18.人は見かけで判断できない
「いらっしゃいませ~」
店内に入れば明るい声で迎えられ若い女給がジリアンを先導し奥へと進む。男は馬車を止めに行っているのでジリアンは一人だ。一瞬、今の隙に逃げてしまえばと頭をよぎったが、目を閉じその考えを振り払う。
「お連れ様はすぐに見えますので座ってお待ちください」
通された部屋の中央には円卓があり椅子が四脚均等に配置されている。明るい木目調の壁紙の室内にはいかがわしい雰囲気はない。とりあえず座って男を待つことにしたが顔が強張るのは仕方がない。
すると先ほどの女給が食事を次々と運び込んでくる。サラダに肉料理に魚料理がそれぞれ数種類置かれていく。テーブルいっぱいに並んでいく皿の数に目を丸くする。どうやらすでに注文していたようだ。
「ジリアン様。お待たせしました。腹が減っているでしょう? どんどん食べて下さい」
男は椅子に座るとニカッと笑いさっさと皿に手を付ける。大きな口を開けて食べる様子は豪快だ。
「嫌いなものは除けて下さい。この後は列車に乗って国境を越え、駅から迎えの馬車で屋敷に向かいます。ああ、名乗るのが遅くなりました。私はタイラーといいます。ジリアン様の護衛を兼ねて迎えに来ました。事情があってあえて侍女を連れてきていません。むさ苦しい男と一緒で申し訳ないですが今日中に伯爵家に行きたいので辛抱してください」
ジリアンは呆気に取られた。カーソン侯爵家でジリアンを連れて行くときは人攫いのような不穏な威圧感を放っていたのに今は優しい表情で声をかけてくる。最初の印象とはまるで別人のようだ。どうやらここには単純に食事に寄っただけのようだ。休憩にも使われるが健全な食事処なのだろう。勘繰った自分が恥ずかしい。スケジュールを教えられれば悪い考えは杞憂のようだ。なかなか手を付けないジリアンにタイラーは数種類の食事を皿に取り分けジリアンに渡す。素直に受け取り食べることにした。
「いただきます」
出来たての温かい食事はどれも美味しそうだった。カーソン侯爵家では使用人にこんな上等な肉や魚が出ることはない。味の沁み込んだ煮魚も柔らかい肉も文句なく美味しい。男につられるようにジリアンも食べ進める。すぐにお腹いっぱいになってしまった。
「ごちそうさまです」
「もう、いいんですか?」
「はい。お腹いっぱいです」
男は残った食事を平らげる。気持ちいい食べっぷりだ。店を出ると汽車に乗る。人生で汽車を見るのも乗るのも初めてだ。ジリアンは興奮を隠せていないようでその様子を見たタイラーがニヤニヤと笑っている。
「まるで子供ですね」
「私は汽車を見るのが初めてなのです」
子供扱いされたことにちょっとムッとして言い返す。なぜかタイラーに対する警戒心はなくなっていた。彼の大らかな雰囲気に絆されたのかもしれない。
切符を見れば一等車だった。列車の料金は高額でまず平民には無理だ。特に一等車となればそれなりの富裕層に限られる。これからジリアンの嫁ぐ伯爵家はかなりの資産家と聞いているが、きっと想像以上に違いない。
「タイラーさん。私の嫁ぎ先のディアス伯爵家はどんなお家なのでしょうか?」
「ジリアン様が知らないのは当然ですね。伯爵家のことはこちらの国にはあまり情報が流れていない。あえてそうしているみたいだ。どんな、か。まあ、私にとってはいい雇い主ですよ。ジリアン様には噂を気にせずに自分の目で確かめてもらいたいです」
どうやら教えてもらえないらしいが、タイラーがいい雇い主というなら大丈夫な気がした。
「分かりました。そうします」
「慌ただしい移動で申し訳ない。主はあなたを心配して早く伯爵邸に迎え入れたかったようなので」
困った方ですなとタイラーは笑う。自分は伯爵子息に望まれているのだろうか。詳しいことが分からないままなので曖昧に微笑んだ。
ジリアンは座席に座り窓の外を見る。汽笛を鳴らし出発した汽車はすごい速さで進んでいく。景色がアッと今に流れていく。目が離せず釘ずけになっていると首が痛くなってしまった。向かいに座るタイラーは腕を組んで目を閉じている。民家が見えなくなると田畑や森を抜け気付けば国境を越え隣国に入っていた。
駅に到着するとタイラーが目を開く。どうやら眠ってはいなかったようだ。彼について行けば四頭立ての立派な馬車の前に案内される。
「どうぞ」
タイラーが扉を開けてくれたので馬車に乗り込む。中の作りも豪華でふかふかのクッションも置かれている。タイラーは御者台に乗っている。ジリアンは一人になったことで気が抜け座面にもたれかかった。すぐに馬車は出発した。カーソン侯爵家から乗っていた馬車とは違い揺れが少ない。すごく快適だ。
屋敷を出た時には絶望的な気持ちだったのに、タイラーと話をして食事をして汽車に乗ったらとても元気になって明るい気持ちになった。タイラーの人柄もあるのかもしれない。こんな状況で食事をして美味しいと感じる自分は図太いのかもしれない。お腹がいっぱいになると元気になる。
(きっとどうにかなる。そうよね? お父様、お母様)
国を離れる前に両親のお墓参りに行きたかった。外出を許されず一度も行けていなかった。それに屋敷のみんなに別れを言うことが出来なかった。侍女長にルナ、料理長にみんな……。せっかく仲良くなれたのに身が引き裂かれるような寂しさが心に沈んでいく。
タイラーの態度からディアス伯爵子息の噂は嘘ではないかと感じた。話の節々からジリアンは望まれて結婚するのかもしれないと思える。きっとそれは幸せなことだ。この先ジリアンがリックを忘れることが出来るか分からない。 ジリアンの初恋。でも自分は貴族である以上、両親がいてもいなくても家の為の結婚は有り得た。受け入れるしかない。きっとどんな場所でも一生懸命生きることを諦めなければきっと幸せになれる。
ジリアンは馬車の窓を半分だけ開けた。今は街から街への移動中らしく見える景色は畑が広がっている。空は青く澄んでいて心が落ち着いていく。せっかくだから外を眺めていよう。途中でまた馬車が止まり短い休憩を挟み再び出発する。出発前にタイラーが食事を差し入れてくれた。彼はすごくジリアンに気を配ってくれている。見かけによらずとても優しい人だ。馬車に揺られながら食事を摂るとすぐにお腹が満たされた。そして心地のいい馬車の揺れにジリアンはいつの間にか眠ってしまっていた。
次に目が覚めて起こされたのは目的地である隣国の伯爵家の玄関の前だった。
ジリアンはよほど深く眠っていたらしく外は薄暗くなっていてもう夜だった。




