先生、その質問は診察に必要ですか?vol2
「これを、お前が?」
紙を受け取った薬師様の目が、すっと細くなった。汚いものでも見るように、流し見を始める。
この世界では子供は家に属する存在だ。親の保護と支配の下にある。あちらの世界のように「子供にも独立した人格がある」という感覚はない。だから貧乏な家の子供は、地位のある人間からこういう扱いを受ける。
レンは気にしていない様子だ。でも、わたしの方がいらついてくる。
目を通すうちに、薬師様の顔色がどんどん変わっていく。
最初は無表情だったのが、今はうっすら青い。一枚目を裏返して、裏面を読み始めた。
粗悪な紙だ。うちが貧乏だから仕方ない。でもレンの字は、紙も筆も選ばない。どんな条件でも、信じられないほど綺麗に書く。コツを教えてもらったけど、わたしには全然できなかった。本当に七歳かと疑いたくなるけど、読み書き以外をほんとうに知らない子だから、その一点だけをひたすら突き進めた結果なのだと思うと、素直に称賛できる。
薬師様の目が、紙の上をゆっくり動いている。
一枚目の裏、そして二枚目を手に取る。
まばたきが、異様に少ない。
椅子に深く腰かけたまま、顎をわずかに上げている。見下ろす角度だ。最初の数行で、手が止まった。
部屋が静かになった。薬草の匂いだけが漂っている。正確には薬師様の鼻息だけが聞こえる。
一枚目に戻って、同じ行を目で追っている。馬鹿にしていた人間の顔ではなくなっている。というかまばたきしていないから目が充血してきていて、少し怖い。
続きを読む。裏に移る。また一枚目に戻る。
「……これを書いたのは誰だ」
低い声だった。「レンが書いたの。わたしが内容を伝えて」「そのレンというのは」「ぼくだよ」
紙から目を上げないまま、「ふん」と言った。レンがわたしの脇腹をツンツンしてくる。目線をよこした。薬師様はまた二枚目を手に取る。
「この……分類はどこから来た」「自分で考えたの」「嘘をつくな」
間髪入れずに返ってきた。椅子が、わずかに軋んだ。
「嘘じゃない」
わたしは医者じゃない。カルテの仕組みは知っている。でも、自分の症状に合わせた分類項目を考えたのはわたしだ。嘘じゃない。
「……子どもにこんな構造が思いつくものか」「思いついたの」「誰かに習ったはずだ」「ううん」「では見たことがあるのか」「ないよ」「ならなぜ分かる」「必要だったから考えたの」「大人を馬鹿にするな」
鼻を鳴らした。でも紙から目を離さない。膝の上に置いた手が、固く握られているのが見えた。
「医術の書物を読んだことがあるか」「ない」
これは嘘だ。
「学校は」「行っていない」「文字は読めるのか」「少し。レンに教えてもらった」「少しだとっ」
紙を机に乱暴に置いた。「とっ」のときに、顔につばが飛んできた。
いやな気持ちになった。でもぬぐうのはさすがに失礼かもしれない。冷静でいることにした。
「この記録の内容を説明してみろ」
いきなりだった。「全部?」「最初の一行を読め」
紙の一行目をゆっくり読み上げた。「二行目」つまりながら読んだ。「もっと早く読めんのか」
この世界の読み書きを習い始めてまだ間もないので申し訳ありませんねえ!
必死に三行目も読んだ。「止まれ」「え?」
正直、もうこの問答に疲れてきた。あちらなら、この時点でセカンドオピニオン一択だ。性格の不一致がひどすぎて、治療を任せるのは困難。もはや帰りたい。
わたしは顔にかかったつばをぬぐった。
「止まれと言ったんだ」
薬師様の目がわたしを捉えた。真っ直ぐで、冷たい。「これはどういう意味だ」指で一点を示している。
もう一度ゆっくり文字を追う。「えっと……霊門への圧迫感が……食後に増す、という意味」「食後に増すと判断した根拠は」「食事の後に違和感が出た回数が多かったから。レンの記録に出てくるでしょ?」「何回だ」
レンが答えた。「七回のうち五回だよね」
「残り二回は」「……就寝前と、長時間歩いた後、だったかな」「なぜ別に分類した」「原因が違うかもしれないでしょ?」
薬師様が立ち上がった。
机を回って、こちら側に来る。真横に立って、手元の紙とわたしを見比べるようにする。
怖い。距離が近い。鼻息が顔にかかってくる。
レンが椅子の上でお尻の位置をずらした。薬師様から少しでも離れようとしているらしい。
「この所見はお前が書いたものか」紙の右端を指している。小さな字でびっしり書かれた部分だ。「わたしが伝えた内容をレンが書いたの」「お前の言葉でそのまま書かせたのか」「そう」
これは少し嘘だ。所見の中にはレンがわたしを見て書いてくれたものもある。けど言わない。こんなやつに教える価値はない。
「つまりこの表現はお前の表現だと」「……そうだけど」
薬師様はわたしを見下ろした。「年はいくつだ」「十一」「……十一」
一歩、後ろに下がる。それからレンに目を向けた。「お前は」「7つだよ」
「7歳だとっ!」
口の両端からつばが泡のように飛んだ。汚い。
「本当にお前が考えたのか」「だから、そう言ってるでしょ」「この小僧と二人で」「そう」「信じられん」「信じなくていい。記録は本物だから」
薬師様の口元が、わずかに動いた。何かを言いかけて、止めた。
隣でレンがおびえたように小声で言った。「テン、薬師様なんで怒ってるの」
薬師様の表情が、一瞬で固まった。
わたしは答えなかった。あちらの世界でも見たことがある。自分より若い人間が、自分より優れたものを作ったとき、どうしていいか分からなくなった顔。怒りなのか、認めたくないのか、自分でも整理できていないような顔。
「もういいかい?」
バル婆が入り口で静かに腕を組みなおした。「は?」これは薬師様だ。
「もういいかいってきいたんだ」バル婆はもう一度、同じ言葉を繰り返した。薬師様はなんのことか分からない顔でバル婆とわたしたちを交互に見ている。「もういい、とは?」
「この子たちは疲れてるんだ。レンは体も弱い。テンのことを見てくれないならここにいる意味はないだろ」
「見ないとは言っていない。ただこの紙について聞いただけだ」
「"ただ聞いただけ"だって?」
バル婆の圧がすごい。動かざること山のごとしだ。
薬師様はバル婆にすごまれて、やっと冷静さを取り戻したようだった。謝られることはなかったけど、発病からの記録以外に質問されることはなくなった。バル婆グッジョブだよ。
わたしよりレンの方が読むのがスムーズだと気づくと、記録についての質問はレンに向くようになった。レンは少し緊張しながら、当時のことをそのまま伝えていく。
二枚目まで全部確認し終わったところで、薬師様がわたしのお腹に手をかざした。触れてはいない。少しだけ浮かせている。
充血していた瞳が、氷のように光った気がした。
そのとき、わたしのお腹が盛大に鳴った。
レンとバル婆だけでなく、薬師様まで見てくる。たぶんお昼だろう。ご飯を食べたい気持ちと、空気の読めない自分のお腹を哀れむ恥ずかしさで頭がいっぱいになった。
診察は相変わらず、痛くないけど内臓を手に掴まれているような気持ち悪さがある。
「ふむ、思ったより張っていないな」霊門であろう器官を実際には触らずに触診しながら言う。「手術しなくて大丈夫ってこと?」「わからん、急に破裂することがあるかもしれんしなんとも言えんが……恐らく、今すぐどうなる、というもんじゃないだろう」
その"恐らく"って言葉がすごく不安!
「今度は二ヶ月後に来い」
また様子見か。手術のリスクを考えるとこれが正解かもしれない。でも、前回は三ヶ月後と言っていた。一ヶ月早まっている。「二ヶ月に早めたってことは、危ないってこと?」薬師様は首を振った。「お前たちの記録が長すぎて確認に時間がかかりすぎるからだ」
……危ないわけじゃないの?
「相談料と手術料についてだが……」
きた。わたしは袋から正露丸の紙とサンプルとして持ってきた現物を取り出した。と同時に、「お前たちが持ってきた記録を買い取ってやる」と言われた。
しまった。やってしまったかもしれない。




