19 殉節
札には罪名が記され、地は水で清められた。吏は列を揃え、獄吏が手にした刃が拭われる。
臧洪は衛士に囲まれて進んだ。歩は乱れず、背を正す。視線はまっすぐに前を向き、口は真一文字に閉じられていた。吏が式を唱えて鼓が鳴ると、刃が振るわれ、臧洪の首を打ち落とす。獄吏が主君・袁紹に首級を差し出すため、その髪を掴んで高く掲げるが、恐ろしきはその顔であった。
死人の眼がにわかに見開かれてしばたたき、あるいは無念を噛み締めるかの如く、唇を苦悶に歪めてわななかせる。初めてそれを見る若き兵の中には、怨念が宿った、などと腰を抜かす者までいた。
場の動揺が収まらぬまま、ひと拍おいて陳容が引き出された。姿勢は乱れず、履の音は一定である。吏がまた式を唱え、鼓が鳴る。刃は再び落ち、先の色にさらに重なった。札には名が並び、印が押される。
書札は巻かれ、刑具は拭われ、台は水で洗われた。帷の口には胡床が据えられているが、処刑が終わってもそこから声は上がらぬ。列の者は目を伏せ、息を合わせた。
帷の端で砂が音もなく崩れ、遠い鉦がひとつ鳴った。二人の名は声に上らず、それでも胸に留まる。鼓が終いの印として鳴り、吏が礼を収めた。旗の影は薄くなり、陣は常へと戻る。
末坐のあたりで、小さな音がした。陳琳が身を震わせている。立っていようとして立ちきれず、膝の力から先に崩れた。袖で口を覆い、肩が二度跳ねた。目は地を見たまま上がらず、足もとが揺れるのを見ている。几の傍の書吏が思わず身を傾けたが、声は掛けぬ。否、掛けてはならぬと悟る。
諸将は胡床の列を正し、甲の胸に手を置いた。ため息が、各々の胸で小さく溶けた。
「……なんたることか。一日のうちに、二人の烈志を殺してしまった」
誰かが声を潜めて言い、隣がそれを受けた。その言は慟の底から零れたものであった。耳に触れた者は、うなずくこともせず、視線を落とす。帷の外では砂が風で寄り、足跡を浅く埋めていく。
高みに袁紹の姿があった。眉の間に刻まれた溝は深く、痛みを抱えている。口は固く結ばれ、ひと吸いしても胸が軽くならぬようであった。視線は札の置かれた几を過り、次に地の一点を見た。そこに赤いものが見えたのか、ほんの一刹那、眼差しの芯が揺れた。
袁紹が周囲を見回すと、諸将の顔はみな一様に沈んでいる。誰かが気まずそうに衣の袖を押さえ、誰かが帯の結び目を確かめた。衛士の片列が一歩退き、道が自然に開く。袁紹はその道へ歩を移し、帷の口に近づいた。
残された坐に沈黙が流れた。誰も胡床を立てすにいる。書吏は札を両手で抱え、几から一歩退いた。板の面にうすい陽が宿る。陳琳はなお膝を折ったままで、袖の中で拳を握り、息の数だけ胸が上下した。
帷の外から遠い蹄の音が聞こえてきたが、それでも誰も顔を上げぬ。上げれば、いま胸にあるものが散ってしまうと知れていたからである。人びとはそれぞれの襟を正し、目を伏せ、胸に二人の名を置いた。
× × ×
東の空がわずかに明けはじめたころ、ふたつの影が塵を踏んで戻ってきた。程恭と李猛である。馬は泡を吹き、鞍の下は汗に濡れて黒ずんでいた。道の端で手綱を収め、無言のまま城を仰ぐ。堞には新たな旗が掲げられていた。楼の上には誰の姿もなく、門にはよそよそしい番兵が起立している。しかしその変化こそが、全てを告げていた。
李猛が、鞍の前に手を置いて呟く。
「最期のひと暴れだ」
感情を削り取ったような、平らな声音であった。怒りも嘆きも、そこにはなかった。されど、ひとつの確信があった。程恭は目を伏せ、そしてうなずく。
「子源から目を離すわけにはいかぬからな」
その言葉は、遠い日の広陵で交わした声を思い起こさせた。鞠が拍を刻み、道を探していたあの夕暮れ。あの日と同じように、拍を合わせるようにして、程恭は馬を進めた。
向かう先には陣がある。幾重にも折り重なる帷と、槍の林が風に揺れていた。そこへ行けば、死がある。しかし、それでもなお、踏み出さぬ理由はなかった。行かねばならぬものが、そこにあった。
李猛は背の剣をゆるめ、程恭は胸の留め紐を締め直した。蹄がひとつ、大地を蹴る。馬が走る。砂が上がる。兵の列は彼らの前にあったが、声は掛からなかった。誰も止めなかった。
陣の端では誰かが気づき、ちらと目を向けたが、顔を背けるように視線を戻した。その背に、ふたりの影が吸い込まれていく。砂塵の向こうで何があったかを、ここに記す術はない。
その名は、臧洪の名と並んで胸に留まり、動かなかった。口にされず、声に出されず、置かれたままであった。呼ばれずとも、なお確かにそこにあるものとして、生き続けた。
やがて塵は風に消され、砂の上に残ったのは、ふたつの蹄の跡だけであった。それもやがて踏みならされ、見えなくなる。
空には雲が流れ、城楼の旗が一度大きく鳴った。それを合図とするように、風が帷の端を揺らし、陣の内は再び静寂に包まれた。そこにはもう影はなかった。光だけが残り、地の匂いが深く沁みていた。




