表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
30/30

第30話 初値

 市の立つ朝は、よく晴れた。


 組合の建物の前に、見たことのない台が並んでいる。等級ごとの買い取り値を書いた板が、朝の光の中に掛かっていた。特上、上、並——板の字は、テオの几帳面な字だ。


 最初の籠は、ペトルのものだった。


 選り場の婆さんが土を落とし、ガレオが結びをあらため、リーシャが声を聞く。特上がひと束、上がふた束。札が付いて、台の上へ運ばれる。


 事務官が板の値を読み上げ、銭が数えられた。


 聖薬草の特上、一本——銀貨15枚。


 ざわめきが、ゆっくりと市に広がった。一律買取なら銀貨1枚だった一本に、十五倍の値がついた。誰かが値切ったわけでも、誰かが施したわけでもない。品物が、品物の値で売れただけだ。


 ——初値、と前世の言葉が胸の中で鳴った。


 あの若い採集人の籠は、並がほとんどだった。払いは、一律の頃とさほど変わらない。男は銭を握って、それでも少し笑った。


「……下がりゃ、しなかった。上は、これからだ」


「選り場で待ってるぞ」


 ガレオが、台の向こうから言った。


 ミレナも朝のうちに現れて、特上と上をまとめて買い付けていった。


「等級があると、仕入れが早くて助かるわ。前は、籠の半分を自分の目でより分けてたのよ」


 帰りぎわ、思い出したように振り返る。


「言っておくけど、抜き打ちは続けるから」


「どうぞ。それが値の番人ですから」


 買い取りの銭が動くたび、一割が、鉄帯の箱へ落ちていく。箱の前にはバルクが座り、太い指で備えの帳面をつけていた。


「その帳面、あたしらも見せてもらえるのかい」


 婆さんが、おそるおそる覗き込む。


「いつでも見ろ。そういう掟だ」


 俺が箱の前を通りかかると、バルクは顔も上げずに言った。


「……最初の月は、大した額にならんぞ」


「備えは、額より続きです。十年続けば、誰もこの箱の前の暮らしを疑わなくなる」


「十年か」


 バルクは、ふんと鼻を鳴らした。


「いいだろう。わしの目は、まだ十年は黒い」


 ヨナスは、自分の払いの行を台帳の上で二度なぞった。


「……上前が、ない」


「ありません。これからも」


「妙な気分だ」


 そう言う顔は、笑っていた。


 昼前、選り場の戸口に、見覚えのある爺さんが立った。倅に止められて、来なくなった爺さんだった。何も言わずに、空いたままだった席に座る。


「遅刻だ」


 ガレオはそれだけ言って、籠をひとつ、押してやった。


 夜番明けのガロウは、市の隅で大きな欠伸をしていた。


「平和な市ってのは、傭兵にはいちばん稼げん場所だな」


「夜番は、続けてもらいますよ」


「分かってるさ。銭の集まる所に、平和は長居しない。——あんたが言いそうなことだろう」



 ◇



 昼過ぎ、宿場帰りのハンナが市に飛び込んできた。


「聞きなよ。ボルグの当てが、外れたどころじゃないよ」


「触れの話か」


「回りもしないさ。それどころか、宿場の連中が等級の薬草を欲しがってる。ヤン先生は注文を倍にしたいと。おまけにボルグときたら、『うちも等級で買い取る』なんて言い出したらしい」


 笑ってしまった。


 締め出すための触れの代わりに、仕組みのほうが街道を渡っていく。


 夕方、ザイラスの店に月の返済を届けた。


 ザイラスは銭を数え、帳面をつけ、それから言った。


「この調子なら、三年はかからんな」


「一年半で、返します」


「ふん。……いいだろう。賭けた甲斐があったというものだ」


 落ちくぼんだ目が、ちらりとこちらの胸元を見た。


「ペンは、無くしてないだろうな」


「ここに」


「なら、いい」



 ◇



 日が沈む前、ギルドの前を通った。


 例のベンチに、リーシャが座っていた。隣が、空いている。俺は黙って、そこに座った。


 二年間、この子が座り続けた場所だ。今は、座りたくて座っている。それだけのことが、ずいぶん遠くまで来た証に見えた。


 リーシャが、布の包みを差し出した。


「今日の上がりの、三割です。覚書の、配当です」


 包みは、両手にずしりと重かった。施しでも、礼でもない。共同事業の、取り分だ。


「確かに」


「……あの」


 リーシャは、少しためらってから言った。


「投資って何ですかって、前に訊きました」


「訊いたな」


「今は、少し分かります。賭けてもらった側が、いつか、賭ける側に回ることです。……私の上がりからも、今日、一割が箱に入りました。誰かの、明日の分に」


 それから、思い出したように付け加えた。


「納屋の裏の畑、芽の葉が二枚になりました。あの子たち、もう煙の話はしません。次の新月の話ばかりしています」


 山に入れない者の采れる場所が、土の下で育っている。それも、いつかの市の初値になる。


 積み立ての箱を覗き込んでいた、婆さんの横顔を思い出した。


 その横顔に、遠い窓口の、小さな背中が重なった。十年、こつこつと積み立てて、孫の祝いを楽しみにしていた人。あの人の通帳は、俺の最初の、たぶん唯一の誇りだった。


 ——ここでも、やれていますよ。


 胸の中でだけ、そう報告した。



 ◇



 市じまいの頃、見慣れない男が、畳まれていく台を眺めていた。


 旅装は上等で、目つきは商人のそれだった。こちらに気づくと、にこやかに歩み寄ってくる。


「いい市だ」


 男は、台の板を目で示した。


「街道筋で噂を聞きましてね。等級と、積み立てと、開いた帳面。王都にもない市が、辺境に立ったと。——あなたが、その設計者だとうかがいましたが」


「いえ」


 俺は、首を振った。


「掟を作ったのは、この街の組合です。私はただの、出入りの者ですよ」


「ご謙遜を」


 男は名乗らず、ただ笑って、一礼した。


「また参ります。その時は、ぜひ商いの話を。王都には、あなたの話を聞きたがる者が、大勢おりますので」


 男の背中が、街道のほうへ遠ざかっていく。


 夕暮れの市場跡に、リーシャが並んで立った。


「……今の人は」


「新しい客か、新しい面倒の、どちらかだな」


 革袋の中で、聖薬草が何か言ったらしい。リーシャがふっと笑って、その言葉を伝えた。


 ——『どっちでも同じよ。分の悪い賭けは、あんたたちのお得意でしょ』


 ああ。お得意だ。


 一人の娘に賭けた金貨65枚が、ひとつの市を作り変えた。最下位だった男の、これが最初の運用成績だ。


 まだ、薬草ひと筋の小さな市場だ。それでも——初値は、ついた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ