二章 1-3
翌朝。
「んじゃ、俺とえなは行くぞ」
今日も慶仁が早起きしてくることはなく、学校へ行くときの門送りは今日も智世ひとりだった。
「はいはい」
「ちーちゃん、行ってらっしゃいのだっこ~」
えなの両手を広げて甘えるしぐさが、ツインテールの髪型とあいまってなんともかわいらしく見えた。
(本当、智世が来てからおしゃれになったよな。髪型も俺じゃ後ろでまとめることぐらいしかできなかったのに)
「も~、えーちゃんったら。さっきもしたじゃない」
「えー、してくれなきゃ、あたし学校休むもんっ」
「んもぅ、えーちゃんは甘えんぼさんだなぁ」
言いながら、智世はえなを持ち上げて頬ずりする。えなはきゃっきゃと笑い、とても嬉しそうだ。
「今日も一日がとっても楽しくなるおまじないをかけておいたよ」
智世は名残惜しそうにえなを下ろし、頬をさらにゆるませつつしゃがんだ。
「うん、ありがとう!」
えなは腕を伸ばすと智世の頭を二、三度なでた。それだけで智世は嬉しさと愛おしさで卒倒しそうになった。
「よし、行くか」
この光景を毎日見せつけられている慶人は慣れたものだった。えなの手を握ると、そそくさと歩き出した。
しばらくぼうっとしていた智世だったが、やがて正気を取り戻して家の中に入った。すると、玄関に寝起きの慶仁が突っ立っていた。
「行った?」
「行ったわよ」
「そんじゃ、打ち合わせどおりに準備しましょっかー」
「べつにあんたは来なくてもいいのに。というか来るな」
「せっかく過去に来たのに留守番ばかりじゃつまらないし、それに、俺も旅費が自腹なんだから大目に見てよ」
「はあ……わかったわ。でも、邪魔したらただじゃおかないわよ」
「はいはーい」
「たく……」
* * *
えなを登校班の場所まで送った後、慶人は自分が通う瀬田野高校へ向かった。
特化しているものもなし。強い部活もなし。なんともおもしろみに欠ける男女共学のどこにでもあるような普通の高校である。
慶人は自分のクラスである二年五組に入り、席に着いた。そこに、ひとりの男子生徒が現れた。
「よお、直江」
「おう、黒川」
黒川こと黒川実は屈託のない笑みを慶人に向けた。高校入学時から慶人の友人のひとりである。
慶人はそんな友人の笑顔に、笑顔で返しながら言った。
「またか」
「ああ、よく寝つけなくてな」
「嘘つけ。目の下の隈がすさまじいことになってるぞ」
「あっはっは、バレたか。ラスボスがなかなか倒せなくてな。完徹する始末よ」
「はははは、このダメ人間め」
慶人は黒川の背中を軽くたたく。そこでふと、頭に引っかかりを覚えた。
「そういや、鮎川は?」
慶人はもうひとりの友人がいないことにようやく気づいた。黒川は首をかしげてひと言。
「さあ、知らん」
ちょうどそのとき、教室に肩をガックリと落とし、憔悴しきった表情の男が入ってきた。
「おっ、うわさをすればなんとやらだな」
黒川が鮎川の席へ出向く。慶人も後に続いた。
「おっす、鮎川。宿題終わったかー?」
黒川は鮎川の肩をたたきつつ、率直に訊いた。少しの沈黙ののち、鮎川こと鮎川洋太は不気味に笑い始めた。
「ふふふふふふふふふふふふふふ……」
「うわっ、キモッ」
「始業式も昨日も来なかったにも関わらず、まさか終わらなかったんじゃないよな?」
慶人はわかっていながらも訊かずにはいられなかった。
とたんに鮎川の笑い声がピタッと止まった。そして、代わりに怒声をあげたのだった。
「この薄情者どもめ!」
「あん?」
薄情者と言われたふたりはあっけに取られた。
「俺がこまってると言うのに、おまえらはどうして助けてくれなかったんだッ?」
慶人がため息をつき、おろかな友人に敢然とした態度で向かい合った。
「助けるも何もこうなることを避けようと、俺が八月の頭に言ったろ。『いまから宿題するから図書館に行こうぜ』って。でもおまえは『かなり強いクソみてーな敵と戦ってるから、手が離せない』つって断ったよな? その後何回も誘ったけど断ったろ。自業自得だ」
慶人の言葉の端ばしでうなずいていた黒川も言い加えた。
「俺は宿題を全部やってから、ゲームを始めたんだ。終盤で慌て始めたおまえとはちがうの」
「ぐぐぐ……」
歯を食いしばって悔しがる鮎川だったが、もはや後の祭であった。そんな鮎川をほっといて思ってもみないと感じで慶人に言った。
「しっかし、てっきり直江がなんだかんだ言って助けてやってると思ったが、ちがったんだな」
「終わりのころにでも助けに行ってやろうかと思ったんだが、そのころからちょうど忙しくなってな。ムリだったんだ」
「いまもか?」
「ああ」
程なくして黒川がニヤケ面になり、肘で慶人のわき腹を小突いてきた。
「おっ、もしかして彼女ができて同棲してんじゃねえだろうな」
「そんなんじゃねえよ!」
慶人は語気も荒く否定した。当たらずとも遠からずだったからだ。と、慶人と黒川がじゃれあっているところに、教室に担任の教師が入ってきた。
「おーい、みんな席に着けー」
みんながわいわい喋りながら、席に着いていく。全員着席し終えたところで担任の下平がおもむろに切り出した。
「えー、早速だが今日はみんなに転校生を紹介する。入ってきてくれ」
下平が廊下に待機している転校生に呼びかけた。まもなくしてふたりの生徒が教室に入ってきた。そのふたつの顔に見覚えのある慶人は、驚いて思わずガタンと椅子を鳴らし、叫んでしまった。
「あ―――ッ?」
「こら、直江。いくらいとこが同じクラスになったからって、そんな声を出すもんじゃない」
下平の一言にクラス中がどっと沸いた。
「すいません」
慶人は一応謝って着席し直したが、視線はいつの間にか手に入れた制服を着た智世と慶仁に注がれたままだった。
智世は完全に無視に徹し、慶仁は笑みを広げただけだった。
「それじゃ、軽く自己紹介をしてもらおうかな。まずは長上さんから」
下平が脇にずれてうながすと、智世は軽くうなずいて教卓の前に立った。
「みなさん、初めまして。長上智と申します。よろしくお願いします」
それから一礼すると、教室中から拍手が打ち鳴らされた。
(長上智だと?)
慶人が疑問に感じている暇もなく、こんどは智世との入れ替わりで慶仁が教卓の前に立った。
「みなさん、初めまして! 杉尾仁と言います! よろしくお願いします!」
智世と同じように慶仁は礼をする。しかし、勢いあまって教卓に額をぶつけてしまった。そんなまぬけな光景に、またしても生徒たちがどっと沸いた。
(あのバカ……)
慶人は頭が痛くなってきた。表には出さないが、多分智世も心中では苦虫を噛み潰したような顔で毒づいているだろう。それが容易に想像できた。
(あいつら、どうにかして嫁候補と関係を持たせる気だな……)
慶人はようやく孫たちの意図を理解したのだった。




