ノエルの決意
ミレイアの部屋の中央に据えられた円卓には、美しく盛られた料理が静かに湯気を立てていた。
金色の皿には仔牛のフィレ肉のポワレに赤ワインソース。
前菜にはキャビアをあしらった帆立のマリネ。トリュフの香るコンソメスープが添えられている。
寮の専属シェフによるものだけあって、どれも申し分のない味と見た目だ。
それでも――
「……なんだか、しん……としてるわね」
ポツリとこぼした言葉に、自分でも苦笑がこぼれる。
そのとき、隣室との扉が小さくノックされ、ノエルが顔をのぞかせた。
「お嬢様。お食事、いかがですか?」
「美味しいわよ、もちろん。でも……」
ミレイアはフォークを置き、小さな声で言った。
「……ノエルが一緒に食べてくれたら嬉しいなって思ってたの」
ノエルは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに穏やかな微笑みを浮かべて小さく首を振った。
「お気持ちはありがたく存じます。でも、使用人用の食堂で食事をとる決まりですから」
「……そうよね。わかってるの。なんだか、ちょっとだけ寂しかっただけ」
ミレイアが照れ隠しのように笑うと、ノエルは静かに言った。
「お嬢様が望まれるなら、少しだけ同席を許可してもらえるよう申請してみます。ここでずっと一人というのは、やはりお寂しいでしょうから」
「ありがとう、ノエル。でも無理しないで。明日から学園も始まるし……私もすぐ慣れるわ」
そう言って、ミレイアは再びナイフとフォークを手に取った。
食後、部屋の壁に備え付けられた魔道具の掲示板がふわりと淡く光を放った。
ミレイアが目を向けると、光の中に文字が浮かび上がっていく。
――《明日午前九時より、新入生は講堂にて魔力測定。その後、所属クラスごとのオリエンテーションを行います。制服を着用の上、時間厳守。》
ミレイアは椅子にもたれ、小さく息を吐いた。
「いよいよ、始まるんだなぁ……」
明日への期待と、ほんの少しの不安。
胸の奥が、そっと波打つようだった。
──
ノエルは用意していたタオルを広げると、入浴後のミレイアの背後に立ち、丁寧に濡れた髪を拭き始めた。
「少し冷えますね。しっかり乾かしますので、しばらく失礼いたします」
「ん……お願い」
タオル越しに感じるノエルの手つきは慣れていて、どこか安心する。侍女としてノエルが侯爵家にやってきたのは僅か2年前なのに、もっと昔から知っていた懐かしい気持ちになる。
──
ノエルは元・伯爵家の令嬢だった。
けれど、18の春に恋に落ちた相手は、平民の青年——サム。ただ一人で工房を営む、誠実で優しい男だった。身分違いの恋など認められるはずもなく、周囲の猛反対を押し切って家を出た。その時、家族からは「縁を切る」と言い渡された。
けれど、サムとの暮らしは幸福だった。
屋根は低く、食卓に並ぶものも質素。それでも毎日の笑顔と、静かな愛に満ちた日々は、何不自由ない人生そのものだった。
けれど平穏な生活は長くはつづかなかった。
サムは不治の病にかかっていた。
──それから5年。やがてサムは寝たきりとなり、ノエルが働いて支える生活が続いた。
ある年の夏、村に大雨が続いた。
仕事に出ていたノエルが戻ったとき、村は濁流に飲まれかけていた。家はすでに流され、サムの姿はなかった。
「……サム!サム、どこ!?どこにいるの!」
川の中へ飛び込みそうになるノエルを、誰かが後ろから抱きとめた。
「危ないっ!もうダメ、入っちゃダメです!」
振り返ると、ずぶ濡れの少女がそこにいた。
ミレイア・ノクシア
領地の災害情報を受けて、村に駆けつけた侯爵令嬢だった。信じられないほどの魔力を放ち、水の勢いを抑え、堤防を再構築し、村を守った。
けれど、たった一人。サムだけは、間に合わなかった。
「……助けられなくて、ごめんなさい……っ」
少女は泣きながら、何度も何度も謝った。
ノエルはそのとき、初めて泣き崩れた。サムを失った悲しみだけではない。
誰よりも力を持ち、命を救おうと手を伸ばしてくれた少女が、自分と同じように泣いてくれていることが、何より苦しかった。
あの日から、ミレイアは何度も村に訪れた。
ノエルに声をかけ、傷が癒えるまで寄り添い続けた。
「わたしの力で、守れる命があるなら。行かなきゃって思うの」
事件や災害の噂を聞けば、それが領地の外であっても自ら足を運ぶ。ミレイアの優しさと責任感は、時に心配になるほどだった。
そして、村が復興して間もなく
ミレイアはふいにこう言った。
「ノエル。……わたしの侍女として、そばにいてくれない?」
戸惑うノエルに、まっすぐな瞳で続けた。
「あなたの生き方を、わたしは尊敬しています。……でも、あなたを1人にはしたくない。だから……どうか、わたしの傍に来て」
ノエルはひざをつき、深く頭を垂れた。
「一生、あなたに尽くします」
それから2年。
今も、ノエルは誰よりも静かに、誰よりも熱く、ミレイアの隣に立ち続けている。