がきょろきょろと辺りを見ながら歩いていた。
倫も加えて談笑していた慶人だったが、その姿にいち早く気づいて手を振りながら呼びかけた。
「おーい、柿崎ー」
静莉のことを好ましく思っていない智世は、びっくりして慶人の腕を強引に下ろした。
「ちょっと、慶人!」
すると、静莉らしき人物が走り寄ってきて、顔を笑みで彩らせた。
「おお、直江くん。ちょうどいいところに通りがかってくれたね。いやあ、参っちゃったよ。家に帰ろうと思ったら迷っちゃってさ」
慶人は首をひねった。頭の中で駅から学校までの順路をシミュレートしてみる。
「いや、迷うも何も学校から駅まで一キロもないはずだぞ。校門を出て右に曲がって、二つ三つ角を曲がれば済むのに」
「そうなんだよね。でも、私って自分で言うのも難なんだけど、方向音痴なんだ。それもかなりの」
そう言い終えると、静莉は明るい調子で笑う。どうやら慣れているらしく、この状況を楽しんでいるようにも見えた。
そんな静莉の発言に智世は、だれにもわからないようにボソリと吐き捨てた。
「嘘なんかついてないで正直に言えばいいのに」
「ところで、そこの小柄でかわいい娘って、直江くんの彼女?」
静莉が好奇の視線を送る先には倫がいた。
「え、私? ち、ちがいますよね?」
「そ、そりゃ、もちろん」
ふたりは首をちぎれんばかりに横に振って否定する。
「あらら、失礼しました。お似合いだったんで、つい」
静莉はふたりに素直に謝る。だが、顔はにやにやしたままだった。
「この女は……どこまでわざとらしいのかしら。策略なんて卑怯極まりないわ」
智世ははらわたが煮え繰り返る思いでつぶやいた。と、だれかの腹がか細い音を立てて鳴った。みながだれかと眼だけを動かしてうかがう。
「ごめん、私」
さすがに頬を少し赤らめて照れ笑いしながら静莉は自白した。
(なんだ、お高くて取っつきにくいイメージがあったけど、素直でかわいいじゃないか)
慶人は静莉の本質を見抜くと、親しみを感じた。
「なあ、よかったら晩飯食っていかないか。腹が減ってると帰ろうにも頭が働かないぞ」
その瞬間に智世は慶人を睨んだ。慶人は抑えるようにと眼で送る。智世はおもしろくなさそうにそっぽを向いた。まるで自分は賛成してないと言わんばかりだ。
静莉は遠慮がちに倫をチラリと見やってから言った。
「私なんかがお邪魔してもいいのかな? かの……じゃなくてお友達もいらっしゃるみたいだし」
「ここにいる倫さんは今日初めて会ったが友達だ。だから、柿崎にも同じことが言える。……まあ、細かいことは気にするなってことだ。俺が腕によりをかけて作るから、食ってけよ」
慶人の言葉を聞いて静莉は愁眉を開いた。
「うん。それじゃ、お言葉に甘えるね」




