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3 江戸の長屋

「又さん、前足出して」

「ほんとに治るのか?」



 意外にすっと出された前足の包帯を解くと、圧迫が無くなったためにまたジクジクと血が滲みだした。普通一日も経てば血が固まるはずなんだけど。



「妖怪の怪我はこんなに治らないものなの?それとも、この傷が特殊なの?」

「……」



 又さんは答えなかった。

 まあいいか、と切り替える。元々妖怪の傷というのは人間と治療法が異なる場合が多いことは知っている。知っているけれど、そもそも妖怪がみえるようになったのはつい最近だからどうすればいいのか戸惑いはある。



 基本的な治療は同じ。私は立ち上がって部屋の棚に置いてあった小さな酒壺を取り出す。栓を外し竹の柄杓で酒を掬い布に浸して傷口にあてる。



「っ!」

「まだ痛い?」

「痛くねえ!」



 毛を逆立てているくせに強がる又さんに微笑ましくなる。



「一応薬は塗っておくけど、効くのを探すからちょっと待っててね」

「ああ……って探す?」



 ばっと顔を上げる又さんを無視して箪笥を探る。引き出しの中には母が生前残していた軟膏の入った貝殻があった。貝を綴じる紐の色ごとに薬の用途分けをしている。母の言葉を思い出して傷薬を探しだした。



「ほんとに効くのか?」

「私は知らないけど、お母さんはこの薬はなんにでも効くって言ってたもの」

「母親、ねえ……」



 包帯を巻きなおす。足の様子を確かめるように又さんはとことこと歩いた。



「あ、そこささくれ立ってるから気をつけて」



 又さんが前足をあげたままぴたりと止まった。



「又さんがいるなら直さないとね。えっと、修理道具は……」



 外の納屋から道具を取ってきて直す。



「お前、そんなことまでできるのか」

「一人暮らしするとね、いろいろできないと不便だから」



 又さんはすいっと上を見上げた。折れた柱がむき出しの壊れた屋根。ここも直さなければいけない。できるだけ早急に。



「おい、この屋根はどうすんだ?」

「直すよ。そのために材料揃えないとね」

「夜までに直るか?」

「無理だと思う」

「……」

「そのための護衛、でしょ」

「なるほどな」



 妖怪は夜に活動する。又さんを見る限り昼も活動する妖怪もいるかもしれないけど、怖い妖怪は夜行動する印象がある。でも屋根の開いた家なんかはすごく不用心だ。だからこそ、又さんの活躍の場がある。そんな場なんてなくて済む方がいいけれど。



「とりあえず、このまま屋根の開いた家には住めないから、大事な物だけは持ってしばらく長屋に仮住まいしようかなと思ってる。江戸に行かなきゃなー」

「賢明な判断だな」



 江戸は日の本の中心地。毎日たくさんの地方の人間がやってくる。働きにくる人間もいれば、観光にくる人も多く、年間約100万人が江戸にやってくるときいたことがあった。だから安い旅籠は多い。一日二食ついて約2000円くらいの宿が多いと思う。けれど、こっちはここにずっと住んでいるわけだし、一日にそれだけのお金を払うのはもったいない。


 長屋であれば月に1万2000円なので、こちらの方が断然お得だ。良い街の長屋があればいいけど。



 それに旅籠であれば基本的に男女共に相部屋だから、そこに長期滞在するのも気が引ける。



「さて、それじゃ行こうか」

「……」





 又さんを連れて山を下りていく。やがて関所を通り抜け、江戸の町に入った。

 江戸の町は道が土で踏み固めただけなので全体的に埃っぽい。今日は風があるから余計にそう思うんだろう。

 湯屋が繁盛しそうな日だ。



「長屋ってアテがあるのか?」

「まあ……それなりに」



 江戸には長屋街(ながやがい) といういくつかの長屋が集まったところがたくさんある。1つの長屋街に1人大家さんがいて、長屋に住めるかはその部屋が空いているかはもちろん、その大家さんの許可が必要だった。だから基本的にこういう時は気に行った長屋街の大家さんに直接気に入られたり、知人や斡旋者に紹介してもらったりするのが長屋に住む手順だった。



 猫と話をしているなんて不審に思われそうだから、私は又さんを抱え上げた。



「お、おい!」

「この方が話しやすい」

「むー……」



 唇を尖らせる黒猫の頭を撫でつつ、私は知り合いの家を目指した。

 小声で話しつつ、私は1つの長屋街に入る。長屋に住む住人達が使う井戸の前を通ったけど、大抵井戸の傍で喋りながら仕事をしている住人(特に女性)はいなかった。奇跡的な時間にここを訪れたみたい。



「ここが知り合いの家か?」

「うん、そう」



 そのうちの1つの部屋の扉をすぱんと開けた。

 中からは墨の匂いがふわんと香った。四畳半ほどの長屋では平均的な広さの部屋に大の字になって、高級な眼鏡(メガネ)という、視力の矯正器具をかけた男が私をみた。



「おや、久しぶりだね千鶴」

「うん、お久しぶり、平さん」



 筆を加えて頭をこちら側にして寝ていた男がむくりと起き上がった。隈のある目を柔和に歪めて、江戸一人気の戯曲作家は笑った。








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