第44話 リスティアの悩み
夜の王都。
街の四つ角やお城には、かがり火が焚かれて夜空を焦がす。
戦いの支度が夜通しおこなわれていた。
城の3階にある執務室ではエルフのシルウェスが大きな机に向かって執務をこなしていた。
戦争準備のために夜遅くまで書類を処理している。
疲れも見せず、真剣な表情で執務をこなしていく。
仕事に向かう姿は、端整な顔が美しかった。
――と。
こんこんとノックの音がした。
絨毯の敷かれた広い室内に響き渡る。
「どうぞ、開いています。お入りになってください」
シルウェスは優しげな声で言うと、おそるおそるといった感じでドアが開いた。
ぴょこっと黒髪の少女が顔を覗かせてから入ってくる。
竜少女リスティアだった。
「こんばんは。今いいですか?」
「あらリスティアさま、どうされまして?」
微笑みを讃えたシルウェスの微笑に、リスティアはすみれ色の瞳をキラキラと輝かせる。
「なんだかシルウェスさんが輝いて見えます!」
「うふふ、嘘でもありがとう」
しなやかな手で口元を隠して優雅に笑った。
リスティアはムキになって言う。
「いや、ほんとですよ! 国王代理として振舞うシルウェスさんはとっても優雅でおしとやかで。すごく美しかったです! 本当のお姫様みたいでした!」
「ありがとう、黒の筆頭リスティアさま。あなたにそう言ってもらえて嬉しいわ」
「はふー。口調や態度が普段と違うのですね?」
その言葉にシルウェスは執務机に頬杖をつくと、男のようにだらしなくもたれかかる。
「ふむ。こっちの方がいいのか? ――私はぶっきらぼうな性格だし戦いが好きだから、本来は荒っぽい口調だ。しかし姫としての躾はちゃんと受けているのでな。それに――」
「それに?」
「ユーシアさまが、豪快で押しの強い喋り方をされるであろう? それで私まで荒い口調だと、無用な反発を招きかねない。私が優しく振舞うことで、めりはりをつけることができる。そうすれば国の施政もしやすくなる」
「ほえ? どうしてです? 二人で、がーって言っちゃってもいいのに」
「ふふん。うまく回ってるときはそれでも良いが、問題が起きた時に報告されなくなる。命じられた仕事を失敗したら普通は怖い人に話す前に、まず優しい人に現状を報告して許しを乞おうとするものだ。その役目を私が引き受けたにすぎない」
「な、なるほど~! シルウェスさん、そこまで考えられてたんですねっ! さすがエルフのお姫さま」
「まあ、月と太陽、光と影みたいなものだ。私がユーシアさまの影となって支えよう。たいしたことのない失敗やごたごたでユーシアさまをわずらわせることもなくなるしな」
「ほへー。すごく賢いです……あたしなんかとは全然違う」
リスティアはしょんぼりと俯いてしまう。可愛い顔に暗い影が差す。
シルウェスは翡翠色の瞳を丸くする。
「ん? どうかしたのか? 何か心配ごとでも?」
「あたし、役に立ててないなぁ、って。政治とか戦術とか、ぜんぜんわかんないし。このままだと筆頭クビになっちゃう」
「それはないだろう。充分役に立っているぞ」
「ん~。今はまだいいけど、これから優秀な人が入ってきたら筆頭じゃなくなりそう? ゲバルトさんを昇格させたってことは、七魔将にするのも外すのも実力次第ってことだろうし~。あ~、ご先祖様と同じ黒の筆頭が~」
リスティアは小さな手で頭を抱えた。うーうー唸り出す。
「不安がる必要はない。そなたには誰にも負けない能力がある。高い防御力による突進は戦術的に重要。しかもユーシアさまの魔法にも耐えたそうじゃないか。ありえん硬さだ」
「そうだといいんですけど……はぁ~、また荷物引きに格下げになっちゃったらどうしよう」
リスティアは壁に手を付いて落ち込む。
シルウェスは、快活に笑った。広い執務室の中に心地よい声が響く。
「そんなことを心配していたのか。ユーシアさまは気まぐれでそなたを筆頭にしたわけではないはずだ。あの方はやることにすべて深遠な意味がある。安心するといい」
「そうなのかなぁ」
リスティアが首を傾げた。黒髪が弱々しく揺れた。
――と。
バタンと大きな音を立てて扉が開いた。
細身の体躯に仕立ての良い夜会服を着て、黒マントを羽織った男――ユーシアが入ってい来る。
「シルウェス、物資の配分はできたか? ゲバルトは部隊の編成を終わらせたぞ。……ん? 何をしておる、リスティア?」
壁際にいたリスティアがぴょこっと立ち上がる。
「あぁ、ユーシアさま。ちょっと相談に乗ってもらってたんです」
「貴様に悩み事だと? ふんっ、ジョークがうまくなったではないか」
「ひーどーいーでーすー! あたしだって悩むんです! 黒の筆頭なのに役に立ててなくって、このままでいいのかなぁ、って。黒の筆頭として執務や戦術の勉強をしたほうがいいんでしょーか?」
リスティアの眉が不安そうに下がった。
しかし、ユーシアが笑い飛ばす。
「ふははっ。くだらん! 貴様以外に黒の筆頭はない。なぜなら戦場で我輩の傍にいることが多いからな。むしろリスティア以外に漆黒筆頭の適任者はおらぬわ!」
「ほ、本当ですか!?」
「嘘を言ってどうする。リスティアは我輩の魔法を受けても死なない。倒れない。味方への被害を恐れて手加減する必要がない。全力で魔法が使える!」
「なるほどぉ……え? それって……」
感心しかけたリスティアが固まった。
シルウェスが深く頷く。
「なるほど。友軍誤射を気にする必要がないということか。さすがリスティアさま、そしてユーシアさまだ」
「うう……ユーシアさまの攻撃はちょー痛いので、気にして欲しいです……」
「ふんっ! 我輩にとってゲバルトが剣なら、リスティアは盾! 執務や戦術は他者に任せろ。無い物ねだりするよりも、自分だけができることをすればよい!」
「あたしにできること……。そしたら大切にしていただけます?」
心細そうに上目遣いで見上げるリスティア。
ユーシアは大股でそんな少女に近付くと、壁にどんっと手を付いて顎をくいっと上げた。
「いいだろう、大切にしてやろう。少しは痛い思いをするかもしれないがな! フハハハッ!」
「はわわっ!」
リスティアは可愛らしい顔を耳まで真っ赤にして慌てた。
「ん? どうした?」
おかしな態度を取る彼女に、ユーシアはますます顔を近づけた。
「はわぁ~」
ぷしゅーと頭から湯気を出すと目を回した。ずりずりと壁に沿って尻餅をつく。
シルウェスが唇を噛んで唸った。
「くっ! 無い物ねだりとはいえ、羨ましいぞ……!」
「なぜお前が悔しがる? それより兵站の手配はできておるのか?」
「ははっ、ここに!」
シルウェスの差し出す書類を受け取ると、ユーシアは顎を撫でて呟く。
「ふむ。今日は徹夜になるな」
「なぜそこまで急がれるのでしょう……はっ、まさか!?」
「ふんっ、貴様もようやく我輩のやり方がわかってきたようだな」
「さすがユーシアさまです。世界は平和――ではなく、恐怖に包まれるでしょう」
「当然だ! この世は我輩のものだ、ふははははっ!」
残忍な笑みを浮かべたユーシアの高笑いは、広い執務室いっぱいに響いた。