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学園への旅立ち

陽の光がふんわりと差し込む朝の控えの間。

鏡の前でミレイアは、制服の胸元にあしらわれたリボンをきゅっと整える。


それは、レガリア魔導学園の制服。

貴族の格式にふさわしく、ドレスを軽やかに仕立て直したような上品なデザインで、

淡いパープルの刺繍と、深い紺のスカートが彼女の髪と瞳をいっそう引き立てていた。


「うん、完璧。……たぶん」


鏡に向かって自分を励ますように微笑むと、

背後から心配そうな声がすかさず飛んでくる。


「本当に行くの?ミレイア……まだ今なら取りやめだって——」


「お母様、それ三回目。私は諦めたりしないわ」

ミレイアはにこっと笑って振り返る。


「でもあなた、これまで社交界にだってろくに出てこなかったのよ?突然学園なんて、心配だわ。ああもう……可愛い顔して、世間知らずなのが一番危ないのよ!悪い虫がよってくるのよ。わかってるの?」


「じゃあ、虫除けの薬でも塗っておこうかな」


「冗談言ってる場合じゃないの!本当に心配してるのよ!」


いつもは優雅なお母様が、今朝に限ってはすっかり取り乱している。


「ミレイアお嬢様……せめて護衛をもう二人ほど追加で……」

執事のケインも神妙な面持ちで言う。


「護衛を何人つけたって、空に飛んで行ったら意味ないんじゃない?」

ミレイアはあっけらかんと笑った。


「そういうところよ!そういう楽天的なところが心配なの」

お母様はふるえる声でつぶやいた。

「学園の男子、全員丸刈りにできないかしら……」


「それはさすがにやりすぎよ。……お父様、助けて」


背後からぎゅっとミレイアに抱きついていた父が、ムクッと顔を上げた。

「ミレイアは、まだ家にいていいと思う」


「お父様まで!? いつも“娘の才能は誰よりも輝いてる”って褒めてくれるくせに!」


「それはもちろん!でも、輝く娘に悪い男が寄ってきたらどうする? 排除しなきゃいけない。剣を持ってついて行こうか?」


「だ〜め!それこそ問題になるわよ!」


「うう……寂しい……まだお膝の上に乗っててほしいのに……」

「お父様、年頃の娘に言うことじゃないわよ、それ……」


威厳のある侯爵が、娘の前ではいつも甘々になる。

でも、それがこの侯爵家では当たり前の情景だった。母も使用人も領民たちもミレイアに関わるすべての人が過保護なのだ。

玄関先は、まるで旅立ち前の別れではなく、お祭り騒ぎのようだった。


ミレイアは一歩、扉の向こうへ足を踏み出す。

大丈夫、わかってる。怖くないといえば嘘だけど、未来からのあの手紙が、背中を押してくれる。


「行ってきます、お父様、お母様。帰るときは、もっと強くなって帰ってくるから」


そう言って乗り込んだ馬車の中で、ミレイアはふっと空を見上げた。



馬車の扉がゆっくり閉まり、車輪がごとんと音を立てて動き出した。

クッションの利いた座席に腰を下ろしたミレイアは、そっと吐息をつく。


「やっと、出発ね……」


向かいの席に座った侍女のノエルが、にっこりと笑った。


「お嬢様、お疲れになっていませんか? ご出発前にあれだけ“お母様ガード”が厚いと、緊張もしますよね」


「ほんとに……最後の最後まで“やっぱり中止にしましょう”って言われるかと思ったわ」


「まあ、奥様にしてみれば“うちの可愛い娘を外に出すなんてとんでもない”ってお気持ちなんでしょうね」


その隣では、長身で凛とした女性騎士・フローラが、肩にかけた剣の柄を軽く指でトントンと叩いている。


「可愛いだけじゃありませんから、ミレイア様は。魔力も桁違い、判断力も鋭い。正直、護衛としては私の方が緊張してます」


「やだ、フローラ。そう言われると逆にプレッシャーだわ」


ミレイアは笑いながら、窓の外に流れていく景色を眺める。

遠ざかっていく故郷。けれどその分だけ、新しい世界が近づいてくる。


「……でも、どうなるのかしら。初めての学園生活、友達できるかしら。変なウワサ、立ってないといいんだけど」


「“夢幻の女神”なんて、入学前からあちこちで囁かれてましたしね……。実物見たらもっと騒がれそうです」


ノエルが目を伏せて、ぽつりとつぶやいた。

「……あの、学園で、何かあったときはすぐに呼んでくださいね」


「何かって?」


「その……あの、“例のアレ”です」


「……どれのこと?」


ミレイアがわざと首をかしげると、隣のフローラが苦笑して補足した。


「恋愛で魔力が暴走するっていう、例のアレ、ですよ」


「ああ、それね」

ミレイアはくすっと笑って、きれいなパープルゴールドの髪の毛先を指にクルクルと絡める


「大丈夫よ。いきなり誰かに恋したりなんて……そうそうないと思うし」


「それって確か——十歳の時に神殿で調べてもらったんですよね?」


ノエルの声に、馬車の中の空気が引き締まった。


「うん」

ミレイアは、少しだけ視線を落とした。


「あのとき、魔力の流れを見てもらってね。“恋愛感情が高まると魔力の制御が不安定になる”って。しかも……異性と手が触れただけで、スイッチが入っちゃうこともあるって言われたの。感情が大きく動けば天変地異をおこしたり、わたしが空に飛ばされてしまう可能性もあるらしいわ」


「それで社交界にも出なかったんですね……」


「仕方ないでしょ。下手したら貴族の舞踏会で地震でも起こしかねなかったんだから」


「本当に起きましたからね、あの時」

10年前から侯爵家に騎士として仕え、当時の一部始終を知っているフローラが言う。


「やめて、その話!」


ミレイアが思わず大声を出して慌てて口を押える。

10歳の社交界デビューで、婚約者候補として紹介された王太子レオン。

少し会話をした後、目が合って……ほんの一瞬、手を取られただけで地面が揺れて、会場が大騒ぎになったあの出来事。


「あの時の地震、王城の公式記録には“局地的な魔力干渉による地震”って書かれたそうですよ」

フローラが真面目な顔で言った。


「それ、私のせいだとは書かれてないわよね……?」


「ミレイア様、心配なさらず。学園の校舎は魔力衝撃にも耐えられる設計ですから!」


「……安心すべきなのかしら、それ」


笑いながらも、ミレイアは窓の外に視線をやった。


「うう……やっぱりこわい……。空飛んだらどうしよう……」


「ちゃんと飛ばれたら、受け止めますよ。私、筋トレしてきましたから」


「違う意味でこわい!」


車内に笑い声が広がる。

小さな緊張と期待を抱えた旅路は、まだ始まったばかり。


魔力暴走のことは家族と一部の使用人しか知らない秘密。

恋愛感情で周りに被害をおこすわけにいかないと、今まで恋愛禁止を自らに課してきた。

そのおかげか知り合ってから長くたつ領民や使用人たちのまえでは魔力暴走は起きず、定期的に治療のために訪れる魔術師の前で軽い地震を起こしてしまう以外は何事もなく過ごしてきたし、治療の甲斐があってか以前よりも魔力を押さえることができるようになった気がする。



馬車の心地よい揺れの中、ミレイアはそっとまぶたを閉じて、ひとつの記憶に思いを巡らせた。


——あの、不思議な手紙が届いたのは、三年前の冬だった。

13歳の誕生日を迎えた夜。

誰にも言えない悩みを抱えていた、あの頃。


魔力暴走のせいで人に触れられず、社交界の誘いはほとんど断っていた。

近くの領地に住む令嬢を招いてお茶会を開いたこともあったけれど、知らない異性が多くいる邸宅には招かれても行くことができず、断り続けているといつの間にか疎遠になっていた。家族や領民は優しくしてくれていたけれど、ミレイアはどこかで不安を感じていた。


そんなとき、ある晩——枕元に、一通の手紙がそっと置かれていたのだ。綺麗なグリーンにキラキラとした箔おしの便箋は一際目についた。


【ミレイアへ】

誕生日おめでとう

生きてきたあなたに心からの感謝を。

明日も、あなたらしく過ごせますように。


その翌日もまた届いた。


【ミレイアへ】

会いたいと思う気持ちが、夜を超えて届きますように。

私は、あなたの未来にいるよ。


差出人不明。

最初は家の誰かのいたずらかと思ったけれど、誰に聞いても知らないと言う。侵入者の形跡もない。


【ミレイアへ】

あなたが頑張っていることは何も無駄になりません。

力を使うことを恐れないで。


【ミレイアへ】

あなたは未来で恋をする。

私はあなたの未来を守りたい。


いつしか、ミレイアは手紙を読むのが楽しみになった。

毎晩届く短いメッセージ。読むと消えてしまう魔法じかけの手紙。

その言葉たちは、魔力よりもずっと心を揺さぶるものになっていた。


悩んだ日も、魔力暴走を恐れて塞ぎ込んだ夜も、その手紙を読むだけで心が軽くなった。


誰にも言えないまま、便箋を買って返事を書いたことさえある。

「ありがとう」「あなたは誰?」と震える筆跡で。

もちろん返事は出せる宛先なんてなかったけれど、それでも——気持ちは、きっとどこかに届くと信じたかった。


そして一年前のある夜、ついにこんな一文が届いたのだった。


【ミレイアへ】

レガリア魔導学園に入学して。

そこから、すべてが始まるから。



ミレイアは目を開け、窓の外を見やる。

あの手紙がなければ、自分は今ここにいなかった。


王都はまだ遠い。

けれど確かに、未来はもう動き始めている——。

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