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10針目.良い子は寝る時間

 ベレナティウム公国大使館。


 その入口は、着飾った来賓で賑わいを見せる。


 馬車から降りたアンドルーが大使館内に入ると、すぐに数人の友人達に囲まれた。


 「アンドルー来たな!御夫人は?」

 「ああ、なんか別の場所に寄ってから行くとか言ってた」


 素っ気なく答え友人達とホールに入る。


 煌びやかなシャンデリアと無数のランプに照らされた会場。


 艶やかなドレスに身を包んだ貴婦人達。


 一流の楽団が奏でる優雅な協奏曲。


 ウエイターが通り過ぎる度に微かに香る極上のワインの香り。


 遊び好きのアンドルーが、愛してやまないものが、ここはあふれている。


 「アンドルー様~!」


 数人の令嬢が一斉に駆け寄って来た。


 「やあ、セレナ嬢、コルネリア嬢、ベアトリス姫、今宵もお美しいですね」


 若い令嬢と友人に囲まれながら、アンドルーは気分良く酒を飲み、中身の無い会話に花を咲かせる。


 「アンドルー様、お相手してくださいますわよね?」


 絡みついてきたセレナリベスの首元には、先日プレゼントしたネックレスが輝く。


 腕を組みながらホールの中央に進み、演奏が始まると共に体を密着させる。


 「アンドルー様、今夜は閉会するまでいらっしゃるんですよね?」

 「もちろんですよ」

 「では家まで送ってくださる?姉と一緒に来たのですが、途中で抜けると仰るの・・・」


 上目遣いで甘えるセレナリベスの魂胆に、アンドルーは年上の余裕を漂わせながら喜んで乗っかる。


 「もちろんですよ、セレナ嬢のお願いならどんなことでも聞きますよ、俺は」

 「まあ・・・嬉しい・・・!」


 世間知らずな十八歳など、アンドルーにとって最も扱いやすい駒だ。


 (女はバカで従順なのに限るぜ・・・!)


 曲が終わり、今度はベアトリスと踊り始める。


 「アンドルー様、私来月帰国することになりましたの・・・アンドルー様にお会いできなくなると思うと寂しくて・・・」

 「ではご帰国までの間はいつでもおそばにいますよ」

 「本当に?!約束ですわよ!」


 笑顔で一曲終えた後はコルネリアに腕を引っ張られ、柱の影に連れていかれる。


 「アンドルー様ひどいわ、私には何も贈り物してくださらないのですか?!」

 「これは失礼、お詫びに何でも欲しいものを・・・」


 言い終わる前に、背伸びしたコルネリアに唇を塞がれる。


 その様子はもちろん誰もが気付いているが、アンドルーがそういう男であることも、誰もが理解している。


 ひとしきりコルネリアと甘く淫靡な時間を楽しみ、上機嫌で友人達の輪の中に戻ると皆の視線がある一点に集中していた。


 「おい、どうした?」

 「いや・・・、ベレナティウム大使がいい女連れてるなって」

 「なんだって?」


 背が高く一際目を引くベレナティウム大使・スラヒムがこれから踊る相手を見つけ、アンドルーはその姿をまじまじと見つめる。


 楽団が盛大に音を鳴らし曲が始まると、大使の相手女性は軽やかに踊り出し、ターンした瞬間に見えた顔を見てアンドルーは叫んだ。


 「ミレーネ?!」

 「ええっ?!」


 アンドルーも悪友達もミレーネの姿に釘づけになる。


 品のあるベージュに、艶めく黒のレースを重ねたドレス。


 黒のレースの手袋。


 高い位置で結い上げた、波打つ長い黒髪。


 鎖骨から上に何も纏わないビスチェ形のドレスに合わせ、首には黒いビーズでできた大ぶりのネックレスが輝く。


 童顔で、子どもっぽい色味のドレスばかり着ていたせいで実年齢と外見が釣り合わなかったミレーネは、今や大人の気品と色気あふれる貴婦人として会場中の視線を浴びていた。


 曲が終わると、大使と楽しそうに話すミレーネの元へアンドルーは慌てて走り寄る。


 「ミレーネ!!」

 「あら、アンドルー様」


 大使に預かってもらっていた黒の羽毛がたっぷり付いた扇子をパタパタと仰ぐミレーネは、にこやかにアンドルーとその一味に挨拶をする。


 「皆様、楽しんでいらして?」

 「あ・・・まあ・・・、君、そんなドレス持ってたっけ・・・?」

 「これですか?今日のために作ってもらいましたのよ。スラヒム様、私、似合ってますか?」


 自分を無視して大使に感想を求める妻。


 アンドルーに、頭を殴られたような衝撃が走る。


 「もちろんですよ・・・入口で何かが光っていると思って見たらあなた様がいらっしゃって、お声を掛けずにはいられませんでした」


 アンドルーに、さらに頭を殴られたような衝撃が走る。


 「まあ嬉しい!」

 「よろしければ我がベレナティウム公国の大臣に会っていただけませんか?」


 アンドルーに、特大の一撃が振り下ろされた。


 「光栄ですわ、大臣閣下を退屈させてはいけませんものね」


 その場を離れようとするミレーネは、意識が飛びかけ情けなく固まるアンドルーににこやかな笑顔を向け


 「あなた、楽しみましょう」


 と告げるが、毒を含んだ眼差しは別の言葉を語る。


 (お互いにね・・・!)


 視線に滲む、これまで味わわされた数多くの屈辱に対する報復の念。


 全身に走る悪寒に身動きが取れなくなるアンドルーを尻目に、ミレーネはベレナティウム公国大臣に近付き笑顔を振りまく。


 案の定、若くハンサムな大臣の息子のアレイウェ書記官にあっという間にダンスに誘われ踊り出した。


 「おい・・・どうすんだよ・・・」

 「しかし化けたな・・・」


 友人達までもが、ミレーネの魅惑的な姿に夢中になり始めている。


 長い髪を揺らしながら華麗にターンする度に、男達の視線がミレーネに注がれ、アンドルーの焦りは増す。


 シオン達がミレーネのために完成させたこのドレスの最大の魔力は、全開になった背中の部分が交差する黒い紐で編み上げられたデザインにある。


 正面を向けば気品と華やかさを備えた装いだが、後ろを向けば挑発的。


 ターンの一瞬でしか見えない真っ白なうなじと背中の魅力に、アレイウェはもう虜になっていた。


 曲が終わると、ミレーネは笑いながら肩で息をする。


 赤みが差した頬と上がった息が、ますます色香を漂わせていた。


 「何か飲みましょう。さあ、こちらへ」

 「まあ、ありがとうございます」


 エスコートされながら大臣達の元へ戻り、次々と各国大使やその夫人達に囲まれ会話を楽しむ妻。


 たちまちに社交界の華と化したミレーネを遠目に見ながら、ただ立ち尽くしていると腕を引っ張られる。


 「アンドルー様、どうなさったの?」

 「あ、ああ・・・いや・・・」


 セレナリベスに促され仲間の輪の中に戻るが、しかし気が気でない彼は何にも集中できない。


 ふと、大臣達の輪を見ると妻の姿がない。


 (どこ行った?!)


 会場中を見回すと、なんとミレーネはアレイウェとぴったり寄り添い出口を目指して歩いていくではないか。


 「だあああああああああ!!!!!」


 奇声を発したアンドルーは驚く周囲を放って走り出し、ミレーネの腰に回したアレイウェの手を掴む。


 「失礼、私の妻とどこへ行かれるつもりで?!」


 アレイウェは驚き、大使館の中の図書室を見せるつもりだったと告げる。


 「そうですか、お気遣いありがとう、しかしもう遅いので妻は連れて帰ります!図書室は今度改めて二人で!訪問させていただきますよ!!」

 「え?!帰るのですか?!」

 「当然だ、何時だと思っているんだ!良い子は寝る時間だろう!!」


 着ていたジャケットをミレーネに羽織らせ、腕を引いてホールを出ようとした時、


 「アンドルー様!!」


 自分を呼ぶ声に振り向くと、走ってきたセレナリベスに抱き着かれる。


 「どこに行かれるんですの!今夜は私を送ってくださると仰ったじゃないですか!!」

 「あ、いや・・・」


 アンドルーが必死の想いで釈明の言葉を考えていると、妻が自分の若き恋人に近付いて言った。


 「申し訳ありませんわ・・・。寝る時間だから帰りたいと夫が言うので今日の所はご勘弁くださいます?」


 まさか本妻が来ていたと思わなかったセレナリベスは青ざめる。


 その様子に、ミレーネは満足そうな笑顔を浮かべ


 「ネックレス、とてもお似合いですわ」


 そう言い残し、アンドルーの腕を引いて大使館を後にした。


 帰りの馬車の中に漂う、気まず~い沈黙をひとしきり楽しんだ後、ミレーネは口火を切る。


 「私、楽しんでいたんですのよ。それなのに酷いわ」

 「・・・・・」

 「折角気合い入れておめかししたのに、一時間もいられなかったじゃありませんか」

 「・・・・・」

 「何とか言ったらどうです?あなた」


 アンドルーは声を振り絞る。


 「・・・すまな・・・かった・・・」

 「何に対して?」

 「君を・・・傷付けていたこと・・・」


 ミレーネは鬼の形相で、扇子で馬車の座席を叩く。


 「具体的な内容は?!」


 屋敷までの道中、アンドルーはこれまでの浮気相手全員の名前と、何を贈り、どういう付き合いをしていたかを全て吐かされた。


 「もう二度と浮気はしない・・・約束するよ・・・」

 「別にいいんですのよ、好きになさって。私も交友関係を広げるだけですから」

 「それはやめてくれ!俺が悪かった、なんでも買ってやるから許してくれえ!!」


 夫の情けない哀願に、ミレーネの腹の虫はようやっと収まった。


 アンドルーの隣に移動し顔を近付ける。


 「皆様、私をきれいだと褒めてくださりましたわよ」

 「・・・きれいだよ。いったいどこの誰に頼んだんだ?」

 「ふふっ、ダイアナ様の紹介よ」


 満面の笑みで、自分をねじ伏せる妻。


 年貢の納め時を迎えたアンドルーは、子どもの頃から見知った大人しいダイアナを思い出す。


 「ダイアナか・・・彼女も君くらい気が強ければ離婚なんてせずに済んだだろうな・・・」

 「いいのよ、ダイアナ様はもう次のお相手がいますから」

 「・・・え、そうなのか?」


 ミレーネは、楽しそうに頷いた。


 その頃、自室のベッドで眠っていたヘーゼルが目を覚まし、起き上がって窓から通りを見下ろす。


 向かいの食堂が営業しているから、まだそこまで夜は更けていない。


 (・・・ミレーネ様は舞踏会を楽しんでいる頃ね・・・)


 部屋のドアの足元に置いていたランプを持ち上げ、隣の部屋に入りランプの明かりで照らしても、シオンの姿はなかった。


 (まだ下・・・?)


 ゆっくりと木の階段を降り、店の中に入ってランプを高く掲げる。


 そこで思わぬ光景に出くわした。


 (あらまあ・・・)


 作業台の上に突っ伏して眠るシオン。


 その隣で同じように眠るダイアナ。


 先に睡魔に襲われ、ミレーネの見送りもままならなかったが、思い出す仕上がりは完璧だった。


 「ここまでやったんだからきっと成功してるわね・・・」


 二階に戻り毛布を二枚取り、ダイアナとシオンに掛けた時だった。


 「・・・あらまあ・・・」


 見なかったことにして、ヘーゼルは自室に引き上げる。


 散らかった作業台の上で眠る二人の小指の間。


 使ったはずのない赤い糸が、まるで運命を紡ぐように横たわっていた。

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