二章 1-4
だが、孫たちは動かなかった。いや、動けなかったと言ったほうが正しいだろう。
一限、二限の授業が終わると同時に慶仁には男子が、智世には女子が大挙として押し寄せてきて質問攻めにあっていたからだ。
慶人も詳しく方針を聞きたかったのだが、人だかりを押しのけてふたりを連れ出すことなど到底叶わなかった。慶人自身も黒川と鮎川にしつこく詰め寄られていたからだ。
やむなく、ふたりの携帯にメールを送って何とか連れ出そうとこころみた。それが功を奏し、ようやくふたりを人気のない非常階段に呼び出せたのが、三限が終わった休み時間だった。
「お、来たな」
慶人が壁に寄りかかって待っていると、ふたりがやって来た。
「まったく、いくら転校生だからってあんな大人数で話しかけられたら、頭がパンクしちゃうわ。私は聖徳太子じゃないのよ」
ブスッとした表情で智世は、やれやれとばかりに嘆息した。慶人は苦笑するしかなかった。
「みんなノリのいい人たちばかりで楽しいよ。慶さんの友達の黒川さん、あの人は相変わらずおもしろいね。彼は将来」
「ふぅ……」
智世は小さく息を吐いたかと思うと、右手をすばやく繰り出し、ペラペラ喋る慶仁のみぞおちに一発喰らわせた。
「そう、あんたにはとことんヒヤヒヤさせられたわ。いまみたいに何気なく未来の情報を言ったら、いくら公衆の場とは言え、こうしてやろうかと思ったわ」
「ご、ごめんなさい……」
うずくまってみぞおちを押さえてうめく慶仁を、見すえたままの慶人はなかば唖然としながら智世に言った。
「おいおい、ずいぶんと暴力的だな」
「まだ軽いほうよ」
拳をほどき、手をぷらぷらさせている智世はこともなげに答えた。
「それでなぜ、私たちを呼び出したの?」
「訊きたいことがふたつあるから」
「それはいまでないとダメなの?」
「そうだな。いますぐ訊きたい」
「わかった。答えられる範囲で答えるわ」
慶人はひとつ目の質問を智世に投げかけた。
「なんで偽名を使うんだ?」
「この時代に私たちは存在しない。だから、架空の人物を名乗ってる。のちに起こりうると思われる不都合を防ぐためもあるのよ」
「不都合ってのは……パラドックスってやつか?」
「まあ、そんなところね」
智世は目尻を下げた。物わかりのいい祖父に対する初めて見せた感謝だった。
しかし、孫娘の意図を察することができなかった慶人は、内心で訝りつつもうひとつ質問した。
「これがおまえたちの言ってたアクションなのか?」
智世は再度顔を引き締めて首肯した。
「その通りよ。あんたが通ってる高校に転校という名のもとで潜入し、柿崎静莉と接触は仕方ないにしても、親密にさせないことを目的する。これが私のアクション。ちなみに慶仁はただ便乗しただけ」
「そうなのか。でも、柿崎静莉って奴なんか見たことも聞いたこともないぞ」
「あたりまえじゃない。柿崎は転校生なんだから」
「え?」
驚愕に目をカッと見開いた慶人は、二の句が継げなかった。そんな慶人を痛みから回復した慶仁が、立ち上がりながらほほ笑みかける。
「いまごろは迷ってるんじゃないかな。ばっちゃんは極度の方向音痴だから」
こんどこそ慶人は絶句し、チャイムが鳴るまでその場に立ち尽くした。
* * *
四限の終わりを告げるチャイムが校内に鳴り響き、昼休みの時間となった。各自が動き出そうとするが、四限を担当していた教師と入れ違いに担任の下平が息せき切って入ってきた。みなが何ごとかと注視する。
「いやあ、貴重な休み時間中にすまんすまん。少しだけ時間をくれないか」
みなが明らかに不平不満を言いたげな顔になっていく。もちろん、すでに知っている慶人と慶仁と智世はそれぞれちがう表情をしていた。
「実はもうひとり転校生がいるんだ。本当は明日になる予定だったんだが、本人の希望で今日になった」
教室中がざわめいていく。そのざわめきが大きくならないうちに、下平は廊下に待機している転校生をうながした。
「入ってきてくれ」
すると、ひとりの女子生徒がゆっくりと入室した。とたんに、みなが言葉を失った。
長くまっすぐ腰の辺りまで伸びた柔らかそうな黒髪をなびかせ、背が高く全体的にすらりとしている印象が持てた。顔に目を転じると、かわいいと言うよりも美人の造りしていた。雪のように白い肌に、アーモンド型の大きな両目を際立たせるような長いまつげ、その上にかけられた卵形の眼鏡が知的な感じがした。赤く美しい唇は紅唇と言っても過言ないだろう。
智世も年齢の割には充分美人の部類に入るほどだが、この転校生は格がちがった。
みなが見惚れていると、転校生は教卓の前に歩みを進めた。そこで転校生の身長が明らかになった。
担任の下平は百七十センチちょうどなのだが、並んで立ってみるとまったく差がなかった。いや、よくよく見れば彼女の方がわずかに高いのだが、それに気づいている者は慶仁と智世だけだった。
「それじゃ、自己紹介を頼むね」
転校生は下平に軽く会釈した。教卓から下平が去ってから、真正面を見すえて口を開いた。
「みなさん、お昼時にすいません。初めまして、私は柿崎静莉と言います! 以後、よろしくお願いします!」
見た目のおしとやかな印象に反して快活に言い放った静莉は、頭を勢いよく下げた。
教室にいる生徒のだれしもが慶仁の二の舞になってしまうのではないかとはらはらしたが、すんでのところでピタッと止まった。少しの間があってだれかが拍手をし始めると、徐々に行き渡っていく。
「それじゃ、柿崎さんは直江の隣の席になるから」
「わかりました」
静莉は下平に一礼してから、クラス中の好奇の視線受けつつ慶人の隣の席に向かった。
「直江くん? これからよろしくねっ」
柔らかくほほ笑む静莉に、慶人の心臓の動きがにわかに活発になる。それでも、かろうじて平静をよそおってほほ笑み返した。
「ああ、こちらこそよろしく」
そして、ふと思い出す。
(なるほどな。接触はムリってそういうことか……)
慶人は智世が言っていた言葉をようやく理解した同時に、静莉に興味を持った多数の生徒たちによって席を追い出された。
ミーハーなクラスメイトたちに呆れつつ、何かの気配を感じて後方を振り返った。すると、黒板の下で智世が手招きしていた。隣には慶仁も立っている。慶人は素直にふたりのもとへ歩み寄っていった。
「あちらの美人さんが俺のばっちゃんです」
慶仁が静莉を手で示しながら、宝物を自慢するかのように言った。
「たしかに美人だわ。しかし、あんな美人とこんな平凡な俺がどうくっついたって言うんだ?」
慶人は同意しながらもいまひとつ腑に落ちなかった。慶仁はこともなげに言う。
「普通に恋愛したって言ってたよ。まあ、付き合うまでの過程は、残念ながら教えてくれなかったけどね」
「へえー」
「と・に・か・く・!」
智世は慶人の両肩をつかんで自分のほうを向かせると、強い口調で断言する。
「私はあの女との交際は認めないし、仲よくさせようなんて思わないからっ!」
まるで母親か恋人の言い分を残し、智世は教室から出て行った。




