腹の異変
目を開けた瞬間、顔が勝手にしかめられた。
——痛い。
天井はいつも通り。藁を束ねた屋根、その隙間から朝の光が細く落ちている。なのに、腹の奥だけ明らかにおかしい。
「……なに、これ」思わず腹に手を当てる。誰かに掴まれているみたいに、ゆっくりねじられる。布団は寝汗を吸って冷たい。じっとり肌に張り付いて離れない。もうすぐ夏なのに、体がぶるっと震えた。
「……っ」息を吸った瞬間、胃が持ち上がる。口を押さえたけど、間に合わない。床に夕飯がそのまま落ちて、べちゃ、と嫌な音が広がった。
「……うぅ、もったいない……」昨日の山菜がゆ、あんなに美味しかったのに。腹の奥のねじれる感じは消えていない。でも、少しだけ楽だ。
「テン!どうしたの!」足音が近づいてきて、頬にひんやりした手が触れた。
「……バル婆」白髪を後ろで団子にまとめた祖母がいた。近くで見ると、ところどころ栗色が残ってる。つぎはぎの服に薄布を巻いたまま、朝の支度を放り出してきたみたい。
「だから言っただろ、食べすぎだって」第一声がそれだった。……いや、心配は?でもバル婆の手は止まらず、吐いたものを手早く片付けていく。
「……美味しかったんだもん……」小さく言い訳する。
「まったく……」片付けを終えたバル婆が、額に手を当てる。「熱はないね」じっと見てくる。「テン、変なもの食べたんじゃないだろうね」
……失礼な。「食べてない!山菜がゆだけ!」思わず言い返す。あれを楽しみにしてたのに、わざわざ他のものなんて食べるわけない。——とはいえ、頭の端に昔のことがよぎる。生のイモをかじって吐いたこと。あの時も腹が痛くなった。
でもあれは8歳の時だ。今はもう12歳。あれ以来、ちゃんと決まりを作った。
生のものは食べない。知らないものは大人に聞く。どうしてもなら一口だけ。守ってる。だから今回は関係ないはずで——
「……っ」腹の奥がぐっと締まった。声が漏れる。吐き気は収まってるのに、痛みは消えない。むしろ強くなってる気がする。
「……バル婆、姉さんどうしたの」振り向くとレンが起きていて、こっちを見ていた。「また変なもの食べたの?」またそれ?「食べてないってば……!」少し強く言い返してしまう。
レンはじっと見てくる。その目が妙に大人びていた。
「……しばらくしても治らないようだったら、相談役に話してこようかね」反射で首を振る。「だめ!大丈夫だから!」痛みは強くなってる気がする。……いや、気のせいだ。痛いけど、吐いたし、寝てれば治る。
「……わかった。でも午後まで治らなかったら薬師様を呼ぶからね」バル婆は戻っていった。足音が遠ざかる。
「本当に何食べたんだよ」レンが隣に座って、そっと腹に手を当ててくる。「だから山菜がゆだけ……」
答えながら、少しだけ笑いそうになる。
「……テン、顔色悪い」「そっちこそ、いつも悪いでしょ」軽く頬を叩く。「わたしは寝てれば治るから」そう言って布団に戻る。レンの方が、ずっと体が弱いくせに。
「……っ」また痛みが来る。波みたいに間を空けて襲ってきて、目を閉じると一瞬意識が遠くなる。
そのとき、視界の端に白いものがよぎった。
「……え?」
白い部屋。並んだベッド。よくわからない道具。見ようとした瞬間、消えた。
「……今の、なに……」ぼんやり呟く。
「……本当に大丈夫?」レンが覗き込んでくる。一瞬だけ、言葉が詰まる。「急に痛みが強くなっただけ。大丈夫」少し早口で言い切る。あの白い光のことが頭をよぎって、喉の奥が引っかかった。「ほら、朝ごはん食べてきな」わざと明るく言って、背中を押す。「でも——」「いいからいいから!」そのまま部屋の外に追いやった。
足音が遠ざかる。部屋が静かになる。昼まで寝てれば治るよね——そう思った、その瞬間だった。
「ぐっ」腹の奥が、今までとは違う痛みで強く締めつけられる。息がうまく吸えない。視界の端が、じわじわと暗くなる。
その中で、さっきの白い光がまたよぎった。今度は、はっきり見える。白い部屋。並んだベッド。よくわからない道具。誰かが話している。知らない言葉なのに、耳の奥に直接流れ込んでくる。
顔が、いくつも浮かぶ。知らないはずなのに、どこかで見た気がする。息が詰まる。腹が痛いのに、それとは別に、頭の奥がきしむように痛い。
「……っ」
声が出ない。何かが、繋がりかけている。
「……わたし」
口からこぼれたその言葉に、自分で息をのむ。
これは、知らないものじゃない。
背中に、冷たいものが流れた。
思い出した。
——わたしは。
読んでくださりありがとうございます。テンが目を覚ます場面から書き始めて、腹痛の描写だけで一話使うのは長すぎるかなと思いつつ、ここは丁寧にやりたかったです。
次話、転生前の記憶に続きます。




